僕が本屋に行くわけ

平行宇宙

第1話

 僕は小さい頃から本が大好きだった。

 自営業の両親に一人っ子の僕。

 物心ついたときには、絵本を与えられて、一人の時間を過ごしていた。

 それは全然寂しい時間じゃなくて、僕は本の世界へと旅立つのが楽しみで仕方がない、そんな子供だったんだ。


 少し大きくなってお小遣いがもらえるようになると、僕は大好きなキャラの描かれた財布を片手に、近所の本屋に通うようになる。

 近くの商店街にあったその本屋は、いつもおじいさんが一人レジのところに座っていて、僕みたいな近所の子供がやってきたら、ニコニコと眺めている、そんな商売っ気のない人だった。

 なんだったら、「この本はどうだい?」なんて言いながら、立ち読みを勧めてくる、そんなおじいさんで、僕とは、なんて言うか、世代を超えただったんだ。


 けど、そんなおじいさんが突然いなくなった。

 正確には、店がある日開かなくなったんだ。

 お母さんから聞いたんだけど、元々儲かってない店で、いつ閉めるかって話だったんだけど、仕事をやめるとぼけるから、と、おじいさんが趣味でやっていた、そんなお店だったらしい。

 で、おじいさんは突然倒れて、病院に入った。

 それ以来本屋が開くことはなく、気づいたらコンビニになっていた。



 それ以来、本屋ってのはそんなに行くことがなかったんだけどね、高校生になって、都会へと通学するようになると、僕はまた本屋に通うようになる。

 通学途中にある大きな駅では、隣接するショッピングモールにフロアを3分の2も使った本屋があって、まるで図書館並みの蔵書を誇る、しかも図書館と違って新刊ばかりが並ぶ夢の空間が広がっていることに気づいたからなんだ。

 帰宅部の僕は、ほとんど毎日、この本屋へと足げく通っていた。


 そんな中、僕は本があふれた素敵空間にもう一つの利点があることに気づいたんだ。

 大きな声では言えないが、僕はに難がある。ひどいときには1週間ない、なんてことも。

 だけど、あるとき気づいたんだ。

 ある程度の時間本屋をさまよっていると、その・・・もよおすってことを。

 必ずって訳じゃないんだけど、本屋でうろうろしていると、ついつい近くのトイレに駆け込む、ってことに気づいたんだ。

 幸いっていうか、必然なのか、本屋にトイレは隣接していて、なんとなく、いつもそこは賑わってる、そんな気がしていた。


 それは、僕の気のせいじゃなくて、なんか図書館とか本屋とかって、そういう現象が起こりやすい、ってのは、一部の人には既知の事実だったらしい。

 いやあ、僕が変なのかと思ってネットで検索したら、結構有名な話だったらしくほっとしたもんさ。

 てことで、長いことアレがないときは、僕はいつもより長く、端的に言えばもよおすまで本屋ライフを満喫することにしたんだ。

 一石二鳥で、体にもいい、一人の秘密だった。



 この習慣は高校を卒業して、大学生になっても続いていた。


 この頃になると、なんとなくおなじみさん、なんてのも出てくる。

 といっても、話すわけでも会釈すらするわけでもなく、ただ、「あ、また会った。」と心の中でこっそりと思うだけ。

 でもそれはお互い様で、なんとなくこっちがチラ見するるように、あっちもチラ見したな、って分かる程度。

 特に交流があるわけでもなく、でもなんとなく仲間意識を持ってしまう、なんていうのは、不思議な感覚だ。



 そんなある日のこと、そういうおなじみの中に、一人の少女が含まれるようになった。

 彼女は有名女子校の制服を着ていて、まあなんだ、清楚系っていうのかな、生まれたまんま染めたことがないのであろう黒髪を肩甲骨ぐらいまで伸ばした、おとなしそうなお嬢さんだった。


 その高校の制服の子は、この本屋で珍しいってわけではない。

 だから、特に服装で目についたわけではなく、なんとなくトイレの外で出会った人。

 それが1回や2回なら気にもとめないんだけど、あるとき、「あれ、この子って前に見なかったっけ?」と思うと、次からはトイレでも、本屋の中でも目に入るようになってしまっていた。

