呪いの館で人形に変えられました。その姿で館を永遠にさまようがいいと言われたので快適な豪邸生活を目指そうと思います

鈴木空論

第1部 呪いの館

第1章:人形にされた少年

第1話 呪いの館

 ルシベーラ公国領。

 その国の北東部、人里離れた森の奥には一軒の無人の館が静かに佇んでいた。


 その館は周辺の村の人々から『呪いの館』と呼ばれていた。


 どんな人物がどういった目的で建てたものなのか、詳細を知る者は誰もいなかった。

 はっきりしていたのは、その館が少なくとも数百年以上も昔に建てられたらしいものであること。

 そして……「あの館に不用意に近付いた者には災いが降りかかる」と人々から噂されていたことだけだった。


 その館は長年手入れもされず放置されていたため、ある種の不気味な雰囲気を漂わせいた。

 館のことをよく知らない人間ならば、この薄気味悪い印象のせいでそんな噂が立ったのだろうと考えるかもしれない。

 しかし、それは決して根拠のない噂などではなかった。

 というのも、実際にその館ではこれまで沢山の怪奇現象が目撃されていたのだ。



・椅子や食器が宙を舞い館の中を飛び回っていた。


・誰もいないはずの部屋の中で子供の笑い声がした。


・建物の中にいるのに霧が発生した。


・台所に得体の知れない生き物が蠢いていた。


・地下の鍵のかかった部屋の奥から呻き声が聞こえた。


・庭に生い茂った蔦がまるで意志をもったように手足に絡みついてきた……などなど。



 これらの目撃例は村の若者や遠くの街から訪ねてきた冒険者が証言したものだ。

 館の噂を聞いて面白半分に度胸試しに忍び込んだ挙句、真っ青になって逃げ戻り語ったものである。

 恐怖や焦りが原因の錯覚の可能性もあるし、自分の体験を誇張している可能性もある。

 それらの証言が果たして真実かどうかは本人にも、いや本人にすらわからない


 ただ、これらの証言は『無事に戻ってくることができた者』からの証言なのだ。

 これまでの数十年の間だけでも、館に向かったまま戻らず行方不明になった者が何人もいた。

 また戻ってこられても別人のように変わり果て、何かに怯えてまともに会話すらできなくなった者も何人もいた。



 怪奇現象の真偽はともかく、あの館には間違いなく『何か』がいる。

 だから命が惜しければ理由もなくあの館に近付いてはいけない。

 『呪いの館』を知る人間たちは口を揃えてそう話すのだ。



 ※ ※ ※



 そして、とある日の夕暮れ時。


「はあ、はあ、はあ……」


 『呪いの館』の薄暗い廊下を一人の少年が走っていた。

 年の見た目は十代前半といったところ。

 痩せ気味な体とボサボサの黒髪に、元が想像できないほど色褪せた継ぎ当てだらけの服。サイズの合わないボロボロの靴は左右ともに踵部分の靴底が剥がれ、足を上げる度にブラブラと揺れる。


 少年はいわゆる浮浪児だった。

 偶然この館の噂を耳にし、古い館なら何か換金できるものでも置いてあるんじゃないかと考えてここに忍び込んだのだ。

 だがこの少年は現在、館の中の家財などにはまるで目もくれず必死な形相で走り続けていた。

 息を切らせながらもスピードは落とさず、しきりに後ろを振り返る。


 少年はあるものから逃げている最中だった。

 一体何から逃げているのかというと――その追跡者たちは少年が今走り抜けてきた曲がり角の向こうから間もなく現れた。


 それは、青白い光を帯びた無数の食器だった。


 皿、グラス、フォークやナイフ。

 陶器や金属製の様々な食器類がまるで生き物のように宙を飛び回り、少年を追いかけていたのだ。


「しょ、食器が飛ぶってただの噂じゃなかったのかよ!」


 逃げ惑いながら少年は喚いた。

 その声に反応したのか一本のナイフが食器の集団から飛び出して少年の頭を狙う。

 少年は咄嗟に首を縮め、紙一重でそれをかわす。空を切ったナイフはそのまま床に突き刺さった。

 そのナイフを跳び越えながら少年はさらにスピードを上げる。


 ――このままじゃ殺される!


