56. 行けるか?

 チェムさんは、こうえんかい? に呼ばれて、ラタダムという街まで行ってるんだそうです。

 こうえんかいってなんですか? とか、ラタダムって遠いんですか? とか思ったんですが、他の秘書さんもメーレーさんに話があるみたいで、いままさに待たせてしまってます。お忙しそうで、ちょっと聞けません。

「すまないが、ちょっと用件だけしたためておいてくれないかい?」

 って便箋とペンを渡されました。

 というのは何のことだか分かりませんが、便箋ですしペンですし、お手紙にすればいいんでしょう。わかりました。

 部門長会議とかそういう大事そうなお話をされている脇で、机の端をお借りして、ペンにインクをつけました。

「シュシュ、腕からしっぽどけてください」

 立ったままカリカリ書いていきます。 


〝メーレーさん。チェムさんに連絡をお願いします。女子寮に薬を届けに来ている業者さんが、婆猿騒動の参考人として探している、エンリッキという人と同じ声でした。顔は見ていません〟


「あの、吸い取り器ブロッターもお借りしますね」


 吸い取り器に余分なインクを吸わせながら、空気のあじと色のこと、どう書こうか考えました。

 舌の先、真ん中、端っこ、奥、いろんなところで感じたそれぞれのあじは、どうやって書いたらいいでしょう。

 縦にも横にも重なった色付きの煙のような空気の色には、名前がちゃんとあるんでしょうか。

 紙の上でペン先をゆらゆらさせて考えますが、考えは空気の色みたいに頭の中で揺れるばかりです。さっぱりです。


「んーーーー……」


 声が出てたみたいで、メーレーさんがちらっとこっちを見ました。

 ぺこりとしてから、改めて考えます。

 言葉で書くのは、ちょっと無理そうです。それに、言葉にできたとして、チェムさんや他の人たちに伝わるのかわかりません。他のへびの魔法使いさんも空気の色を見られるのか、見られたとして同じ色なのか、あたしは知らないのでした。

 これ、総務にお願いして調べておけば良かったって思うんですが、とにかくいま大事なのは、あたしがわかるってことですよね。

 よし。書きます。


〝ただ、そのひとに会えれば、あたしは同じひとだってわかります。寮母さんに聞いたら、いつもの人が病気で、代わりにやってきた人なんだそうです。モンツ・フリューという名前だそうです。業者さんの名前は、スラバイール薬品製造だって聞きました。よろしくお願いします。

 調査部 第一調査室 エーラ・パコヘータ〟


 モンツ・フリュー。

 寮母さんに聞いたとき、エンリッキじゃないんだ、って思いました。

 どっちが本当の名前でしょうか。それとも、どっちも本当の名前じゃないんでしょうか。

 何年も何回も聞いた声です。間違うわけないです。優しくて面白かったエンリッキおじさんは、本当はエンリッキじゃなかった、のかな。

 小さな針が胸の奥、心臓の裏あたりに刺さったような気がしました。

   

 便箋をたたみ、裏面に「おいそぎで」と書き加え、お話中のメーレーさんに手ぶりで「これです」と示しました。「わかった」と口が動いたのを見て、秘書室を出ました。

 とにかく、見つかれば、全部はっきりします。チェムさんもメーレーさんも、あたしの話をちゃんと聞いてくれる人だってわかってます。きっと、見つけてくれます。

 亜麻樹脂リノリウムの張られた階段を降りていたら、どこかの部署で柱時計が十時を打ちました。


 あたしは足をとめました。

 そして「がんばってください」って心の中で言いました。

 魔法を使う時と同じように、向こう側を感じながら。

 アコーニの試験が始まる時間です。


 試験がどんなものなのか、大学がどんなところなのか、あたしにはよくわかりません。でも受験票の再発行が間に合って、あんなに嬉しそうに笑ってて、だからうまくいってほしいなって思います。

 この応援する気持ちも、魔法を使うときみたいに、あたしの背骨からアコーニの背骨に届けばいいと思います。

 

 今朝、出勤する前にみんなでアコーニの部屋に行って「がんばれ」って伝えた時にひとりずつ、ぎゅっ、とされました。

「エーラちゃん、ありがとう」

 って耳のすぐそばで声がしたの、思い出してしまって、頭がポワポワします。


 そうやってポワポワのまま調査部に戻るなり「おうパコヘータ!」って太い声が飛んできたんです。

 びっくりしたあたしのびっくりがシュシュに伝わって、身を固くしたへびであたしの首が軽く締まりました。

 ぺしぺしとシュシュの胴を叩いて緩ませます。少しむせます。けほけほ。

「なんだ、まだ風邪ッぴきか?」

「いえ、大丈夫です……。プントさんどうしたんですか? 確かキャナードとけいさんのところ行くって」

「おう、それなんだがなパコヘータ。俺と来い」

 室長を見ました。

「許可済ですよ」

 プントさんに向き直りました。

「でもキャナードは?」

「なんだ、一緒がよかったか?」

「別にそういうわけじゃないです」

「そうかい。ま、あいつはしばらく別件だ。お前こないだ、魔法でにおいを追いかけただろう。場合によっちゃあ、アレが役に立つんじゃねえかって思ってな」


 プントさんは一度言葉を切って、あたしを見ました。観察された、って思いました。そしてひとこと、確認を求められました。


「行けるか?」

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エーラ、パコヘータ 帆多 丁 @T_Jota

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