 あ、当然ながらトイレは男女別だ。トイレで会うって言っても、トイレの外、まだ共有部分の廊下ですれ違う程度、ってことだけどね。


 僕が彼女に気づいたように、彼女もよく会う人、という感覚で僕のことを覚えてはいたんだろう。

 はじめはあえて目を合わさないように。

 しばらくすると、一瞬目が合うようになり、そしていつの間にか会えば会釈をしてくれるようになっていた。


 トイレのおなじみさんはそこそこ増えたけど、会釈するのは片手で足りる程度。

 といっても、それだけあるっていうのは、すごいことなのかもしれないけれど。


 こうして、彼女とはただ遠巻きに会釈をする、そんな程度の仲のまま、僕は大学を卒業、東京へと就職のため出て行くことになって、その本屋からは足が遠のくことになったんだ。



 東京に出ても、まず捜したのは、いい感じの本屋だった。

 大きな駅にはだいたい隣接するショッピングセンターがあり、巨大本屋をテナントとしてるところも多い。

 僕は会社と自宅の間の駅で、そこそこお気に入りの本屋を見つけた。

 当然トイレとの相性もいいことは重要だ。

 僕の趣味と心と体の健康のためによさげな本屋は、幸いなことに早期に見つかり、僕は暇を見つけては、そこへと通っていたんだ。



 数年が経ち、でも僕の日常は変わらない。

 そこそこ忙しくも充実した社会人ライフ。

 出世なんて元から考えていない僕にとって、そこそこ有名な商社での生活はまぁまぁといったところで、この本屋でのひとときで十分ストレスが解消される程度だ。

 今日も今日とて、いい感じにもよおしてきた僕はトイレに駆け込み、出てきたところで、ここでも顔なじみの客をチラ見しながらも、さきほど買うかどうしようかと悩んでいた文庫へと、思考を飛ばていた。


 そんな僕だったけど、そのときトイレへと向かう、ある女性に目がいったんだ。

 と、同時に、その女性も僕を見て驚いたような顔をした。

 お互い一瞬立ち止まったけど、そのまま女性はトイレへと向かっていったんだ。


 本当に驚いた。


 薄化粧をして、かなり大人っぽくなっていたとはいえ、あの制服を着ていないとはいえ、間違いなく彼女だった。

 遠く離れた東京で、とある本屋の近くのトイレで、まさか既知の女性と再会するとは。

 といっても、当然話などしたことはなく、せいぜい会釈程度、だったんだけど。


 僕は文庫のことなど忘れ、なぜかちらつく彼女の驚いた顔を思い浮かべつつ、その日は帰宅したんだ。



 それから。

 特に何があるわけでもなく、僕の日常は変わらない。

 会社へ行き、本屋に通い、トイレへと行く。

 違うのは、その中で彼女とたまに会うようになった、ということ。

 本屋で、トイレの前で、たまに出会い、軽く会釈をする。


 僕は、なんとなく彼女と会った日はラッキーだな、なんて思って、ほっこりとした気持ちになる。

 同郷のよしみで一度声をかけてみようか、なんて妄想するけど、それを実際に行動に起こす訳じゃない。

 このちょっとワクワクする、浮上する気持ちが心地よく、僕の人生に張りが出た、ような気がした。



 そんなある日。


 僕は遠目に本屋で彼女を見かけた。

 なんとなくそわそわした感じで、彼女はいつもと違う感じがした。

 待ち合わせなのか。

 彼女はエスカレーターをずっと見ていて、時計を見たり髪をいじったり。

 と、彼女の顔がパッと輝いた。

 小さく顔の横ではにかみながら手を振る。

 「待った?」

 「ううん。」

 そんな会話でもしたのだろうか。

 僕と同年代に見える男が彼女と何かささやき合い、そのまま店内へと2人で消えた。


 はぁ。

 僕は小さく息をついた。

 なんとなく胸がチクり、と痛んだ気がする。


 僕は、そのあと新しい本屋を捜すことにした。

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