古書店。女学生。猫。妖魔本

鉄鋼怪人

第1話

 書物とは過去から未来に向けた財産である。紙媒体に対して文字で以て記されたそれらは正しく人が万物の霊長たる事の証明と言える。世代を、時間を越えて経験と知識という資産を子孫に向けて継承出来るのは書物とその類似存在以外にあり得ないのだから。


 そう、資産だ。古来より書物は資産だった。財産であった。其処に記された知識自体が貴重である事もあるし、特に古代において書物の生産には多大な労力を必要とした事が挙げられる。文字を解する者の絶対数の少なさ、そして直で一文字一文字と写していかなければならない。写本せねばならない。その手間暇、生産性が書物を高価な代物へと押し上げていた。


 ……昔ならば。


 大陸で発明された活版に代表される印刷技術に製紙技術の向上、識字率の上昇、普及による出版物の世俗化に娯楽化と更なる需要の刺激……書籍は何世代にも渡って受け継がれていく財産から使い捨ての消費財へと失墜した。貸本屋という長らく主流であった書店のビジネススタイルは店舗に陳列しての大量生産大量消費へと変化した。


 無論、それが知識の大衆化へと、一部の特権階級の独占物となる事態を防いだ側面もあり、単純に善悪で測れる事象ではないだろう。


 だが、一つだけ言える事がある。それはつまり……。


「我が家の商売は上がったりだボケー!!」


 書店の作業室にて延々と写本作業を続けていた少女は遂に思いの丈を叫びながら床に筆を叩きつけていた……。






ーーーーーーーーーーーーー

 時は飛行機が排気ガスをぶちまけながら忙しなく空を飛び、朝の通勤電車は地獄めいたすし詰め状態、道行く人々は電脳な板に夢中で深刻な活字離れが危惧される科学文明の絶頂期な時代。場所は旧大陸から見て東の果ての古い島国の人工過密な『首都』である。


 腹が立つ程に土地代が高い首都圏二三区が一つにその店はあった。情緒も糞もないコンクリ建てのアパートに挟まれたその黴臭さすら感じる木造建築に掲げられた看板には達筆な文字で『松末堂』と刻まれている。見ての通り書店である。かなり古い……古書店だ。


 余りにボロすぎて今にも倒産しそうなこの古書店は、しかしその道の道楽を嗜む趣味人達にはそれなりに名を知られた店であった。この島国の首都が『帝都』と呼ばれていた時代、それどころか単純に『都』と呼ばれていた時代から続くこの店は島国でも十本の指に入る歴史を持つ由緒正しい古書店でもあった。


 地方の出稼ぎ労働者に難民が勝手に作り上げた後の世の表現で言うところのスラム街、当時の呼称としては「外京」と呼ばれていた地域の一角に開店したその貸本屋は島国を襲った様々な動乱争乱、一揆革命災害戦争の混乱を若干よろけながらも潜り抜けてきた。その書庫に眠る蔵書と共に……。


 かなり古い時代に記された書籍が多く秘蔵されている松末堂はその界隈のマニアから長らく愛されてきた古書店だ。今となってはその希少性から多くの書籍は門外不出となって保管され、あるいは歴史的価値から大学や博物館行きとなった物も少なくない。貸本店という呼称は既に創業当時の在り方を示す形だけの物である。その代わりにこの店は注文を受けた書籍を写本して販売してくれる。


 外装は無論、文字や汚れまで、保管しているオリジナルに可能な限り近づけたそれは最早美術品に近い。模造品なぞと焚書する一部の狂信的原理主義者は兎も角、趣味人レベルのビブリオマニア達にとって松末堂の行っているサービスは人気を博している。


「尚、相場は物によるが一冊当たり二十万からのスタート、注文から完成、発送までおおよそ一年以上必要としていて流石に少し長過ぎる。熱烈な愛好家がいる一方で一部では殿様商売ではないかという批判もあり……あぁん!?此方はこれでも節約生活してんじゃ!文句言うなこの三流ブロガーが!!」


 怠すぎる作業の息抜きの休憩時間に、携帯端末で店の評判を検索して罵倒、そして余計疲労した少女であった。首都圏でもそれなりに名の知れた御嬢様学校、蛍灯女学院の学生服に小汚ない作業エプロンを着こんだ女高生。


 松末堂の店主夫妻の、一人娘である。


「あんな子供に写本させて本当に良いのか?店の名前に胡座を掻いて仕事への責任感が無いのではないか……?煩いボケ!!此方は真剣過ぎて目も手も痛いんですけど!!?」


 そんな事を叫んで携帯端末に向けて指を突き出す少女であった。御嬢様学校とは……?


