古本と偶然、不思議な京都
酸味
古本の中に挟まれたそれ
古本というものに私は特別なものという感覚を抱いていた。
もちろん古本だろうが新品だろうがその中身に違いはない。ちょっとした装丁の違いや漢字の使い方が異なっている場合はあるけれど、だからと言ってタコのことを語っているはずの本が古本だとイカについてのことを語っていることなど普通はない。見たことない。
この特別感は私の個人的な経験によるものでした。例えば神保町の古本市で約束もしていないのにたまたま同じ日同じ時間にサークルの友達に遭遇したり、欲しい本がほとんど捨て値で売られていたり、古本をめぐっていろいろな偶然を経験してきた。その中には本に挟まったままのメモやしおりや、鉛筆での書き込みなどもある。
そんな偶然のなかで一つ、本に挟まったメモに関する偶然について語ってみたいと思う。
□
それは私が高校生の頃だった。その頃は今よりもお金なんて持っておらず、好きな作家だろうがよくわからない作家だろうが、興味深そうな新書や枕にするくらいにしか役に立たなそうな新書の区別なしにすべて古本屋で済ましていた。しかもその古本屋というのは神保町とか町にあるような古めかしく小ぢんまりとしていて、しかしひどく心安らぐ、いわゆる「古本屋」ではなかった。それは「古本屋」にとって最大の敵だろう某セカンドハンド専門チェーンだった。だからそれを古本屋と呼ぶのは少し抵抗があるけれど、売られているものは古本に違いないから、このまま語らせていただきたい。
その日私が買ったのはそのころから嵌り始めていた、京都を舞台にした作品を主に書く作家の作品だった。その人の作品は現実なのかファンタジーなのかよくわからないまま進んでいくものが多く、たぬきやきつねといったかわゆいものに化かされたような感覚があるのが特徴で、文体は古めかしいものの全体的にやわらかく、朗らかとした作品が多かった。
ストレスフルな現代に心すさんだ高校生の私は一時の心の休息のためにそのようなやわらかく、温かいものを求めていた。だからその作者の作品にすごくのめりこんだ。
そうしたわけで手にした古本であったが、その頃は受験真っ盛りの時期でありゆっくりと本を読む時間もなく、積読したまま時は流れていった。それを読み始めるようになったのは一般受験から指定校推薦に逃げた九月のころからである。そして初めて、メモを見つけた。そのメモに複数の手癖で書かれた文字と、それが書かれたらしき複数の時間、複数人の名前、作品への感想、すごく小さな落書きであったけれど鴨川と題された、河原に並ぶ等間隔の人々が数枚の紙に書かれていた。
見た瞬間にこんなことをする人たちが、今までこんなにもいたのかと思った。この本が世に出たのは六、七年前であったが七人の人の手に渡り七人の言葉が挟まれていた。なんだかそれはすごい偶然に感じられたし、すごい運命のようにも思えた。
本を読み終えて、最後に奥付に住所とそれにつけられた一文に気づいた。
「鴨川ブックカフェ、もしこれを手に取った同士は語り合いに来てください」
もうすでに私の脳はその文字列のとりこになっていた。夢か現実か不明瞭な作品によって、夢か現実かわからないような出来事がもたらされた。まるで作品世界に自分が引き込まれたような気がしたのだ。私の心は完全に、有頂天になっていた。
そうして私はそれをきっかけに、お金があまりないながらも京都に行こうと決意したのだ。
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