私だけの本屋さん

夕目 ぐれ

私だけの本屋さん

 最寄り駅から私の通う高校まで、約一キロメートル。徒歩で十三分。


 私はそれを二十五分掛けて歩く。


 もちろん、他のみんなが歩く通学路は使わない。遠回りをしている。


 古い木造建ての古民家みたいな風貌の家が並ぶ中、それはひっそりと息を潜めるように並び建っている。


 ――――あさがお書店。


 達筆な手書き文字で、木の看板に確かそう書いてあった。それ以外は書店らしさどころか、お店らしき飾り立ても見当たらなかったはずだ。


 お店の入り口の引き戸に曇りガラス、そして静かに佇むこの書店は果たして営業しているのだろうか。


 その真実は、私だけが知っている。


 * * *


 チャイムが鳴ると五十分のお昼休みが始まる。


 私はいつもこの時間の長さを不毛だと感じている。


 だって、お弁当を食べるだけなら十分もあれば充分だろう。


 私は下駄箱で外靴に履き替えると、校舎を囲う鉄格子を登って飛び越える。


 足取りは軽やかに、スキップでもするかのように、私は堂々といけないことをした。


 朝に歩いた私だけの通学路を今度は逆走して、あさがお書店の建物の前に立つ。


 私は躊躇もなくその引き戸を軽やかに開ける。すると、直ぐに奥の方から声が聞こえてくる。


「いらっしゃい、また来たのか……」


 呆れたような声だった。でも、それはいつものことだ。


 私は本棚から一冊適当に手に取る。学校がある日は毎日来ているのだけど、正直本の内容は何も覚えていない。


 今読んでる本も、もしかしたら昨日か一ヶ月前に読んだ本かもしれない。


 でも、そんなことはどうでも良かった。


 奥から現れた眼鏡を掛けた大人の女性は、床に座る私の隣にそっと腰を下ろす。そして何かの本を開いて、綺麗な長い睫毛に縁取られた大きな目を、その本に落とす。


 そしてお互いに何も話はせず、静寂の中本をめくるその音だけが、私の耳を包み込む。


 私は時折、隣に視線を向ける。


 目を細めると真面目な場面なのだろうか。頬が少し綻ぶと、きっと面白い場面なのだろう。


「……あさみさん、明日も来ていいですか?」


 私がそう尋ねると、こちらに顔は向けずにあっけらかんと答える。


「いいけど、ちゃんとベルは鳴らしてね」


 周囲を見渡すと、大きな本棚が一台だけぽつんと残っている。


「あの本棚はいつ片付けるんですか?」


「君が高校を卒業したら、いずれね」


 私は本を傍目にあさみさんの一挙手一投足に目を奪われる。


 少し目を伏せて、頬は笑うように少し吊り上がった。今は一体どんな場面を読んでいるのだろう。


 私はそんなことをずっと考えて、多分明日も明後日も、いつか高校を卒業するその日まで通うのだろう。


 この、私だけの本屋さんに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私だけの本屋さん 夕目 ぐれ @yuugure2552

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