ありふれた特別な言葉

ネオン

本屋に入ってみた

 会社に行く以外に外出することがないことに危機感を覚えた俺は、運動不足解消のために散歩することにした。


 目的もなくただ歩く。


 曇り空だが、風は無く、歩いていると寒さをそれほど感じない。寒さが和らぎ、もうすぐ春が来るのだろうと直感する。


 一人暮らしを始めて10年ほど経つが、目に入る景色がすべて新鮮だった。それも当然のことだ。通勤や帰宅の時には憂鬱さや疲労で周囲の景色を見る余裕なんてない。こんなにじっくりと街を見るのは初めてだ。


 よく聞く名前のコンビニたち。新しそうなパン屋。おしゃれなイタリアンレストラン。超有名なファストフード店。車がたくさん止まっているスーパーマーケット。お財布にやさしい雑貨屋。手ごろな価格の服屋。


 住み始めて10年目にして初めて、生活に便利な土地に住んでいることに気づいた。会社への通いやすさと実家への行きづらさを考えて決めたため、周囲の環境は考えたことはなかった。


 じっくりと周りを観察しながら、でも不審に思われないように歩き続ける。


 不意に本屋が目に入った。


 子どもの頃から何度も目にした大手のチェーン店だ。一抹のなつかしさと息苦しさを感じた。


 少しためらった後、重い足を何とか動かして、本屋の中に入った。


 目の前には無数の本が並んでいる。


 自分が本屋に足を踏み入れることができたことにほっとした。何のためらいもなく店の奥へと足が動く。


 漫画コーナーをざっと見て回る。


 見慣れたタイトルはほとんど見つからなかった。浦島太郎はこんな気持ちだったのだろうか。


 小説コーナーに移った。


 やはり、見知らぬ著者ばかりだ。


 本に関する情報をシャットアウトして10年。


 10年という月日の長さを実感した。日々の仕事に精いっぱいで、テレビもネットもほとんど見なかったから、時の流れを感じることがなかったからだろう。仕事がない日は、家事をやる以外はベッドで死んだようにぼんやりしていた。


 ライトノベルが並ぶ本棚の前で立ち止まる。


 懐かしさでじっくりを見ていると、見たことがある名前が目に入った。


 その途端、昔の記憶がよみがえり、嫉妬の感情が沸き上がってきた。



 俺は、高校時代、ネットに小説を投稿していた。


 目の前に並ぶ本にはその時に交流していた人の名前が書かれていた。当時の俺のネット上の知り合いの中で、1番仲が良かったのが彼だ。と俺は思って居る。きっと彼の記憶にはないだろうが。


 子どもの頃、俺は小説家を志していた。理由は単純、小説が好きで、表現したい世界が自分の中にあったから。


 だが、その夢は高校卒業と同時に捨てた。


 捨てざる負えなかったのだ。


 中学1年生の夏、親に自分の夢を話したら鼻で笑われた。そして、『お前なんかになれるわけないだろう。馬鹿なこと言ってないで、勉強に集中しなさい』と言われた。


 それでも小説家になる夢は捨てなかった。


 中学2年生の秋、親友に裏切られた。信頼していた親友に小説家を目指していることを話して、彼も応援してくれた。嬉しかった。けど、彼は陰で俺のことを馬鹿にしていた。嘲笑われていた。


 それでも、小説家を目指し続けた。


 中学3年生の夏、本をすべて捨てられた。俺の成績が悪かったから、勉強に集中させるために親が全部捨てた。進学校に俺を入学させたかったようだ。だが、俺は期待に応えることができなかった。親は俺の目の前で大きなため息をついた。


 それでも小説家を志した。


 高校1年生の冬、家に遊びに来ていた友達に、小説を書いているノートが見つかって、クラス中に言いふらされて、卒業までずっと笑いものにされた。


 それでも小説を書き続けた。


 高校2年生の夏、親に小説を書いていることがばれて怒られた。『くだらないことに無駄な労力を割いてるから勉強できないんでしょ。馬鹿なことは今すぐやめなさい』って怒鳴られた。


 それでも創作活動を辞めなかった。


 高校3年生の秋、就職が決まった。でも、親の望む進路ではなかったため、ため息をつかれた。『小説なんて書いてるから大学に行けなかったんだろ。才能ないくせに無駄なことして、時間の無駄だ』と親に冷たい言葉を掛けられた。


 結局、俺は小説を書くのを辞めた。


 今まで言われてきた言葉が次々とフラッシュバックして、精神的に小説家を目指すことができなくなった。


 ネットに投稿していた小説には、ブックマークが数十件ついていたが、削除した。仲よくしてくれた人が多くいたSNSもすべて削除した。本に関する情報をすべてシャットアウトした。



 こんな俺には嫉妬する資格はない。でも、どうしようもなく嫉妬してしまう。


 小説を書き続けていたら、もしかしたら、俺も小説家になれていたかもしれない。


 それをしなかったのは、書き続けなかったのは自分なのだから、俺には何も言う資格がない。


 自己嫌悪。どうしようもない自分に嫌気がさす。


 成功した彼の小説は4巻まで出ていた。第1巻を手に取る。


 表紙を見て、あらすじを見て、そして、あとがきを見た。


 そこに書かれていた言葉に目を見張る。


『今の自分がいるのは、ネットで知り合った、同じく小説家を志していた人のおかげです。その人は、私が自分の文章に自信を持てないときに、『おもしろい』ってコメントをしてくれたんです。私はその一言に救われました。彼は急に消えてしまい、今はもう連絡を取ることができません。だから、この場でお礼をさせてください。コメントをしてくださってありがとうございました。私はあなたの書く小説が好きでした。いつかまたお話しできたら嬉しいです。』


 俺は彼の小説を4冊手に取ると、会計を済ませて、店を出た。


 足取りは軽い。


 ふと空を見ると、雲の隙間から、きれいな青色がのぞき始めていた。


 帰ったらパソコンを開いてみようか。
















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