第四話
「それで漕艇競争になるとはな」
海野が顔をしかめておそるおそる寝台に腰掛ける。向かいの寝台にすでに腰掛け終わった山田も眉間にシワを寄せたまま呻いた。
「学科も中断して…てのは…やりすぎだ」
「……! ……!!」
掠れ声がもはや言葉にならない阿世知も隣の列の寝台から声を出す。言いたいことはおそらく海野らと同じだった。鷲尾は座ることも出来ず立ち尽くしたまま頷いた。
あの日、島村教練監は一期生に向けて言った。
「俺はな。
アーチボルド氏のgentlemanshipというやつがな。
気に食わん」
陸海教育の分科のあとに海軍士官教育を担当するとして招聘されたアーチボルド・ダグラス中佐以下の英国教官団はおおむね歓迎されていたが、とくにアーチボルド中佐の推す「紳士教育」には小田原では反発が強かった。
島村教練監の弁によれば「貴族趣味にすぎる」というのだ。
実地教育を重視し数学に重きをおく、という大筋の教育方針は受け入れても、これだけは受け入れられない、というのが小田原兵学校の見解だった。
ところが、アーチボルド中佐は「ここに移る前の築地ではこのやり方で通してきた」と頑として聞き入れない。
一期生が海陸に分科するのは来年に迫っている。
もう教練の骨格は固まっていないといけない時期なのにまだそんなところで揉めていた。アーチボルド中佐にしてみれば築地の延長で良いはずの教練課程を見直せと言われるのが契約違反だと感じられるのだろう。
しかし、島村教練監をはじめ小田原兵学校の教官たちにも譲れない事情があった。
彼らは英国式教育の価値は認めていたものの、英国式の軍艦の運用、とくに下士官兵待遇に対して強烈な嫌悪感を抱いていたのだ。
とくに旧幕軍の島村教練監、それに田埜守教官の反発がつよい。
由利島沖海戦において英国式の教育・英国式の指導監督によって率いられていた朝廷軍海軍・薩長(英米)連合艦隊が幕府海軍に撃破されたことがその根拠であった。
士官から水兵に至るまで士族で固め、能力選抜で軍艦を運用していた幕府海軍から見れば、士官と下士官兵との間に「能力とは異なる」壁がある英国式は異様に思えたのだ。
朝廷軍海軍のような人員構成――士官は士族、下士官兵以下は平民(徴用された漁師や廻船商人)――であれば、まだ英国式のやり方は許容可能であったかもしれない。そこには「能力とは異なる壁」、身分格差が厳然と存在していたから、説明はつく。
しかし、幕府海軍のように上から下までまるごと士族、という人員構成だとこの格差は合理的でもないし説明もつかない。かえって混乱を招く恐れすらあった。
それよりなにより。
東西戦争において、陸戦が銃砲による大規模野戦となり士族の価値が致命的に否定され、農兵を中心に平民の戦力価値が劇的に向上した結果、士族・貴族といった旧上層が従前の特権、格差を根拠としたあらゆる特別待遇を否定された現状ではどうしたって英国式のgentlemanshipは食い合わせが悪い。
この点は旧倒幕勢力から起用された教官連でも同意せざるを得なかった。
佐幕・倒幕双方が平民(農兵)を戦場に引きずり出したあの戦争の火種となった倒幕運動において、尊皇激派の貴族連の活躍は広く知られている。ゆえに平民の貴族への恨みは相当なもの。戦場に引きずり出してともに戦いそして滅びていった士族たちにはやや同情的なのと異なり、ただ後ろから囃し立てていただけの怯懦の群れとして徹底的に嫌われていた。
東西戦争があのような結末となり惨憺たる戦禍を撒き散らした後には、戦場でほとんど役立たずだった士族にも、それをけしかけて戦争を引き起こした貴族にも、かつてのような特権を振るうような正当性は微塵もなかった。
もっとも躍動し、もっとも血を流し、もっとも損害を被った農兵(平民)たちはもはやそのような特権を赦しはしなかった。
かろうじてギリギリ武力でもって抑え込んでいる地方道政府にしても、すでに戦場を経験している戦慣れした平民の暴発を抑えるために士族特権を削る政策を矢継ぎ早に出さなければ存続が危ういほど。中央政府は言わずもがなだった。
ようするに、英国とは前提条件が違いすぎるのだ。
英国海軍はアヘン戦争の頃まで港町で適当に見繕った船員を拉致して強要して水兵に仕立て上げ、それをフネの主人である士官(貴族)連が使役するのが当然であったと聞く。
そのような下地と伝統の上に立つ英国式のgentlemanshipは、士族も平民も同列に扱うこの小田原兵学校の教育方針とはまったく合わない。
とくにその英国式教育の艦隊を破った幕府海軍出身の教官などは、旧来のオランダ・フランス式に戻せば良い、とまで言うほどに否定していた。海戦に勝利した自信がそう言わしめていた。
朝廷軍海軍出身の教官も内心はどうあれ、大方針として英国式の紳士教育は受け入れられないという点では異論はない。自分たちが英国式によって扱っていた下士官兵の働きぶりを思えばそれが不利であるという自覚があった。
アーチボルド中佐に言わせればそれは士官たちの練度が低く、gentlemanshipの素養に欠けていたからに過ぎない、ということになるが、素養に優れたはずの英国士官の監督を受けながらも「開聞(ユーライアラス)」は完敗し撃沈されたという事実の重みは変わらない。
けっきょくのところ、どう転んだところで小田原兵学校では英国式の「紳士教育」を受け入れる余地などなかったのだが、アーチボルド中佐は築地の前例を盾に自身のスタンスを曲げようとしない。
そこで一計を案じた島村教練監が提案したのが、漕艇競争というわけだ。
英国海軍も力を入れているという漕艇競技、それで一期生選抜が英国人を打ち負かせば本邦独自の教育の成果に他ならない――という理屈だ。
アーチボルド中佐もこの提案にのった。
どう転んでも小田原では「紳士教育」ができないというのは彼も理解している。ただ一方的に否定されたのではなく、一矢報いて正当性を確保した上でなら……要するに(彼自身のというよりも、英国海軍の)メンツが立つのであれば、それを受け入れるのに吝かではない。
漕艇競争ならば、まさか後れを取るおそれはないはず。よしんば後れを取ったとしてもそれは極東艦隊の失態であり、アーチボルド中佐の失点ではない。
次の極東艦隊の日本への寄港は七月に予定されていた。
その時に勝負をすることが島村教練監とアーチボルド中佐の間で約束され、その日まで海野らは昼夜を問わない猛訓練に明け暮れる。
地獄の日々が始まったのだ。
号令をかける阿世知の喉は早々に潰れ、先頭で拍子合わせの二本のオールを操作する鷲尾は腕が上がらなくなり、左右のオールを漕ぐ海野と山田はベンチの上で前後道を繰り返すあまり尻の皮が剥けた。
初日でこの有様である。
その夜、宿所では一期生が寝返りも打てず呻く声が耐えることはなかった。
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