 どうにかしてこいつらを振り切る方法は無いか、と少年は走り続けながら必死に目を走らせた。

 そして廊下が曲がり角に差し掛かった時、その突き当たりに部屋があるのが見えた。


 ――あの中に逃げ込めば助かるかもしれない。


 少年はその部屋の扉のノブを半ば飛びつくように掴んだ。

 ドアノブを捻ると鍵は掛かっておらず、何の苦もなく回る。

 少年は扉を開けて室内に転がり込むと、急いで扉を閉めた。

 間髪入れずに部屋の外から食器類が扉に激突する音と衝撃が鳴り響いた。

 あまりの勢いに扉が壊れるのではと不安を覚えたが、目をつぶり必死に扉を押さえ続ける。

 ……喧騒はしばらく続いたが次第に弱まり、やがて何も聞こえなくなった。


「た、助かったのか……?」


 少年は呼吸を整えながら扉の外の様子を窺った。

 じっと耳をそばだててみるが何の物音も聞こえない。

 完全に静まり返っている。

 しかし開けて確かめる気にはならなかったので、そのまま扉の鍵を掛けた。

 ひとまずこれで扉の外は気にしなくていいだろう。

 少年はその場にへたり込み、安堵の溜め息をついた。




「……で、ここは一体何なんだ?」


 多少気分が落ち着いてから少年は室内を見回した。

 どうやら少年が逃げ込んだのは執務室のようだった。

 中央にテーブルがあり、それを挟むようにソファが置かれている。

 さらに奥にはかなりの幅の執務机。

 四方の壁のうち一枚は本棚になっており、天井近くの段まで何かの本がぎっしりと敷き詰められている。

 当然ながら掃除などはされておらず机も棚も随分と埃が積もっていた。


「ひょっとしたら値打ち物の本とかあるのかな……」


 ここへ忍び込んだ目的を思い出して呟いたが、少年はすぐに首を振って考えを改めた。

 止めておこう。また追い回されたらたまったもんじゃない。

 少年は先程の食器類のことを思い返していた。

 あの食器類はダイニングとおぼしき部屋の棚にまとめられていたものだった。

 それを見付けて拝借しようとして不用意に手を触れたら宙に浮いて少年に襲い掛かってきたのだ。

 この本棚の本でも同じようなことが起きないとも限らない。


 この館は噂の通りまともじゃない。命あっての物種だ。

 これ以上は下手なことはせずさっさと外へ出るのを考えたほうがいい。

 まずは部屋から出ても大丈夫かを確認しなければ。

 少年はそう思った。

 そう思ったはずなのだが……部屋の扉へ向かおうとした途中で少年はふと足を止めた。

 少年の目はソファに置かれたある物に吸い寄せられていた。


 それは、人形だった。


 赤いドレスで着飾られた五〇センチメートルくらい背丈の少女の人形。

 翠の眼にブラウンのショートヘアで、髪にはドレスと同じ赤い色のリボンが付けられている。

 身体は陶器か何かでできているらしく白い。

 かなり年代物の人形らしくドレスは所々色褪せたところがあり、また顔には左目を貫通するように縦の亀裂が入ってしまっていた。


 人形はソファの上に腰かけるように置かれていた。

 先程まではこんなもの無かったと思うのだが、気付かなかっただけだろうか。

 どう見ても怪しい人形だった。

 しかし少年は自分でも不思議なことにその人形から目が離せなくなった。

 ふらりふらりと歩み寄ると、操られるように人形を両手で持ち上げた。


 すると、人形の目がギョロリと動いて少年を見た。

 無表情だった口元が大きく開いてニヤッと笑い――次の瞬間、少年は目の前が真っ暗になった。

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