(3)ちょっとした軋轢

「シェーラ。呼んだのは他でもありません。あなたと第三王子であられるサルファー殿下との婚約が正式に調ったと、コンサータ公爵家から連絡がきました。以後、そのつもりで配慮して欲しいとの事です」

 巫女長室に呼びつけられ、ヒュミラから告げられた内容をきいたシェーラは、素っ気ない感想を漏らした。


「はぁ……、そうですか」

「他人事のように言わないで頂戴。もう本当に、不安しか感じないわ。コンサータ公爵家にあなとの養子縁組を願い出たのは私自身だけど、一体何がどうなったらこんな事態に……」

(精霊王に続いて、あの腹黒王子に目を付けられてしまったせいです。巫女長、心労の種を増やしてしまって、本当に申し訳ありません)

 机に両肘をつき、頭を抱えて項垂れたヒュミラを見て、シェーラは心の中で詫びた。すると少ししてヒュミラが顔を上げ、話が事務的な内容に移る。


「本来であれば養女とは言え公爵令嬢、しかも王子殿下の婚約者ともなれば、通常は水晶館所属となるのが筋なのですが」

 そこですかさずシェーラが懇願した。


「それだけは本当に、勘弁してください。元平民の下級巫女が水晶館所属になるだなんて反発は必至ですし、揉め事の種が増えるだけです」

「……確かにそうですね。それでは所属館は、従来通り光明館とします」

「はい、宜しくお願いします」

(本当に、冗談じゃないわよ。これまでも散々、目障りだって理由で嫌がらせを受けてきたっていうのに。その連中の根城なんかで生活できますか)

 若干納得しかねる顔つきだったヒュミラだが、自分自身に言い聞かせるようにして話を締めくくった。シェーラはそれに安堵しながら巫女長室を出て廊下を歩き出す。しかし中庭に面した回廊を歩き始めたところで、こちらに向かって優雅に歩いて来る集団を認めて、小さく溜め息を吐いた。


(うわ……、ただでさえ気が重いのに最悪……。こんな時に出くわすなんて)

 しかしお互いの姿を認識してからあからさまに引き返すこともできず、シェーラは覚悟を決めてその集団に向かって歩いて行った。


「あら、シェーラさん。お久しぶり」

 集団の先頭にいたのは公爵令嬢、かつ上級巫女でもあるリリアーナであり、実家の権勢で王太子との婚約が成立してからは、神殿内でその権威に勝る者は主神以外存在しなかった。さすがにシェーラも面と向かって揉める気はなく、さり気なく回廊の端に移動して進路を譲りながら、頭を下げて挨拶する。


「……お久しぶりです、リリアーナ様」

「本当に、暫くお見かけしなかったうちに、随分と出世なされたみたいで。コンサータ公爵家と養子縁組されただけではなく、サルファー殿下との婚約が成立したのですって? おめでとうございます」

「ありがとうございます。私は今巫女長から話を聞いたところだったのですが、随分耳が早いですね」

「ええ。風の噂で耳にしまして」

「そうですか……」

 どうやら社交界では今回の話が相当面白おかしく噂されているのだろうなと、シェーラは考えた。するとリリアーナの背後に控えている取り巻き達が、好き勝手に囁き合う。


「そうは言っても、あのコンサータ公爵家ですから」

「爵位と格式だけは最上位ですが、国境沿いに僅かな領地を賜っただけで」

「かなり手元不如意なお家で、社交界にも滅多に姿をお見せになりませんものね」

「現王陛下との王位継承争いに敗れたお方がご当主だもの」

「でもその程度のお家柄だから、氏素性の知れぬ平民などと平気で養子縁組できるのではなくて?」

「確かにそうですわね」

 十分聞こえる声量で「うふふふ」「おほほほ」と嘲笑している彼女達を、シェーラは冷め切った目で眺めた。


(はいはい、好き勝手に言っていなさいよ。お義父様は権力争いなんかには全く興味がない、元巫女で伯爵令嬢だったお義母様と結婚できただけで満足しきっている、超幸せな人なんだから)

 するとリリアーナが、取り巻き達をやんわりと窘める。


「皆様、あの家をそう悪くいうものではありませんよ? 腐っても王家の血を引く公爵家の一員となれたことで、シェーラさんはサルファー殿下との婚約が成立したのですから」

「本当にそうですわね」

「そうでなければ、こんな分不相応な縁組など、成立するはずありませんもの」

「まあ、でも……。相手があのサルファー殿下なら、ある意味納得ですが」

「あの方は王太子殿下と違って、何の後ろ盾もない方ですから。王太子殿下を敵に回したくありませんから、まともな家なら縁組するなんて考えられませんわ」

「お気の毒なサルファー殿下に嫁ぐ相手ができて、重畳ですわね」

 引き続きコンサータ公爵家と婚約者を「あははは」「くくくっ」と嘲笑している彼女達を見ながら、シェーラは彼女達ではなく、この場にいない婚約者について考えていた。


(そうね。あの人畜無害な好青年を演じていやがる腹黒野郎は、あなた達のようなのは願い下げよね。周囲から変なのを押し付けられないように私を利用するなんて、本当にどうしてくれようかしら)

