またな

@sekisei_9

またな

 

 正直、どうしてこんなことになったのか、分からない。

 分かりたくもなかった。

 ただ、逃げたかった。

 それでも自然と足を動かして一心不乱に走ったのは、その瞬間、少しだけ。

 光の気持ちが分かったからかもしれない。


『お前にはほんとに世話になつた。とうとう心を決めるときが来たみたいなんだ。それで……良かったら、最後にもう一回だお前と話せたらなって。……明日……のつもりなんだけど。そのつもりだから、良かったらいえい来てほしいなって。ばかかな、俺。 いまままで、ありがとう ― ひかる


 突然届いたその誤字脱字の目立つ文章は、とても意味を成したものではなかった。

 それでも俺にはその全てが理解できた。

 だから、雨風も夜の暗闇も構わずに家を飛び出した。

 硬直した体はそれを拒み続ける。俺だって、そうはしたくなかった。できるなら家にずっと引きこもって現実を見たくなかった。

 それでも足は動いた。自分の意志とは反対に、足だけが速さを増して動く。


 ああ、こんな日が雨で良かったとさえ思える。

 いや、こんな日って何だ? 何もないはずなのに。なんだ? なんだ? なんだ?

 ……いや、落ち着け。落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。

 そうだ電話。

「あ」

 震える体は、手は、それを許さない。友人一人に電話をかけることすら?

「……あ、ああ……ああ……」

 だめだ。落ち着け、落ち着け、落ち着け。深呼吸だ深呼吸。ああなのにどうして息ができない。こんなことは今更じゃないか。何も珍しいことじゃないはずなのにどうも心臓がバクバクと跳ねる。



 なんて情けない。友人の家に泣きながら入ってしまいには倒れこむなんて。ああああ。

 それでも声を絞らないと。

「あ、ああ……あ……あ……ひ……かる……ああ……」

 ゾンビのように床を這って進む。

 ああ、ああああああああ、だめだだめだだめ……。

「あ、いらっしゃい。……ど、どしたんだ、その恰好……」

 俺の向かっていた部屋から出てきたのは友人の光。あれ、なんだ? なんで? い、いや、違う。違うって何が? あれ? 

「なんで……」

「ごめん。想像以上に驚かせたみたいだな。と、とりあえず泣き止め? な? 雨の中傘もささずに来たのか。……やっぱり言わないほうが良かったのか……?」

 あ、いや、そんなことはない……。だめだ。言いたいことが笑えないくらいあるのに声が出ない! 言わないといけないのに!

「……だめだ……!」

 掠れて全然だめだ!

「そういうと思った」

 何で笑うんだ。なんで、笑う。

「まあ落ち着けって。ほら、シャワー浴びてこい。そのまま家に上がられたら部屋中水浸しだしな」

 ああ、それは悪かった。ああとりあえず頭冷やさないと。



「で、えっと…………何から話せばいいんだ?」

 俺は俯いたままそれに答えない。少し笑って場を明るくしようとしてもこの状況はそれを許さない。そんなことできるはずがない。光が一番よく分かってるはずなのにな。

「な、なあ。これ、見つけてみたんだけど……見てみない、か?」

 …………。

「………………」

「じゃ、じゃあとりあえず、一ページ目から……。……ほ、ほらこれとか一年の時のだよまだ仲良くなりたての頃の……」

 ……。

「な、なぁ! それじゃ楽しくないって……。さ、最後くらい笑って過ごそうぜ? な?」

 は?

「…………最後ってなんだよ?」

 重すぎる空気は喉を閉めていく。それが良くないことだとは分かっていた。

 床に散らばっているアルバムの中にすっと手を伸ばして、一冊開いてみる。

「あ、あ、これ……」

「あ、これは中学の時のか? オレ今高校の時のやつ見てるから、そっちから順にみていくかー」

 どうして何ともないような声でそんなことが言える。今まではずっと泣いて部屋を無茶苦茶にして、毒を吐いて、すぐにでも。

 なのに今は今日だけはどうしてそんな様子で。

「み、ろよこれ」

 ばかをやっているところを先生に撮られた一枚。クラスのお調子者としてみんなを笑わせていた光。その整ったルックスで格好のつかないようなことばっかりやっていた。

か。

「おーそれ、ちょー懐かしいじゃん! どれどれ……ほらここ! オレに呆れて後ろでパソコンいじってたお前。この日結局お前オレと一緒に回ってくれなかったよなー」

 ダメだ。

「あ、いやだってさ。俺あの日雛ちゃんに誘われたからなー。そら友達より女の子優先でしょ」

「えー別に好きでもなかった子だろ? まあ、そりゃ女の子優先かー」

 うん、やめろ。

「あ、寄せ書き……」

 光がアルバムの最後の方のページを開く。

 ああ、ああ。

「そう、いえばこんなの書いたな」

「どれどれ…………。『三年たったな。どうせ次も一緒なんだから、書くこととかねーよ。まあ、ありがとう』か」

 なんだよまあありがとうって。これは俺の方がダメだった時だな。そうか……。

「返事でも書いてみるか?」

 光は机からペンを取り出して自分のアルバムに書き込む。「こんなんどうだ?」と楽しそうにアルバムを掲げて見せる。

『また三年たったな。それに、もう次は一緒じゃないけどなんか書くことある?笑 まあ、オレもありがとう笑』

 笑笑うるさいな……。

「これ、お前にやるよ。あとは好きにしてくれ」

 力強く、アルバムを押し付けられる。

 受け取らずに、話し合え。ダメだ。

 仕方なく受け取って、床に置く。

「次は、高校のやつか?」

 そう発したのは光ではなく俺だった。


 その後はひとしきり思い出の写真や物を見て回った。それに飽きるとゲームをしたり。笑って、楽しい時間を過ごせた。

 これで、……?

