Ⅲ.
『ツキ』と呼ばれた銀髪の女は、咳払いをひとつして、少し事務的な声を作った。
「さて、あなたは外に追っ手がいて、事実上ここに追い込まれているわけだから、私たちの助けが必要よね。調停官を動かすとそれなりの料金が発生するのは知っているわよね?」
「なんだ、金を取るのかよ? あんたら公務員なんだろ?」
「公務員よ。つまりボランティアじゃないってわけ」
男はツキの作り笑顔を見て、問答する気を無くしたのか、すぐに指にはめていた指輪を引き抜いた。
「これで頼む、本物だぜ」
ツキは、指輪を取ると灯りにかざしてみた。
「ふうん、あなたの命はこれくらいなのかしら?」
ちらりとべつの指にはめてある指輪に視線を落とす。
男はしかたなく、もうひとつの指輪も外すとテーブルの上に転がした。
「で、どんな加勢をしてもらえるんだ?」
「銀弾についてはたしかに間違いではありませんが、やはりわたしたちが行ったほうがいいようですね」
「武器をくれるんじゃないのかね?」
「ウロボロス条約における『調停官』の役割は、種族間の争いを支援するのではなく、無くすことです。あなたがヴァンパイアと戦うと言うのなら、あなたも罪になりますよ」
女主人は立ち上がると「ツキ、支度を」と言って自らも身支度をはじめた。
人類がまだこれほど地上にはびこる前、闇の住人たちの二大勢力、ヴァンパイアとワーウルフは地上の覇権を賭けて激しい争いをくり返していた。
当初、自らの力を過信し、自分のほうこそが圧倒的優位な立場にあると思い込んでいた両者は、戦いが長引いても互いに一歩も譲らなかった。やがて泥沼化した戦況は惰性的な消耗戦になっていった。
両勢力の賢明な者が争いの無益さに気づいて警鐘を鳴らしたときには、生存者の数はすでに種の存続が危ぶまれるほどになっていた。
ようやく、その他の闇の住人と精霊たちの立ち会いのもと休戦協定を結んだ両勢力は、この戦いの教訓を受け、互いに不可侵の条約を締結した。
その条約を、互いの尻尾を噛んで飲み込もうとする蛇になぞらえ、多少の皮肉も込めて「ウロボロス条約」と名づけ、それに至る戦いを「ウロボロス戦争」と呼んだ。
そして、両者の戦いを横目で見ているうちに結果的に地上で最大の勢力になった人間に『調停官』としての役割を担ってもらうことになったのである。
もっとも、人間の力だけでは不十分なので、ヴァンパイアとワーウルフ、そしてその他の勢力からひとりずつ補佐役につき、さらに、いま以上に力の均衡が崩れることを善しとしない精霊たちが彼らを守護することになった。
「ちょっと待って」
女主人がコートを羽織り、立て掛けてあった箒を手にしたので、ツキは少し慌てたようだった。
「あなたも行くの?」
「行くわ、仕事ですもの」
女主人は当然のように答えたが、ツキは異を唱えた。
「あなたが出て行かなくても、荒っぽいことはヨルとシンラに任せて。意思の伝達はあたしがきちんとやるから」
主人の身を案じての意見だった。
女主人は壁に掛けてあるつばの広い黒色の帽子を手にとった。
彼女には少し大きめのそれは先代の調停官のお下がりだった。
「先代が保ってきたバランスをわたしの代で崩すわけにはいかないわ。そのためにはフレイヤ様がそうだったように現場に身を置いておきたいの」
「でも……」
「大丈夫よ、ヨルとシンラがいるから」
「……うん」
ツキはまだなにか言いたそうだったが、主人の言葉には逆らえないのか、それ以上は言わなかった。
「フレイヤか、聞いたことがある。優れた調停官だったそうだな」
男が口を挟んだ。
「ええ、とても素晴らしいかたでした」
「あんたは、その弟子というわけか。お手並み拝見させてもらうよ。ガルシアだ」
男が名乗ってごつい右手を伸ばしてきたので、女主人はそっと握った。
「第百五十一代ウロボロス調停官、サディです」
細く、か弱い手だった。
To be continued...
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