体験小路(エクスペリエンス・アレイ)

@ns_ky_20151225

体験小路(エクスペリエンス・アレイ)

 ようこそ、『体験小路エクスペリエンス・アレイ』へ。

 ここに来るのは心も体も忙しい人ばかり。でも、忙しいなりになにかを得ようとしている。

 その手助けをするのがわたし。さあ、今夜もひとり。


「初めてなんだが、頼むよ。楽しいのを」

 かなりのお年寄り。目つきがどんより。こういう方こそお役に立てる。

「どのような種類の楽しさでしょう? 例えば恋愛要素は必要ですか。冒険はいかが?」

「両方ともいらない。そういう楽しさはちょっと違う」

「なつかしさは加えますか? 少年や青年時代の」

「いやいや、歳に不満はないさ。今の自分が楽しいと思えるようなのを頼む」

 わたしはうなずいた。手で装置を示し、頭を固定してもらう。すると目に向かって細く絞られたビームが照射される。目は脳の一部といってもいい。巧みに編まれた情報が脳に直接書き込まれる。

 この場合はお客様の要望に合わせた楽しい体験だ。いや、記憶ではない。お客様を理解するためにいろいろと質問するので誤解されやすいのだが、どこかでなにかをしたという偽の記憶を植え付けるのではなく、なにか楽しいことがあったな、というふわっとした感覚を与えるのだ。だからこの処置を受けても記憶の混乱による害はない。ただただ純粋な楽しさを体験するのみ。

 また、そこらの安っぽい奴らのように脳の快楽中枢や報酬系を刺激するのでもない。この処置で味わえる楽しさはもっと高度で知的な領域を用いるものだ。だから、時間を積み重ねた大人であるほど効果がある。


 ほら、お客様が生き生きとしてきた。混じりけのない楽しさ。記憶という余分なもののないエッセンスが老人を楽しませている。


「ありがとう」

 終わると、声まで違っていた。

「これはどういうものなんだい? ちょっと教えてくれないか」

 わたしは装置とそれが行うことを説明した。老人は感心したように聞いていたが、料金を払って立ち去る前に一言。


「そうか、ここは本屋なんだ」


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