3-3

 副社長が完全に去るのを待って、セオフィラスがやはり芝居がかった振る舞いで椅子に腰かけた。

 長い脚を組むその姿はまるで舞台に立つ役者のようだ。


 ちなみにダンテはカップの中の甘い液体を飲み干したせいか、ややげんなりとした様子を見せている。

 本日三杯目となる甘い飲み物だけのせいではないかもしれないが。


「さて、ヴィクトリア。ぼくに用事があるんだって? 何かな。婚約者にご指名とあらばこのまま教会へ行くでも構わないけど?」


 冗談めいた口調でそんなことを言うセオフィラスに、ヴィクトリアはカカオを一口飲んで思考をフル回転させた。

 想定通りではあるが、昨夜下手人が死んですぐに姿を消していたわりに、その後の王太子とヴィクトリアの話はしっかりと耳に入れているらしい。


「ご冗談を。そんなことより、私と王太子殿下が交わした約束はご存じですね」


 今し方の、セオフィラスの副社長への言動を思い返す。

 そして、王太子から提示された条件。事件の首謀者。証拠ないし、首謀者の自供。


「本気なんだけどなあ。まあ約束については知ってるよ。二つとも」


 秘書が入って来てセオフィラスの前に紅茶を注いだカップを置いた。にこやかに微笑んでその秘書に礼を言い、セオフィラスは実に優雅な手付きでカップを持ち上げる。


「事件の黒幕を詳らかにし、証拠ないし自供を引き出す必要があります」


「ぼくとしてはもう一方の条件について話したいところだけどね。まあいいよ。それで、どうにかできそう?」


 まるで他人事のように、紅茶を一口飲んだ黒幕の男は薄っすらと微笑んだ。

 一見優し気に見える笑みだが、それが非情で突き放したものであることをヴィクトリアは知っている。

 今のこの場で、セオフィラスはまだ、ヴィクトリアを本当の意味で視界には入れていない。


「黒幕は、誰だと思いますか?」


 ヴィクトリアの問いに、セオフィラスが視線を上げた。口元が惰性ではない深い笑みの形に歪む。

 セオフィラスがようやく、その意識をヴィクトリアに向けた。


「それを、君が推理するんじゃないの?」


 その空気に飲まれないよう、ヴィクトリアは努めて冷静さを保ち、表情も口調も変えぬまま言葉を返した。


「まさか。そのようなことをしても意味がないことを、あなたはよくご存じのはず」


 ヴィクトリアの言葉を聞いて、セオフィラスが顔を伏せた。その肩が小刻みに震え、持っていたカップが音を立てて置かれた。


「……くく……ははは! なるほど、なるほどね。いやいや、どんな度胸だよ」


 そんなセオフィラスの姿に、ヴィクトリアの隣で気配を消していたダンテが引き気味にしている。セオフィラスが座ったままで顔を上げ、その身を乗り出してきた。


「ヴィクトリア、君本当に面白い。ねえ、本当にさ、ぼくと結婚してみない? それなりに退屈しないで済みそうだ。そろそろ周りも本格的に煩いんだよね。お嫁さんにするなら君みたいな面白いお嬢さんが良いってずっと思ってるし、うん。むしろ君がいい。君と結婚したい。ねえ、ヴィクトリア、ぼくと結婚しようよ」


「ご冗談を」


 ヴィクトリアが薄い反応を示せば、セオフィラスは余計に面白そうだという顔をする。


「えー、何が不満? 自分で言うのもなんだけど、家は侯爵家で長男のぼくは次期侯爵。マクミラン商会の最高顧問も務めてて、地位も名誉も財力も申し分なし。見た目も格好良くて頭も悪くないし話も面白いし良いこと尽くめだと思うんだけど。むしろぼくに悪いところなんてなくない? ねえ、従弟殿」


「は? ……え、俺……?」


 唐突に話を振られたダンテが言葉に詰まる。むしろそういうところだ。この流れでダンテに話を振る、そういうところに色々と滲み出ていると思う。


「私は誠実な方を旦那様とお呼びしたいので」


 手に入れた瞬間に「飽きた」などと言いそうな危うさを持つ人間を、添い遂げる相手に選びたいとは思わない。


「ぼく結構誠実じゃない?」


「時と場合によるかと」


 時と場合によっては誠実とは対極にある。


「時と場合によってはちゃんと誠実ってことだよね。まあいいよ、今はね。そうだな、先ほどの黒幕についての質問、今のところ返答は保留にしておこう」


 背凭れに背を預け、セオフィラスがその長い脚をゆったりと組み替えた。にんまりと笑うその姿には、どこか既視感がある。


「猶予はひと月あるんだろう?」


 まあ、十分だろう。とりあえずこの段階では。ヴィクトリアは内心で溜息をひとつ吐いて首肯した。


「わかりました。私の方も準備がありますので。ひと月後、実りあるお話ができることを期待しています」


「お互いにね。ああ、もちろん君がぼくのお嫁さんになってくれるなら、今すぐ色々と協力できるよ?」


 ヴィクトリアはふんわりと曖昧に微笑んで見せるだけにとどめ、セオフィラスも同じように微笑んで見せた。

 場を辞そうと立ち上がり、ヘンリエッタとダンテを伴って部屋から出ようとした時、座ったままのセオフィラスに呼び止められた。


「ヴィクトリア。誠実ついでにひとつ、謝らせて欲しい」


 振り返れば、セオフィラスはこちらを向いてはおらず、鮮やかな金髪で遮られその表情は見えない。


「ヴァンホー商会の件はすまないことをしたと思っている。脅し取るような手段で得るべきものではなかった」


 その声に滲むのは、気のせいでなければ後悔と哀惜。セオフィラス・キャロルには似合わない感情だ。


「……いずれにせよ、かねてよりお話ししていた通りです。いずれ売却しようという心づもりでしたので」


 買い叩いたのはマクミラン商会の副社長。だがそれ以前から、ヴィクトリアはヴァンホー商会の売却を検討していたし、セオフィラスに相談を持ちかけていた。


「とはいえ、拙速に過ぎた感は否めませんが」


「ああ。わかっている。夫人にもお詫びをさせて欲しい」


 許しがたいことではある。

 だが、感情を抜きにして事実だけを見れば、起きたそれは早いか遅いかの違いしかない。いずれ売却する予定ではあったのだから。

 そして、このセオフィラスの発言ではっきりした。やはり副社長の今回の動きに、最高顧問であるセオフィラスは関知していなかったのだと。マクミラン商会としての意思でもない、副社長の独断によるもの。


「いずれ伯爵領に戻った時に私から伝えます。ですが、お母様もあなたの本意でなかったことは分かっています。あなたがいれば止めてくれたであろうことも」


 セオフィラス・キャロルは、この期に及んでくだらない嘘を吐く人間ではない。あえて言葉にしないことは多くあるだろう。

 それでも、今こうして声に出したものであれば、それはきっと真実だと思っていいはずだ。


「後のことはあなたにお任せします。社員のことも含め、先方に良いように計らってください」


 つまり副社長の行為は、ヴィクトリア・リデル、セオフィラス・キャロルの両名に噛みついたに等しい。


「善処する。それと、遅くなったがお悔やみを、ヴィクトリア。父君の件、とても残念だ。ぼくはリデル伯爵が好きだったよ」


 セオフィラスに手向けられたそれを、ヴィクトリアは確かに受け取った。

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