第76話 魔女無双
ここで少し、時間は遡る。
ウェンドリンが『ケテル』と対峙していた頃、教会本部の地下ではマリアンデールと『レイミナ』が戦いを続けていた。
「おやおや? 随分と動きが悪くなってきたようだがそろそろ限界か?」
『レイミナ』がわざとらしく首を傾げる。
マリアンデールは肩を上下させながら言った。
「ご心配なく。まだまだいくらでも付き合ってあげるわよ」
「へえ。そりゃ嬉しいね」
地下室内には大小様々な大きさの円盤が不規則に散らばって浮かんでいた。
正確には浮ているのではなく、空中で固定されているのだ。
これらは全て封印の蓋。
『レイミナ』が穴を開け、マリアンデールがそれを塞ぐ。
それを繰り返した結果こうなってしまったのである。
もはやここを普通の部屋として使用するのは不可能だろう。
何も知らない人間がこの光景を見たら幻覚か何かだと思うかもしれない。
そして、これだけの数の封印の蓋を生成し続けたマリアンデールの体力と魔力は限界に近付いていた。
正直もう意識がいつ飛んでもおかしくないような状態である。
といっても、今の状況の打開する方法が無い訳ではない。
マリアンデールは懐に謎肉の燻製肉が入った小袋を忍ばせていた。
何かあった時のために、とセシルが持たせてくれたのだ。
燻製肉を数切れも食べれば継戦に十分な魔力は確保できるだろう。
それは分かっているのだが――。
「……ッ!!」
足元に微かな違和感を覚えたマリアンデールは反射的に飛び退いた。
それとほぼ同時にマリアンデールが立っていた場所から火柱が吹き上がる。
『レイミナ』の炎の魔術。
これのせいでずっと動かされ続けているのだ。
燻製肉を取り出す暇がない。
マリアンデールは飛び退いた先からさらに移動しながら杖を振った。
すると『レイミナ』を取り囲むように火柱が渦を巻く。
『レイミナ』の魔術の見様見真似のお返しである。
火柱はしばらくその場に留まり続け、やがて消えた。
そこには『レイミナ』が薄ら笑いを浮かべて立っていた。
傷一つ負っていないばかりか、避けようとした様子さえない。
「へえ、この短時間でアタシの魔術パクったんだ。さすがは魔女マリアンデール」
「あなたの魔術ではないでしょ」
「いいや、アタシの魔術さ。――そうでしょ? マリアンデールちゃん」
『レイミナ』はレイミナを真似た口調でそう言ってからゲラゲラ笑った。
マリアンデールは無言で『レイミナ』を睨んだ。
見え見えの挑発だと頭で分かっていても余裕のないこの状況ではかなり効く。
――分かり切ってはいたけれど、『レイミナ』の魔術を返したところであの膜は突破できないか。
気を紛らわすのも兼ねてマリアンデールは考えた。
この戦闘の一番の難点は『レイミナ』の身体を包んでいる膜だった。
封印の扉と同じような術式を組み上げて生成したらしい、物理も魔術もあらゆる物を遮断する封印の膜。
やはりあれをどうにかしなければ勝ち目は無い。
封印の扉と全く同じ術式を使っているのなら簡単に解除できそうなのだが、どうやら術式に多少のアレンジを加えているらしい。
考えるまでもなくマリアンデール対策だろう。
用意周到な事だ。
「何を黙っているんだ。止まっている暇なんてないだろ? 急がないと地上がどんどん酷い事になるんだから。ほらほらどうにかしてみろよ」
連続で火柱が上がり、マリアンデールは何度も跳んだ。
そして何とか顔だけは上げたまま膝に手を当てて呼吸を整えた。
マリアンデールに余裕が無かったのは、魔力と体力の限界だけが理由ではなかった。
随分前、ここからそう遠くない地上で地獄の穴が開いた気配があったのだ。
恐らくケテルだろう。
あの女が魔力を暴走させて地獄の穴を開いてしまったのだ。
地上で穴が開いたとなれば周囲に及ぼす影響は地下室の比ではない。
一刻も早く対応しなければいけないのだが、『レイミナ』を放っておく訳にもいかない。
そのために焦りばかりが積もっていくという板挟み状態だった。
このままでは自分も地上の人間たちも両方終わりだ。
せめて一分……いや、十数秒でいいから『レイミナ』の動きを止められれば……。
マリアンデールは何かないかと考えを巡らせた。
そしてそんなマリアンデールの様子を見て『レイミナ』は呆れたように言った。
「なんだ、もうガス欠か? 思ったより大した事なかったな。まあいいや、それじゃそろそろ泥の中に突っ込んで歓迎会と行きますか」
『レイミナ』は両手を振りかざした。
これまでよりもさらに巨大な地獄の穴を開けるつもりのようだ。
まずい、とマリアンデールは思った。
あれを塞ぐ為の蓋を用意したら完全に魔力が枯渇する。
しかしそれでもやるしかない。
マリアンデールは杖を握る手に力を込めた。
だが、『レイミナ』の拳が振り下ろされる事は無かった。
「ん? 何だこれは」
『レイミナ』は突然天井を見上げた。
余程驚くような事でもあったのか、腕を下ろすのすら忘れた様子でそのまま固まっている。
何かあったのか?
