世界を救ったその後に

三谷一葉

第1話 むかしむかし

 百年に一度、最果ての地に封印された魔王が目覚め、世界は滅びの危機に晒される。

 大地が割れ、植物は枯れ果て、魔物達は好き放題に暴れ回り、あちらこちらで戦争が勃発し、人々は飢えと乾きに苦しんだ。

 そしてその度に、正義の神アスタによって見出された勇者や聖女が立ち上がり、魔王を再び封印し、世界に平和をもたらした。


「本当に、魔王を封印したのだな」

 神聖アスタラス王国の中央、正義の都。聖王が住む正義城の謁見の間。

 正義の神アスタに仕える使者の証、正義の白に忠誠の青。アスタラスは白と青で溢れている。

 壁は光り輝く純白、足元は深い海の青。聖王アルベルトの法衣は純白で、彼の背後に控える神聖騎士は青の鎧を身につけていた。

 例外は、ただ一つ。聖王の前で跪き、頭を垂れている女のみ。

「はい、聖王陛下。確かに私が魔王を封印いたしました」

 月の無い夜のような漆黒の貫頭衣。闇に溶け込む黒の髪は赤い組紐で束ねている。瞳は傷口から吹き出したばかりの血の赤だ。

 魔物が住む暗がりの黒と、不吉の赤。正義の神アスタの色と真逆の色の女が、聖王の前に居る。

「お前が、本当に魔王を封印したと言うのか。穢らわしい、呪われた魔女のお前が」

 聖王が忌々しげに吐き捨てる。彼の後ろに控える神聖騎士達は、剣の柄に手を掛けていた。

 聖王の合図があれば、もしくは女がほんの少しでも怪しい動きを見せれば、騎士達は迷わず女を斬り捨てるだろう。

「私の言葉が信じられませんか? 正義の神アスタの加護を受けたこの正義の都で、正義の神アスタの寵愛を賜わっている聖王様に、嘘偽りを申し上げていると? もし私がそのような恥知らずな行いをしたのであれば、私が偽りの言葉を述べたその瞬間に、正義の神アスタは正義の鉄槌を下されるでしょう」

 女は怯むことなくそう言った。

 顔を歪めた聖王が、喉の奥で唸り声を上げる。

「··········何が望みだ。褒美は何が欲しい」

「褒美だなんて。何も要りません」

 己を睨みつける聖王に向かって、女はにこやかに言う。

「私は死にたくなかったから魔王を封印しただけ。世界を救うためだとか、誰かを守るためなんかじゃない。自分のためにやったんだ。手柄が欲しいんならくれてやるよ、聖王様。あんたが魔王を封印したことにすれば良い」

 聖王が絶句した。

 彼が口を開くより早く、すぐ後ろに控えていた神聖騎士の一人が怒鳴り声を上げた。

「貴様ッ! 聖王様を愚弄するかッ」

「ただの事実でしょ?」

「無礼者!」

 激昂した神聖騎士が床を蹴った。剣の鞘を払い、まだ跪いている女の肩に、迷うことなく正義の刃を振り下ろす。

 女は動かなかった。冷たく白い刃が迫ってくるのを、ただ黙って見つめていた。

 女の肩に刃が触れる───次の瞬間、女の身体は黒い鳥の羽に変わっていた。

「――――ッ!?」

 神聖騎士は白目を剥く。正義の神アスタの加護を受けた正義の刃で、邪悪な魔女を断罪するはずだった。

 穢らわしい魔女の血を頭から被る覚悟はできていたが、黒い鳥の羽に塗れるつもりは毛頭無かった。

「坊やにゃ私は斬れないよ。その程度の腕でよく挑んできたもんだ」

 女の姿は何処にもない。黒い鳥の羽は、剣を抜いた神聖騎士だけではなく、謁見の間を埋めつくそうとしていた。

「何処だッ、何処に消えた!」

「剣を抜け! 穢らわしい魔女を斬り捨てろ!」

「聖王様を守れ!」

 野太い男の罵声が響く。

 視界が鳥の羽で埋め尽くされているにも関わらず、魔女を斬り捨てようと正義の刃を抜いた男がいる。彼のすぐ近くに立っていただけの哀れな人間が、肩を切り裂かれて悲鳴を上げた。

 聖王は呆然と立ち尽くしていた。とにかく聖王を守ろうと、近くにいた者を押しのけた神聖騎士は、同じように聖王を守ろうとした者に背中を強く押されて転倒した。

 彼の身体を、使命に燃えた神聖騎士達が容赦なく踏みつけていく。

「あーもー無駄だから諦めなってば。坊や達に私の相手なんか無理なんだから」

 女の姿は何処にも見つからない。ただ、呆れたような声だけが響いていた。

「そんなに必死になって正義の剣を振り回さなくても大丈夫だよ。魔王封印したよーって報告しに来ただけなんだから。褒美とかほんとに要らない。この件が片付けたらどっか田舎に引っ込んで本屋をやるつもりだったんだよ、私。ねえ、ちょっと、聞いてる? おーい!」 

 

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