女神の図書番

霜月ノナ

旅立ちの前に

彼女と図書番の里 1

女神が眠ったその年に生まれたのだと、ニナは何度も聞いた。

生きている間に美しい緑の草原を見ることができるかどうかも定かじゃないということも、同じような運命のもと生まれてきた人間は、ほかにもたくさんいるということも、それこそ飽きるほど。

手入れしやすいように肩で切りっぱなしの髪も、環境がどうであれ、こどもらしく好奇心でキラキラした目も、ありきたりの焦げ茶色。

だけど、ほしいものは何かと聞かれたら、――本!

彼女がほかの多くのこどもたちと一番違うのは、図書番という役目を担う集落に生まれたことだった。


物心ついてから、母がいつも言っていたことがある。

「ニナがほかに何かしたいことがあるのならいいのよ。」

図書番になりたいと言ったニナに、ほかの仕事もたくさんあるのだと言っては、何が難しいのかをいつも教えてくれた。それでも図書番になりたいのだという娘に、困った顔でほかの仕事を勧めるようなことを言った。

「お勉強が好きなら、学者になったり、新しいものを作ったりするお仕事だってあるのよ。図書番は、見た目よりもずっと、とても大変な仕事なのよ?」

「私、図書番になりたい。」

まだ五、六歳だった少女に、図書番を目指す特別高尚な願いがあったわけではない。

この集落は図書番の本拠地だったから、たくさんの本があったし、図書番もたくさんいた。知識が豊富でカッコよく見えた。繁栄と衰退を繰り返す中、零れ落ちる知識の番人となる、なんて口上を聞いた日には、こども心になんだか勇者みたいで素敵だと思った。


所詮、こどもの将来の夢なんて、始まりはそんな理由だったりするものだ。

図書番は学者ではないし、本屋でもない。散逸した書籍を集め、持ち帰り、必要な時にその知識を広く知らしめることが役目だ。活動する時代によって、やることは大きく変わり、女神の目覚めから五十年は学者の様にふるまい、眠る五十年は探索と収集に精を出す。ニナが生まれたのは女神が眠ったその年だから、世界中を駆け回って、炎や瓦礫に呑まれようとする書籍を集めるのが仕事になるだろう。


それでも心配性の母は、くどく図書番という仕事の大変さを語る。

「修業は大変よ。確かに学校に行けば半分は図書番になることはできるけれど、なったってそれだけで仕事にはならないんだから。」

図書番になるには、言語を覚え、重い荷物を抱えて走る丈夫な脚を持ち、それからいくつもの決め事を覚えなければならない。そして一番の問題は、本を集めるための費用は自前で調達しなければならないということだった。この図書番という仕事にスポンサーはいないのだ。

「いつかの誰かのためのお仕事なんでしょう?」

得られる栄誉なんかない仕事だけれど、誰かのきっと役に立つであろう本を集め、しかるべき時が来るまで守るということは、まるで姫を守る物語の騎士様みたいだ。

「あなたもここに生まれたのだから、きっと、そう言うとは思っていたわ。」

母もまた、ニナを生むまでは図書番だった。そしてきっとニナがひとり立ちする頃には、図書番に戻るのだろう。

環境がそうさせるのか、血がそうさせるのかはわからないけれど、死ぬまで図書番は図書番をやめられないのだ。

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