マリアンデールも不思議に思って天井へ目を向けた。
そして気付いた。
――え? どういう事?
先程から気に掛けていた地上の地獄の穴のすぐ近くで奇妙な魔力の反応があった。
自分がいる。
魔力量は少なめだが、マリアンデールと同じ魔力を持った何者かが出現したようなのだ。
しばしの間、マリアンデールも『レイミナ』も呆然と天井を見上げたていた。
やがて謎の魔力の主は消滅し、それと同時に地獄の穴が閉じられた気配がした。
何が何だか分からないが、地上の問題は片付いてしまったらしい。
『レイミナ』が狼狽えて言う。
「なんだ今のは。お前、一体何をした?」
「私は何もしてないわよ」
「そんなはずが無いだろ! 今の魔力は間違いなく……って、何を食ってやがる」
「ああこれ? お腹が空いたから間食」
マリアンデールは燻製肉をもぐもぐしながら言った。
体内の魔力が一気に膨れ上がるのを感じる。
これでまだまだ戦えるだろう。
それに、地上で何が起きたのかは分からないものの穴が塞がったのは事実。
今はそれだけで十分気が楽になった。
そして、今のハプニングのお陰で時間も稼げた。
ここからは反撃の時間だ。
燻製肉を飲み込むとマリアンデールは『レイミナ』をじろりと見た。
マリアンデールと対照的に今度は『レイミナ』の方に焦りの色が浮かんでいた。
全くの想定外の出来事で計画の一端を潰されたのだから無理もない。
しかし自分を鼓舞するように虚勢じみた笑い声を上げるとマリアンデールに言った。
「まさかお前も隠し玉を持っていたとはな。だが、何をしたところでお前の攻撃がアタシに届かないという事実は変わらない。もう遊びは終わりだ。本気でお前を地獄の穴へ引きずり込んでやるよ!」
『レイミナ』が再び両腕を振り上げる。
しかしマリアンデールは眉一つ動かさずに答えた。
「そうね、遊びは終わりね」
マリアンデールは『レイミナ』へ向けて片手を掲げた。
パリン、と何かが割れる音がした。
「……は?」
『レイミナ』が目を大きく見開く。
封印の膜の術式が破壊されていた。
マリアンデールは言った。
「最初から本気を出さないでいてくれて助かったわ。お陰で十分な時間を稼ぐことが出来た。とはいえ、中々に骨の折れる作業だったけどね」
「ば、馬鹿な……。この短時間で封印の膜の術式を解析して解除したって言うのか? ありえない。どれだけ複雑な術式を組んだと――」
「封印の扉の管理、私が何年やらされて来たと思ってるの? 多少の改造をされたところで基本は変わらないんだから、時間さえあれば解析くらいできるわよ。幸いあなたが炎の魔術を連発してくれたお陰で術式の組み方の傾向も把握できたしね」
『レイミナ』は愕然とした。
「じゃ、じゃあさっきアタシに炎を撃ったのは……」
「あなたの組んだ魔術を再現できたかの確認のためよ。まあとにかく、もうこれであなたには無敵の鎧は無い。これ以上話す事もないし、さっさと退場して貰いましょうか」
マリアンデールの杖の宝石が輝いた。
『レイミナ』の身体が凍り付き始める。
「くそっ!」
『レイミナ』は魔術を使ってそれを防ごうとしたようだった。
だがこの魔術に関してはマリアンデールのほうが上手らしい。
一瞬で全身が凍り付くことはなかったが、足先からじわじわと浸食されていく。
「や、やめろ、やめろ! この魔術を止めろ!」
『レイミナ』が喚くが、マリアンデールは反応しない。
下半身が完全に凍り付いた。
「待ってくれ! そ、そうだ、アタシと手を組まないか! お前とアタシがいればきっとなんだって出来るぞ! なあ、だから一旦これを解いてくれ!」
マリアンデールは無言。
凍結の進行は肩まで届き、あとは首を残すだけになった。
『レイミナ』は必死にもがいていたが、不意に顔つきが変わった。
怯え切った少女のような表情だった。
「マリアンデールちゃん、私よ、レイミナよ! あの黒い泥は抜け出して逃げて行ったわ! 寒いよ、苦しいよ。お願い、助けて!」
マリアンデールはじろりと『レイミナ』を見た。
それから驚くほど冷めた声で言った。
「今更そんな猿芝居に引っ掛かるとでも? 仮にもあなた、神に喧嘩を売ろうとしていたんでしょう? 最後くらいどっしり構えてなさいよ、みっともない」
それを聞くと『レイミナ』の顔つきが元に戻った。
そしてマリアンデールをギロリと睨み付ける。
「ち、畜生おおぉぉぉ!」
耳をつんざくような叫び声とともに『レイミナ』は凍り付き、粉々に砕けて消え失せた。
誰もいなくなった部屋の中でマリアンデールは一人呟いた。
「遅くなってごめんねレイミナ。……願わくば、安らかに眠ってちょうだい」
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