8. あたしの生きるとか死ぬとかが

「あのぅ。それ……なんですか? お母さんの入院って、どうしてそんな話になるんですか?」

 チェムさんは姿勢を変えず、口だけを閉じました。蜂蜜色の瞳があたしをじっと見ていました。あたしは唇が震えました。

「クレモントって、どこですか? シュダパヒのどこかですか? あたしとお母さんは……離れ離れになる、って、ことですか?」

「会えなくなるわけじゃないわ」

「いまは毎日一緒です」

「その毎日は、もう続かなくなる。それは、訴え出た時からわかっていたのではない?」

 その通りでした。画家のおじさんには許してもらえましたが、それで全部おしまいなはずなかったです。

 チェムさんが背筋を伸ばして、手を机の上で組みました。

「いい? エーラさん。婆猿騒動ばばざるそうどうはね、だれのせいでもない災害だって私たちは考えていたのよ。たとえば、死んだはずの魔女に関係した何かかもしれないってね。けれど、あなたが訴え出て、しかもあなたの話は嘘やデタラメではなさそうだった」

「だって、あたしの、せいです」

「そこも疑問なのよ」

「でも」

「聞きなさい。このシュダパヒで老婆の群れが出なかった地区はないのよ。その老婆が組み合わさって大猿になり、さらに人を中に閉じ込めて保持した。魔法の範囲も、内容の複雑さも、要求されるだろう魔力の量もね、ちゃんと訓練したこともない女の子ひとりでできるものではないのよ。それこそ、あなたが魔女でもなければ」


 チェムさんの瞳に火トカゲの火が映っていました。あたしはゆるゆる首を振りました。


「……あたし、魔女に、なりたかったです」

「お母さまのご病気を治したくて、魔女の力なら治せると思った。と、協会うちの職員に話したそうね」

「だって、魔法で治せないっていうから……!」

「そうね。ごめんなさい。私たちの力不足だわ」

「……それで、魔女の話を聞いて、魔女をよびだすとかできるかも、って思って、でも、でてきたのは、思ってたのと全然ちがうものだったんです」

 チェムさんはあたしの話に、ゆるくうなずいています。

「エーラさん。それらが出てきた時、あなたはどっと疲れたり、頭がくらくらしたりはしなかったかしら?」

 首をふるふる振ります。あの時はぜんぜん、なんともありませんでした。

「普通はね、魔法を使うと、そういうのがあるのよ。魔法は魔力と、体力と、塩気の三つを引き換えに発動するものなの。あなたがなんともなかったのなら、あれは『あなたの魔法』ではなかったと考えられる」

「あたしのせいじゃ、ないってことですか?」

 そうしたら、チェムさんは首を振りました。

のせいじゃない、ということね。今のところは」


 あんまりよくわかりません。

 チェムさん組んだ手を開いて「例えば」といいました。


「街で火事が起こったとしましょう。火元のパン屋には、かまどの灰を確認せずに捨てた子が居て、まだ灰の中には小さな火種が残っていた。――悪いのは?」

「灰を捨てた子、しか、いないじゃないですか」

「そうね。でも、その子は親方から頼まれただけだった。『火は消えてるから、そこの灰を捨ててこい』」

「う、それは……あたしだったら、ちゃんと見てから捨てます」

「いい心がけよ。さらにね『たまたま通りがかった新聞売りの主人は売れ残りを抱えていました。重いので持ち帰るのが面倒になり、灰捨て場にまとめて捨てました』。どう?」

「そんなばかな人いるんですか?」

 マートル裏でも火の始末はしっかりするのに。

「いるわ。わりと」

「チェムさんが言いたい事って、つまり、あたしは灰を捨てたけど、他に新聞を捨てた人がいるかも、って、ことですか?」

 チェムさんは、すこし笑いました。目の端っこに皺がよってました。


「今朝までは、誰もいなかった。今は『灰を捨てた子』だけがいる。私たちも仕事だからわかったことを隠したりはしないわ。でもそうすれば街のいろんな人が、いろんな理由で、あなたの家に、あなた自身やあなたのお母さんの所に押し掛けるでしょう。直接被害を受けた人は当然として、なんの関係もない人たちまでがあなたたちに責任を求める。『わるいやつをこらしめろ』とね」

「関係ないのに?」

「関係あるかどうかなんて関係ないのよ。それにけい部だってあなたの身柄を欲しがる――あなたを捕まえようと考えるわ。それが仕事ですからね、それで、騒動の責任はあなただけのものになる」


 あたしは、悪い事をしたから、捕まって牢屋に入れられるのが、って、思っていました。あたしはばかで悪い子なのに、正しい人たちに助けられてしまったから、最後は少しぐらい正しい事をしなくちゃって思っていました。


「ただ、これを良しとしない人もいる。私の夫とか」

「チェムさんは、違うんですか?」

「ぐふふふ」といきなり聞こえて、あたしは椅子の上で跳ねあがってしまいました。

「ケト。なにがおかしいの?」

「何も」

 って、ケトさんが金の瞳を細めてにやにやしています。

 昔から子供にいいカッコするのよあの人、って、チェムさんが片方の眉を上げました。

「ともかく、魔法使いは黙ってても生えてこないから、歴史的に人手不足でね。だから素養を持つ子を見つけたら、こちら側に引き込みたい。今後の調査のためもあなたは手元に欲しい。だから市長に掛け合うわ。警邏部にも」


 そう言って、チェムさんは机の引き出しを開けて、一枚の紙を取り出しました。


「条件はこう。お母さまは入院で街を離れる。お母さまの入院を理由に、私があなたの後見役になる。あなたを魔法使いの見習いとして協会が雇い、女子寮に入れて協会の管理下に置く。これで警邏部には折り合いをつけてもらうわ」

「ええっと、と、が、わかりません」

「入院するお母さまのかわりに、私があなたの面倒を見る。あなたは協会の目と力が届く所に住み、訓練を受けながら働く。お給料は出るわ。お母さまの入院費はお給料から支払ってもらいます。支払いができなくなったら療養所にいられなくなるから、しっかり節制して無駄遣いはしないように」

 お腹の辺りがきゅっとしました。

 お金を払えなくなったら、生きていけないんだろうな、って思いました。

 でも、このまま何もしなかったら、生きていけるのかな、って思いました。

 チェムさんが紙をあたしの前に差し出します。


「これが協会との雇用契約書。っていうのは、約束を書いた紙ね。魔法協会とあなたとで、どういう条件で働くのか、お給料はどうやって決めるか、そういったことが書いてあるわ。そこに名前を書いたら『この約束を守ります』って事で、あなたはうちの職員になる。お母さまの療養費の支払いについても、ここに書いてあるわ」

「あのぅ、もしかして、お母さんは私が逃げないための、人質ってことですか?」

「察しがいいのね。人聞きがとても悪いけど、そうよ」

「ペン貸してください」


 名前ぐらい書けます。


 あたしはエーラ・パコヘータ。

 いろいろあって、魔法使いをすることになりました。

 

 でないとお母さんが死にます。

 たぶんあたしも。


 とっても、ドキドキしていました。

 これって、あたしの生きるとか死ぬとかが、あたしのものになるってことですよね?




<<1. 魔法使いをすることになりました 了>>

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