瓦礫の街と奇跡の本屋

ウムラウト

瓦礫の街と奇跡の本屋

「ほら、あそこにあるよ。見えるでしょ?」


 クレアは、ノエルの指さした方向に目をやった。

 灰色の空に映える、赤い看板がかすかに見える。その看板には、『BOOKS』という掠れた文字が書かれていた。


「うそ、本当に本屋!? でも、こんなところに何で?」

「わからない。でも、気になるでしょ? ほら、行きましょ!」


 ノエルは、困惑していたクレアの手を引きながら歩き始めた。


「シェルターには私たち以外にも本が好きな人がいるし、きっと無駄にはならないはずよ」

「そうだね。でも、下手に屋内に入るのは危険じゃない? この街はかなり放射能汚染されてるって聞いたよ」

「大丈夫だよ。忘れたの? 私たちは防護服を着てるし、クレアと放射能計を持ってるじゃない。危なかったら、すぐ逃げれば大丈夫よ」

「でも、本当に勝手に持って行って良いのかな? 何か、抵抗あるなぁ……」

「あのね、この街に住んでる人なんてもういないのよ? みんな避難したり、死んでるわよ。そんなの気にするより、シェルターで待ってる人達の事を考えたら?」

「そうだったね……」


 クレアは悲しそうに頷いた。彼女は生まれてから、一度も外の世界を見たことがなかったのだ。彼女達が住む地下シェルターでは、本や映画や音楽が、唯一の楽しみだった。

 彼女は特に本が好きで、シェルター内の図書館で何度も読みふけっていた。

 ノエルも同じシェルターに住む少女だった。彼女も本好きで、クレアとよく本の話をして仲良くなった。二人は同じ年齢で、同じ学校に通っていたこともあり、いつしか親友と呼べる関係になっていた。


 そんな日々を送っていたある日、二人はシェルター内の掲示板で見つけたメッセージに興味を持った。


『明日、午前10時から“地上探索隊”が出発します。参加希望者は申し込みフォームに記入してください』


 二人は迷わず申し込みフォームに名前を書き込んだ。“地上探索隊”というのは、シェルター外の状況を調査したり、残された資源などを回収する任務であった。

 シェルター内では、皆何らかの労働に従事しなければならない。その中でも“地上捜索隊”は危険性が高く志願者が少なかった。だが、二人は冒険心と好奇心で参加することを決めた。申し込みフォームに名前を書き込んだ時は、さながら冒険小説の中の主人公達になった気分だった。


 そして今日がその日だった。

 二人は、他の隊員と共に防護服を着てバスに乗り込んだ。バスはシェルターから出発して約一時間後に目的地に到着した。


 目的地というのは、シェルターのある山の麓にある旧市街地だった。

 バスから降りると目に飛び込んできた光景は荒廃と寂寥だった。ビルや家や車が、ボロボロに崩れ落ちて瓦礫の山と化していた。道路や歩道は亀裂や穴だらけで、空気は灰色。マスク越しに吸い込んだ空気も、どこか酸っぱかった。

 そして、旧市街地を探索していた時、冒頭の本屋を見つけたのだ。


「ここが昔の人々が暮らしていた場所なの?」


 本屋に向かいながら、辺りを見渡したクレアは信じられないように言った。


「そうだね。でも、あれから50年も経ってるからね。核戦争が起きてから」


 ノエルは悲しげに言った。


「核戦争か……」


 その言葉は、クレアも本で読んだことがある言葉だった。世界中の国が、互いに核兵器を使って攻撃したという恐ろしい出来事だった。

 地上が無数の小さな太陽によって焼き尽くされ、その結果多くの人々が死に絶え、生き残った人々も放射線から逃れる為に、地下に逃げ込むしかなかったという。

 そんな話をしていると、いつのまにか二人は目的の本屋の前に辿り着いた。


「でも不思議……他はボロボロなのに、この本屋はどうしてこんなに綺麗に残ってるのかな?」


 クレアは赤い看板に目を戻した。


「わからないよ。でも、誰かが大切にしてたんだろうね」


 ノエルは微笑んだ。


「さあ、行こうよ。入ってみよう」


 二人は手をつないで本屋に向かった。


 本屋のドアは開け放されていた。中に入ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。

 本棚が壁一面に並んでおり、その上にも本が積み上げられていた。本棚の間を通り抜けると、さらに奥にも部屋があり、そこにも本が山積みされていた。

 とても、核戦争後に残されたとは思えない、綺麗な本屋がそこにはあった。


「す、すごい……こんなに沢山の本があるなんて! シェルターの図書館なんて、目じゃないよ!」


 クレアは目を輝かせた。


「どれどれ……これは何かな?」


 ノエルは手近な本棚から一冊取り出した。表紙には『1984』というタイトルと『ジョージ・オーウェル』という作者名が書かれていた。


「あ、これ読んだことあるよ。ディストピア小説だよ」


 クレアは言った。


「ディストピア小説?」


 ノエルは首を傾げた。


「うん。理想的ではなく悪夢的な社会を描く小説のことだよ」

「へえ……それって面白いの? 聞いた感じ、すごく暗そうだけど」


 ノエルは興味深そうに言った。


「うん。すごく面白いよ。この本では、ビッグブラザーという全能の指導者が支配する社会が描かれてるんだ。人々は常に監視されてて、思想や言葉や行動が制限されてるんだよ」


