4.擬装従者は身を尽くす

4-1

 王太子が設けた期限はひと月。

 第一に、事件の首謀者を詳らかにし、その証拠ないし首謀者の自供を引き出す。

 第二に、婚約者及びそれに準ずる者を用意する。

 王太子が戯れのように付け足した「隠し子のようなもの」は存在しないので、それについては論外である。


 出された二つ目の条件、婚約者について、正直に言えば少しも気が進まない。

 ヴィクトリアとて貴族の娘である。爵位を継ぐ、その先に後継という問題があることについてはわかっているし、いつか伴侶を迎え後継者をつくる必要があることも十分理解はしているつもりだ。


 しかし、次期当主と目され、やや適齢期を過ぎている感のあるヴィクトリアだが、それについて両親から何かを言われたことは無い。

 父も母も、いつだって「ヴィクトリアの好きにしなさい」と言ってくれていた。これまでに婚約者の一人もいなかったのはそのためだ。

 おかげで学問に励み事業を手掛け、この国でこの時代に生きる女としては相当自由にやりたいことをやってきた。恥じるつもりも無いし、後悔もない。


 だが、こういう状況になると少々困ることは事実だ。


 将来を誓い合うような特定の誰かがいれば話は早いが、そういった相手はいない。

 であれば、ヴィクトリアが今の段階で婚約や結婚を望むとなると、通常であれば誰か、あるいはどこかの家に仲立ちを頼む必要がある。


 ところが、現在リデル家は厳密に言えば爵位が無く、貴族ではない。

 爵位を有する者及びその親族、それがこの国における貴族であるための条件である。

 よって現時点でのヴィクトリア・リデルは平民、あるいはどちらとも言えない曖昧な何か、ということになる。


 ダンテやセオフィラスのような親族や顔見知りであれば、目こぼしで普通に対応してくれるが、他家ではそもそも無視や門前払いを食らう可能性の方が高い。

 その上、あの夜会の場では多くの者があの顛末を目にしていた。あの場にいなかったものも含め、既に貴族階級に在る全ての者がヴィクトリア・リデルと置かれた現状を知っていると思うべきだろう。

 あの王太子、リチャード・テニエルに楯突く女、という風評と共に。


 通常の感覚を有していれば、そんな女には関わらない、という選択をするはずだ。もしヴィクトリアが当事者でなかったならそうする。

 むしろここでヴィクトリアに関わりたいと思う人間がいれば、それは身を滅ぼしかねないほどのお人好しか、まともではない嗜好の持ち主である。どちらにせよ関わるべきではない。


 となるとやはり婚約者を用立てて貰うとすれば、親族筋に頼むことになる。

 が、まず確実にセオフィラスがしゃしゃり出てきそうな気がする。

 セオフィラス・キャロル、あるいはキャロル侯爵家。どちらにせよ無視できる人間はそう多くない。

 そうすると、なんとなく釈然としない未来が見えてきてしまう。

 セオフィラスと添い遂げる未来、というのはどうしても思い描けない。男女の恋愛的感情以前に、思想と性格と倫理観がヴィクトリアとは違い過ぎる。


 やはりここは搦め手でいくしかないだろう。

 どれだけ考えても、それ以上の妙案は出てきそうにない。後は彼らがどこまでを許容するか、いや、どこまでを許容させられるか、だ。


 ヴィクトリアはそこで一旦思考を中断し、手元に意識を集中した。

 丁寧に、注意深くペンを走らせる。言葉を吟味し可能な限り丁寧にしたためた手紙。四回の書き損じの果てにでき上がったそれを三回読み返し、隅から隅までくまなく確認をさらに三回。細心の注意を払って慎重に折りたたみ、蝋で封をした。


 封蝋に押す印章は、本来であればリデル伯爵家の家紋が相応しい。けれど今、それは使えない。

 複雑な思いで用意した手紙の封を確認している間に、部屋の扉をノックする音が聴こえてきた。


「失礼いたします」


 茶器を乗せたプレートを携えてヴィクトリアの私室に入ってきたヘンリエッタは、机の上の手紙を認めカップにお茶を注いだ。


「ご苦労さまです」


 労う言葉を受けて、ヴィクトリアは座ったままで傍らに立ったヘンリエッタを見上げた。

 地味なエプロンドレスに包まれた、ヴィクトリアより頭一つ分高い背。全体的に色素が薄く線の細い儚げな容貌に、貼り付けたような無表情。

 だが、白っぽいふわふわの前髪から覗くその目は、存外雄弁に感情を語っている。

 カップに注がれた紅茶を差し出す今も、何か言いたげな視線がヴィクトリアに注がれていた。


「ありがとう。あなたこそご苦労さま。準備の方は?」


「お嬢さまがお茶を飲み終われば、すぐにでも出発できます」


 その言葉にヴィクトリアは安心して、そして少しだけ寂しさと心細さを感じて微笑んだ。

 ヘンリエッタが淹れてくれたお茶はいつからか毎日飲んでいる。飲み慣れて心安らぐものだ。華やかな香りと、爽やかでありながら深いコクも感じられる。

 ヴィクトリア本人よりも、その好みを熟知しているヘンリエッタが、ヴィクトリアのためだけに淹れたもの。

 おいしいと告げれば、ほんの少しだけヘンリエッタの纏う空気が和らいだ。


 ヴィクトリアがこのひと月で味わった喪失は筆舌に尽くしがたい。

 でも、全てを失くしたわけではない。変わらないものもまだ、ちゃんと残されている。


 とはいえ、変わらないものなんてない、という思いもある。

 変わらないように思えていても、その実少しずつ目に見えない変化はあるものだ。


 ヘンリエッタだって、どこかが少しずつ変わっていってるのかもしれない。

 そういえば、一年前までは、並んで立った時の目線がほとんど同じ高さだった気がする。いつの間にか、見下ろされるほどに身長に差が出ていて、それを自然に受け入れている自分がいる。

 少なくとも幼い頃、初めて出会った頃よりも互いに成長し、色々なことが変わっているのだ。


 ヘンリエッタも、ヴィクトリアも、この関係も。

 今はこうしてヴィクトリアに尽くしてくれているヘンリエッタだが、その忠誠を永遠に続くものだと思い込むのは傲慢ではないだろうか。


「……不安ですか?」


 いつの間にか動きを止めていたヴィクトリアを、ヘンリエッタの瞳が注視している。


「わたしを、信じられませんか?」


 見上げる白皙の顔。

 少し前まではもっとふっくらしていたはずの頬からは、いつの間にか丸みがなくなっている気がする。ヴィクトリアの弱い心を見透かすような双眸は、すでに子どものものではない。


 誤魔化すように首をもたげる弱さには蓋をして、ヴィクトリアはカップを置いた。  

 今し方書き終えたばかりの手紙をヘンリエッタに手渡す。


「いいえ。大丈夫。信じています。あなたのお茶が飲めないのは心許ない気もしますが、あなたにしか頼めないことです」

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