 ……いやまぁ、少女の振舞いは兎も角として、実際その発言自体は事実ではあった。単価は高いのはオーダーメイドなのだから当然。素材から拘った一冊は素人からすれば本物と見分けはつかない。その道の専門家だって良い出来だと感嘆してくれるだろう。女学生にやらせている無責任な仕事?蛍灯女学院附属高校文学部コースを舐めないで貰いたい。


 大手財閥資本によって経営されている私立蛍灯女学院は、しかしただただ金を積めばいけるような所ではない。小中高から大学まで一括で在籍出来るこの学校は同時に己の将来や夢、興味関心に合わせて何処までも細分化して専門化した学業を学べる。高校三年にして学芸員に必要な知識と技能をこの女高生は有していた。古文に至っては家業柄小学生の頃から最も得意教科である。仕事の仕上げならば兎も角、下書きならば今でも十分に誇れる仕事が出来ると自負していた。


「どうせ炎上商法とかその手の類でしょうけどね!ねぇ、そう思うでしょう。すだま?」

「にゃあ?」


 ぐてー、と作業机で倒れ伏す少女の呼び掛けに足下でうたた寝している飼い猫が首を傾げて欠伸染みた鳴き声を鳴らす。「すだま」というのは猫の名だ。両親は「すだま様」などとも呼んでいる。かなりの長生きの猫で彼女の記憶の一番古い物には既にその姿があった。多分もう御高齢だ。後期高齢者だ。敬わなければ。年功序列はこの国の文化だ。因みに雌である。


「お前はいいなぁー。毎日飯を献上してもらってお昼寝するだけの毎日で。羨ましいぞぅ?……我が家は今更方針転換も出来ないからなぁ」


 床で腹を見せてごろごろする「すだま」を妬まし気に見つめた後、嘆息する少女。彼女の脳裏に浮かぶのは我が家の置かれた戦況だ。


 時代遅れで時間も費用も掛かるオーダーメイド販売。しかしそれがこの松末堂の数少ない食い扶持だった。


 店から徒歩五分圏内に君臨するのは大手チェーンの大規模書店。その近場にはコバンザメ染みた一冊百園から販売の中古書店が展開している。其処に吹けば飛ぶような資本しかない我らが書店が同じ品揃えで参戦すればどうなるか、討ち死に確定であろう。


 ニッチ、隙間産業と自虐する訳ではないが今の戦況は各店舗が互いのニーズを食い合わない故に共存共栄を図る事を許されているという絶妙なバランスの上にあった。そんな中で我が家の利点を殺す訳にはいかない。そしてだからこそ今自分は作業への集中から来る肩凝りや目の痛みに悩まされている訳である。資本主義の馬鹿野郎!


「しっかし……作業終わらないわよねぇ?」


 現実逃避も程々に。眼前の古書に漸く意識を戻す少女であった。そして、改めて残る項数を数えて嘆息する。


「本当、面倒な注文なこと」


 今回の依頼の本は所謂怪談本と呼ばれるものであった。あるいは当時の記録からするに妖魔本とでも称するべきか……各地の伝承、奇話寓話を纏めたそれは店の地下の蔵の奥の奥に半ば忘れられたように眠っていた所を漸く見つけ出した。今日から始めた作業は対象のボリュームが多ければ文字量も別格で中々進捗状況は宜しくない。うんざりもしたくなる。


「そしてこのお昼の日差しのぬくもりよ……おのれ誘惑しよってからにぃ……」


 自分から窓辺に陣の敷きながら、今更に恨めしそうにお昼の日差しを呪う少女。呪うがそれだけだ。そして、睡魔の微睡は寧ろ迫り来ていて……。


「あー、駄目だこれ。……少しだけ寝よ」


 日差しは寧ろ虫干しに都合が良いか?そんな自己正当化を行い少女は作業机の上でうとうとと倒れ込む。腕を組んで可愛らしく鼾を鳴らし始める。


「すぅ……すぅ……」


 そして古書店の作業場は少女の小さな吐息を除いて静寂に包まれる。……少しの間は。


 カタリ、と何かの音が響いた。二度目のカタリという音で仮にそこに人がいれば音の発生源を見抜いたであろう。三度目のカタカタという震える音で誰もが理解したであろう。音の発生源を。机の上で震えるオリジナルの古書を。怪談本を。妖魔本を。