「はあー、遊んだ遊んだ!」

「そうだな。ちょっと眠いかも」

 もう二時だ。

 カチッ、カチッ、カチッ。

「寝るか?」

「そうだな……」

 光は床に布団を敷き、そこに枕を二つ用意した。

 俺はまだベッドの上に寝転がったまま。動かず。

「おい、お前こっちで寝たら?」

「いや、今日は床で寝よ」

「いや、俺が床でいいから……」

「そうじゃなくて……」

 口ごもる光を見た。どこか悲しそうに笑っている。

 だめだだめだ。

「床で一緒に寝よう、ぜ?」

「急にどうしたんだ……?」

 思わず眉をひそめる。でも光はおかまいなし。

「ほら、早くこっちこいよ」

 いやいや。

 仕方なく、光の隣に移動する。眠たいから横になる。

 光も横になる。

 パチッと電気が消えた。目が慣れるまでは何も見えない。

 徐々に光の輪郭をとらえていく。光もさっきまでと変わらずこっちを向いている。

「寝れないのか?」

 当たり前だろ。

「ああ、男と同じ布団で寝るのは思ったより心地が悪い」

 光はハハと笑う。

「じゃあさすがに手をつないでくれたりは……しねえか」

 いや、手くらい繋ぐ。

「当たり前だ」

「だよなー」

 もう、戻れないんだろうか。諦めるしか、ないのか。永遠に明日が来なければいい。そんなことあってはならない。絶対にだめなのに。もう……。

「……光、座れ」

 ずっと見てきたからわかる。泣きそうなんだろ。もう涙が溢れそうだ。不安に煽られて、心臓を悪魔に握られて、苦しくて苦しくて仕方がないんだろ。俺はその感覚を知らないけどお前がずっとそう言うから。お前が苦しんでることだけは分かる。分かるんだよ……。

「な、んだ……」

 光に抱きつく。思いっきり。絞め殺すように強く。

「ちょっ! と、痛い痛い。な、に……?」

 もう光は泣いている。

 俺は何も言わず、ただ光の背中をバンバンと強く叩く。

 光も俺をより強く抱きしめる。そして背中を叩く。

 繰り返すうちに、どんどん強くなっていく。それでよかった。その痛みが、冷静さを呼び戻し続けた。抱き合っていることで、ただ光の体温が、鼓動が、存在が感じられた。それは必要なものだった。でも同時に最悪でもあった。どうしても実感してしまった。

 泣き疲れて流石にもう起きてはいられない。もはや頭では何一つ考えられないほどだ。光ももう寝てしまった。だから俺ももう寝た。


 朝が来た。起きた瞬間涙が溢れるかと思った。が、すでに涙は枯れていた。光……? そこにいない。だめだどこにいった。

「ひか……!」

 扉が開いて、光は帰ってきた。

「あ、起きたのか。おはー」

 あ、あ、お前……。

 ……もう昼前だ。昨日寝たのが遅すぎた。ああでもこれはいい。ちょうど腹が減ってる。

「なあ光、腹減っただろなんか食おう……」

「荷物……まとめておいたから」

 俺の話をさえぎるな! これは大事なことなのに!

「な、なな、なあ……」

 だめだだめだだめだぜったいにダメだ!

 右目はもう使えない。見てはいけない絶対に。視界に入れるわけにはいかない。それが何なのか理解するわけにはいけないのに。

 俺は、諦めた。絶望することを諦めた。

 ただ光に近づく。昨日やったみたいに思いっきり抱きしめて背中を叩く。

 涙はもう枯れているのだ。

明人あきと、ありがとう。じゃあな。流石にお前に見せるもんじゃないから、ここでさよならだ」

 そうだな。もう無理だ。

「うん、うん」

 もう耐えられなくなって、部屋を出る。

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………………………………………。

「なあ明人。流石にさよならは寂し過ぎね?」

 そうかもしれない。でもそれ以外に何がある。さよなら以外の何物でもないのに。

 扉を開け、再び光を見る。

 一段高いところにいる光は部屋に雨を降らしている。

「次はいつ会えるだろうな」

 もう会えない。

「『またな』これで別れよう」

「そうだな」

 もうそう言って笑うしかない。

「それだけ言ったらすぐにこの家を出て行けよ」

「うん」


「「またな」」

 

 別れにふさわしい儚い笑顔にうっすら自信をのぞかせて。

 ガチャリ。

 扉を閉めたら、逃げるように家を出る。

 そして、何もなかったかのように家に帰るのだ。


 

 本当は初めからこうなることを分かっていた。昨日あの日一目光を見た瞬間肌で感じ取った。今回はもうだめだと。そして絶望したふりをした。そうすれば未来を変えられるかもしれないと無意識にでも思っていたのか。悲しさも虚しさも絶望に押し込めた。そして最後には絶望することを諦めた。

 光はこんな俺をどう思っただろう。見捨てたわけじゃないでも見捨てたも同然だ。俺は何もできなかったのか、何もしなかったのか、最善を尽くしたのか。これは最悪の結果か、あいつにとっては幸せな結果だったのか。涙を流していたやつが、まさかうれし泣きじゃないだろう。ああ、あああダメだ、考えるな。いや、だめだ。考えないといけない。考え続けて生きて行かなければいけない。忘れて生きることなど許されない。

 それでも今だけは考えてはいけない。考えたくない。余計なことを想像してしまう。落ち着いて冷静にならないと。

 

 何が良かったかなんてわからない。過去は変わらない。過去は消えない。

 でも、だから、俺は。思い出を胸に、生きて行くしかない。


 太陽の下であらゆるものは天に昇る。

 もう涙は、枯れている。

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