ニセ

おくとりょう

むしの名前

 昔、『ニセ』という虫がいた。

 それは他の生き物を真似する虫。食性、生態、鳴き声、そして姿かたちまでも真似をし、最後は相手に成り変わるどころか、己の姿を忘れてしまう。そうやって滅んでいった生き物。


『真似をするのは悪いことなの?』

 ひとつ上の兄が甲高い声をあげた。

 いつも寝る前に、爺やが読んでくれる本の時間。その夜は、兄が見つけたちょっぴり怖い『ニセ』の本を読んでもらっていた。

『誰かの真似っこはしちゃダメなの?』

 瞳をくりくりさせて尋ねる兄。


 じいやは硬い表紙をそっと閉じると、静かに尋ね返した。

『王子はどうお考えですか?』

 兄と僕は目を合わせる。胸の奥から楽しい気持ちが湧き出して、声を合わせてカラカラ笑った。

『僕はみんなが楽しいのがいい。真似っこをしていてもしてなくても』


 びっくり目を見開くの瞳に、部屋を照らすロウソクが映った。瞳の中で炎がゆらゆら揺れる。じいやはゆっくり目を伏せると、ホッとしたように息を吐いた。


 ――コンコンコン

 誰かが扉をノックした。

**************************************************


 ……久しぶりに昔の夢を見た。

 昨夜、処刑されたじいやの夢だった。良い人だったのだけど『コッカハンギャクザイ』とかいう悪いことをしたらしい。大好きな彼が居なくなってしまって僕はちょっぴりガッカリだった。


 鐘の音が響く青い空。モコモコの雲が妙に多くて、晴れているのにひんやり寒い。

「お兄さま……」

 不意に、渡り廊下で抱き締められる。服越しに伝わる湿った熱。振り向くと、従妹が泣き腫らした顔でしがみついていた。

「まさか彼が。いつも私たちに優しかった彼が……。逆賊だったなんて。

 あぁ、なんてことなの。お兄さま、お気を強くお持ちになって。たとえ彼が犯罪者だったとしても、楽しかったあの日々はきっと嘘ではありませんもの」

 彼女の頬をつたい流れる一滴ひとしずく。じいやのことを『馬糞臭い』と言ってたくせに。

 だけど、僕は彼女をそっと抱き締め返した。きっと兄なら、そうすると思ったから。


 ふと、見上げると空が青かった。侍女たちが洗濯物を干す声が聴こえる。風に揺れる白い布が目に浮かんだ。屋上でかくれんぼをした日々が懐かしい。


「お兄さま……」

 小さな声にうつむくと、顔をあげた彼女の頬は何故か紅く染まっていて、瞳は少し濡れていた。抱き締めていることを忘れていたが、たぶん、これでよかったと思う。

 彼女は従妹ではあるが、将来僕と結婚するのだ。お父上が言っていた。いわく、移民の血が混じり過ぎた王族の血を、再び取り戻すためらしい。難しいことはよくわからない。

 ただ、お父上がそう言うと、爺やがいつも哀しそうにしていたことを思い出す。何か言いたそうな、考えるような顔をして、最後にはいつも僕を見つめた。意味ありげに。


 僕は彼のしわくちゃの笑顔が好きだった。彼は喜怒哀楽の豊かで隠し事が苦手だった。

 僕らがおままごとをしたり、お絵描きをしているときも、すぐ側でまっすぐ立っていた爺や。いつもピカピカの革靴に、ピシッと決まった燕尾服。綺麗な銀髪はオールバックで、お鼻の下にはちょびっとお髭。伏し目がちに僕らを見守る彼は、しょっちゅうプルプル震えていた。あれは笑いを堪えていたのだと今ではわかる。幼い子どものごっこ遊びは、大人からすれば、さぞ滑稽だっただろう。いや、保護欲を刺激されていたのだろうか。何にせよ、僕らを大切にしてくれていたのだろう。


 それ故に、爺やが襲いかかって来たときには、びっくりした。


『返せ』


 戴冠式の前日だった。予行演習の最中、血相を変え、何かを喚きながら、僕に向かってナイフを振り上げた。

 こういうときはどうすればいいのかわからなくって、僕は彼の口からよく分からない声とともに白い唾が飛び散るのをぼんやり眺めていると、護衛の人たちが取り押さえた。


「ずっと王子の世話係として、信頼していたというのに。獅子身中の虫とはこのことか。それとも、ただ気が狂うただけか?」

 お父上は冷たくそう言い放つと、爺やを処刑するように命じた。


 マントをはためかせて歩き去るその姿を僕はちっとも好きになれなかった。だけど、僕はならなければならない。この国の王様に。


 こちらを見上げる民衆を見下ろしながら、僕はそんなことをぼんやり考えていた。

『せめて、楽しい国にしたい』

 耳の奥で聴こえた気がした。

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ニセ おくとりょう @n8osoeuta

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