『クックックックッ……!』


 本が笑った。本の中に巣食う化物が嗤った。邪悪に嘲笑った。


  古の昔、今よりも闇の深かった時代。人々は暗黒に潜む怪物共に恐れ戦いた。妖怪、妖、魔物、あるいはモンスターと称されるものだ。尤も、時代が経るに連れてそれらの多くは衰退してしまったが。今となっては動物園の檻の中のライオンみたいなものだ。日常では滅多にお目にかかる事すらも出来ない。有象無象の中には存在そのものが消滅してしまったのも珍しくない。


 極々一部の強大な存在共だけは辛うじて力を残した。人々は無慈悲にもそれらを見逃す事はなかった。滅せなければ封印すれば良いのだ。それらの一部は妖魔本と称された。幾らかの怪奇現象を引き起こしたが所詮はその程度しか出来なくなった。


 妖魔本の大半は、維新の後に新政府によって火中へと放り込まれて浄化された。古き時代と決別するために。因習を振り払い新しい時代を築くために。


 そんな焚書の時代を生き残った少数の生き残りもまた、その中に潜む力を失った。ある意味ではそれは同胞達の中で最も惨めな末路であったやも知れぬ。しかし……中には例外がいるものだ。眼前の本の中から身を乗り出した世にも悍ましき怪物のように。


『アァ!長かったァ……漸く蔵から出られたのカァ』


 陰陽の秘儀にも通じていたという忌々しい本屋の女主人に囚われ封印されて、どれだけ経たであろうか?人の世は随分と変化してしまったようである。古き恐ろしき同胞共、人外の魑魅魍魎共の多くは零落して見る影もなく失墜してしまったようだ。


 好都合だった。競争相手がいないのならば己にとって絶好の状況である。嘗て程に人は闇を畏れず、化物への対抗の術もまた忘れ去ってしまったらしい。眼前の、あの忌々しい女主人の子孫もその例に漏れる事はない。何ともまぁ油断しきった姿か!


『だが血筋は……グフフフ!それもまた好都合!精々嬲って泣かせて命乞いさせてから食らってやるわ!』


 それはまさしく意趣返しであった。報復であった。呪いであった。先祖への恨みを子孫に返す、魑魅魍魎の浅ましい憎悪……。


『では、イタダキマ……』

「にゃあ」


 化物の戯言はそれまでだった。猫の呑気な鳴き声。振るわれた可愛らしい肉球付きの腕の一振り。それで全ては終わった。闇は薙ぎ払われて、其処にそれが存在したという痕跡すらもない。静寂が再び部屋を包み込む。


「すぅ……すぅ………」

「……」


 一仕事を終えた猫はふと見上げる。すやすやと何が起きていたのかも知らずに呑気にお昼寝を続ける女高生。古の昔、己を連れ添っていた主人の生き写しのような少女……先祖帰りとでも言えば良いのだろうか?代々の子孫を傍で見てきたがここまでお気軽に化物の生き残り共と出くわした者も珍しい。おかげ様で油断出来なければ落ち着いてお昼寝も出来なかった。困ったものである。


「すぅ……すぅ……うへへへ。すだま様。肉球ぷにぷにぃ……」

「にゃあ」


 知らんがな、という意味を込めて猫は喉を鳴らす。一体どんな夢を見ている事なのやら……本当に呑気な少女である。御先祖様とは大違い。情けなさに多分泣くぞ。


「なぁなぁ……なゃー」


 やれやれ……呆れたように嘆息して、猫は机の上に飛び跳ねる。鮮やかに机の上に着地する。そして仕方なさそうに少女の顔に寄り添うように身を寄せる。親が子を見守るように。猫の式は、猫魈は、少女に傍に寄り添う……。


「んんん……すだま様ぁ」

「にゃあ」


 沢山眠って大きくお育ち……そんな意味を込めて、猫は鳴いた。


 古書店『松末堂』は今日も平和で平穏に時を重ねていくのだった。









「不味い!寝過ごしたぁぁぁ!進捗終わったぁ!!?」


 尚、夜中に目覚めた少女の悲鳴で店が騒がしくなった事は、気にしてはいけない事である……。


 


 



 

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