 クレアは、小説の内容について熱く語った。


「な、なんかそれって怖いね……」


 ノエルは、クレアの説明に身震いした。


「でも、主人公のウィンストンという男性はそんな社会に反抗するんだ。彼は秘密裏に日記を書いたり、恋人と逢瀬を重ねたりするんだよ」

「それって素敵だね……」

「でも、結末は悲惨なんだ。彼らは捕まって拷問されて洗脳されるんだよ」

「ええっ……そうなの!?」

「うん。最後に彼らはビッグブラザーを愛するようになるんだよ」

「それってなんか悲しいね……けど、面白そうだね」


 二人はしばらく本屋で本を見て話して過ごした。他にも色々な本があった。古典的なディストピア小説から現代的なラブコメ小説まで。二人は、本の山を眺めながら共通の趣味の話で盛り上がった。


 しかし、その楽しい時間も長く続かなかった。突然、放射能計が警告音を鳴らしたのだ。


──ジジッ、カリカリカリ!


「な、何?」

「クレア、どうしたの?」


 クレアが放射能計を見る。その画面には、赤い数値が表示されていた。それは、周囲の放射能が危険域に達した事を知らせるものであった。


「大変、ここから離れないと!」


 その表示を見たクレアは、ノエルの手を引くと、急いで本屋を出た。本屋から離れるに従って、放射能計の数値は下がっていった。

 そしてある程度本屋から離れた所で、二人は名残惜しそうに本屋を振り返る。


「はぁ、はぁ……せっかく宝の山を見つけたのになぁ……」

「ざ、残念だけど諦めるしかないわクレア」

「そ、そうだね……はぁ、口の中が気持ち悪いなあ」

「でも……ほら、この本は持って来れたわよ」

「あ、それってさっきの!」


 ノエルは、一冊の本をクレアに掲げる。それは、先程話していた『1984』というタイトルの小説だった。


「これで、またクレアと同じ本の話ができるね!」

「良いね! それは凄く楽しそ──」


──ジジッ、カリカリカリ……


「「 …… 」」


 クレアがノエルに近づくと、放射線計の数値が上がり、逆に離れると数値が下がっていく。

 その様子を見たノエルは、悲しい顔をしながら本をその場に捨て、クレアの手を引いて歩き出した。


「……あの本屋が綺麗な理由、分かったかも」

「えっ、どういうことノエル?」

「あの本屋、ホットスポットになってたでしょ? だから、他の人達が近寄らないのよ」

「それと何の関係があるの?」

「この50年で、この辺は全部調べ尽くされてる筈でしょ? でも、あそこは放射能が強いし、本も汚染されてるから、誰も手を出して無い……だから、あそこまで綺麗だったのよ」

「なるほど。逆に他の建物がボロボロなのは、僕らシェルターの人間が、資源を回収したせいなのかもね……」

「そういう事。普通、メンテナンスとかで人の手が入らないと、建物はどんどん劣化していくけど、この場合は逆ね」

「それにしても……ああ、惜しいなぁ。あそこにはどんな物語や知識が眠っていたんだろう? きっとシェルターの図書館より、遥かに優秀だよ」

「これが、本当のディストピア?」

「何か違う気がする……」

「そう落ち込まないでクレア。もしかしたら、他の所にも本があるかもしれないでしょ?」

「だとしても、さっきの本屋ほどじゃ無いと思う」


 灰色の空の下、二人は旧市街地の探索を続けながら、会話を続ける。


「それにしても昔の人は凄いね、ノエル?」

「何が?」

「本よ。小説とか物語、知識を文字や文章で綴るなんて、どうすればできるんだって話よ。今の人は、そんな事しないでしょ?」

「そうね」

「はぁ、図書館の本は殆ど読んじゃったからなぁ……新しい本が読みたいよ」

「……あっ、そうよ!」


 先程の本屋の事を考え、落胆するクレア。その様子を見ていたノエルは、ふと閃いた顔をすると、クレアの手を取った。


「そうよ、無いなら作れば良いじゃない!」

「えっ、何を!?」

「何って、本よ本! あなたが書けば良いじゃない」

「ええっ!?」

「例えば、今回の“地上探索隊”での出来事とか、何か書いてみれば良いじゃない! 無いものを探すより、作る方が確実よ。皆んなも娯楽に飢えてるし!」

「わ、私にできるかな? 自信ないけど」

「私も手伝うから! 本好きの二人が協力すれば、きっと上手くいくはずよ!」


 その時、灰色の空の切れ目から陽の光が差し込み、まるで二人の決意を祝うかのように先程の本屋を照らした。

 初めて見る陽の光。その美しさに二人は呆然となり、その光景を脳裏に焼き付けた。


「……この光景を、皆んなにも知ってもらいたいな」

「いいじゃない。クレアならできるわ」

「よし、書こう。上手くいくかは分からないけど」

「何てタイトルにするの?」

「瓦礫の街と奇跡の本屋……とか?」

「そのまま? けど、良いんじゃない?」


 その後、彼女達の書いた本がシェルター内で話題を呼び、“地上探索隊”への志願者が増加。人手が増えた事により、回収される資源や、本などの嗜好品が増える事になるのだった。

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