 心の中でそんな悪態を吐いていると、リリアーナが話題を変えてくる。


「ところで……、シェーラさんは公爵令嬢の立場で王子殿下の婚約者となられたわけですし……、この際、生活の場をお移しになるのですよね?」

「…………」

(ほら、やっぱりきた。本当に陰険なんだから)

 リリアーナがそう切り出した途端、取り巻き達は瞬時に口を閉ざし、剣呑な視線をシェーラに向けてくる。予想通りの展開にうんざりしつつ、シェーラは神妙に言葉を返した。


「巫女長からもそう勧められましたが、私は光明館での生活に慣れていますし、移動はせずに従来通り生活することにしました。これに関しては、巫女長からも了解を頂いています」

 それを聞いたリリアーナが、意外そうな表情になる。


「あら、まあ……。そうでしたか。これからはシェーラさんと親しく語らう機会ができるかと思っておりましたの、残念ですこと」

「……私も残念です」

(表情も口調も、全然残念そうに見えませんがね。少しは取り繕ったらどうなのよ?)

 台詞だけなら殊勝な物言いも、満面の笑顔で言われては興醒めである。シェーラはそれ以上余計な事は口にせず、黙って頭を下げた。


「それでは失礼します。ごきげんよう……、え?」

 そこで満足げに踵を返したリリアーナだったが、ふと目の前に複数のものが落下してきて、反射的に足を止めた。それは親指の爪ほどの大きさがある蜘蛛であり、自分の胸元や肩、頭や髪に無数にいることに気がつき、盛大な悲鳴を上げる。


「ひっ、き、きゃあぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!!」

(アスラン、やってくれたわね!? しかもこんな盛大にやらなくても!!)

 一人だけ正確に事情を把握したシェーラが密かに焦っているうちに、状況が更に悪化した。リリアーナだけではなく、取り巻きの巫女達にも無数に蜘蛛が落下し、甲高い複数の悲鳴が回廊に響き渡る。


「いやぁあぁぁぁぁっ! 蜘蛛、蜘蛛がぁぁぁっ!!」

「髪に、服に!! 誰か取ってぇぇぇっ!!」

「どうしてこんなに、一斉に落ちてくるの!?」

「あ、リリアーナ様!? 危ない!!」

「誰か、誰か来てぇぇぇぇぇっ!!」

(ああもう、仕方がないなぁ……)

 衝撃と恐怖のあまりリリアーナが気を失って倒れ込み、慌てて二人の巫女がその身体を抱きかかえる。さすがにこの状況を放置できず、シェーラはパニック状態で座り込んでいる彼女達に歩み寄り、その身体についている蜘蛛をつまみ上げたり手で払い落してあげた。


「皆さん、落ち着いて。この蜘蛛なら、毒は持ってませんよ」

「毒蜘蛛なんて冗談じゃないわよっ!!」

「今綺麗に取りますから。はいはい、皆、どいてね~」

「嫌ぁあぁぁぁっ! 素手で蜘蛛を触るなんて、やっぱり下賤な人ね!」

 蜘蛛を取り除いてあげているのに、感謝するどころか罵倒してきた相手にカチンときたシェーラは、手元の一匹をつまみ上げてその顔目がけて放り投げる。


「……あ、手が滑った」

「きゃあぁぁぁっ!!」

「あ、ジュリア様!」

 シェーラが投げた蜘蛛は見事に狙った相手の鼻の頭につき、それを認めた巫女は金切り声を上げて失神した。その頃になって、漸く騒ぎを聞きつけて人が集まって来る。


「どうしましたか!?」

「リリアーナ様、ジュリア様!! どうしました!?」

「早くお二人を、医務室に運べ!!」

 とんでもない喧騒に包まれた回廊からシェーラはこれ幸いと抜け出したが、少しして再び巫女長室に呼び出された。



「……というわけです。確かに手が滑って、通路に放り投げるつもりだった蜘蛛を、ジュリア様の顔に落としてしまったのは私のミスです。それに関してのお叱りは受けます」

 シェーラはヒュミラから、大量の蜘蛛落下事件についての説明を求められた。リリアーナ達が平常心を取り戻してから、この事態が自分のせいだと難癖をつけ、散々悪しざまに罵ったのだろうと察したシェーラは、正直に包み隠さず事象を説明する。もとより、リリアーナ達の言いがかりに過ぎないだろうと考えていたヒュミラは、あっさりと頷いて話を終わらせた。


「いえ、もう良いです。事情は分かりました。もう戻って宜しい」

「それでは失礼します」

「…………」

 巫女長室を出る直前、ヒュミラが無言で胃を押さえるのを目撃してしまったシェーラは、心底申し訳ないと思いつつ彼女に同情したのだった。



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