霊界本屋『天国堂』

雪兎 夜

霊界本屋『天国堂』

 人は死ぬと天国か地獄に行くらしい。


 幼い頃に見ていたアニメでは、閻魔様が紙に書いてあるこれまでの行いを踏まえて、死者の行き先を決めていた。


 それじゃ、死んでいない僕は、これから何処に行くのだろう。


 目を開けた瞬間、知らない場所に立っていた僕はとりあえず人を探そうと道なき道を歩いていた。

 どれほどの時間が経ったのだろう。ようやく舗装された道に出たと思ったら、見渡す限り、草木が生い茂るだけ。

 しかし、今更引き返すことも出来ずに前に進むしかなく、ひたすらに歩いた。


 こうして暫く歩いていた時、僕は急な突風に襲われて目を閉じた。そのまま目を覆うように腕を前に出して耐えていると、空からチリーンと鳴った鈴の音と共に耳から聴こえていた風の音が収まる。


 僕は恐る恐る目を開けると、そこには大きな桜の木があった。


 そして、その影に隠れるように藁葺き屋根に木造建築といった、見るからに古びた家も建っていた。

 桜に引き寄せられるように玄関らしき場所に着くと、普通なら表札が置いてある所には板が外された形跡が残っていた。

 さらに僕は、視界にふと映った物を見ようと顔を上げる。


 それは1枚の木板で作られた看板のようで、『天国堂』という文字が書いてあった。


 玄関の扉がそっくりそのまま外されており、外からでも中を覗ける造りになっている。

 もしかしたら、誰か居るかもしれない。そう思った僕は玄関に足を踏み入れた。目の前の居間に繋がるであろう廊下には、大量の本とダンボールが積まれている。

 

 遠くからは家の風貌からして食事屋か菓子を売る店なのかと考えていたが、いざ入ってみると、食物じゃない。まるで田舎に住んでいた祖母の家と同じような、昔懐かしい匂いが心にも染み渡ってくる。


 居間に辿り着くと、そこには全ての壁を覆い尽くすように、びっしりと本棚が並び、例に限らず、隙間も無いくらいに大小様々の本で埋め尽くされていた。中には廊下同様、床や机に平積みされた本もある。


「いらっしゃいませ。何かお探しですか」


 背後から突如、女性の声が聴こえて振り返る。そこには、穏やかな笑みを浮かべた女性が立っていた。


「あ、すみません。勝手にお邪魔してしまって。あの。突然、何を言っているか分からないかもしれないんですが、実は僕、気が付いたら見知らぬ場所に来てしまったようで、とりあえず人を探そうと思って歩いていたんです。

 そしたら急に、この店が現れたんです。ですので、もし良ければ、お話のついでに休憩させていただけないでしょうか?」


 お願いします、と言って僕は頭を下げた。それを見た彼女は落ち着いた様子で「大丈夫ですよ。どうか、頭を上げて下さい」と優しげな口調で応えた。


「勿論、好きなだけ居てくださって構わないですよ。今、お茶とお菓子を持ってきます」


 大丈夫、と言いかけた言葉は女性が店の奥に歩いていったのと同時に消えてしまった。


 僕は諦めて、近くにあった椅子に腰掛ける。その時、何気なく見てしまった机には作業の途中だったのか、分厚い本とその本のことだと思われるメモ書きが残されていた。


「その紙は、あまり見ないで下さると助かります。まだ考え中の物ですので」


 彼女は思っていたよりも早く戻ってきて、僕の目の前にスッと飲み物を差し出した。


「もっと本の魅力を伝えたくて昔、よく書店で見ていたPOPという物を作ってみようかと。

 しかし、先程から何枚か作っているのですが難しくて……こうやって、単語とか伝えたいことをメモしてからの方が文章として私は書きやすいんです。だけど、この本には少し苦戦していて」


 困ったような表情を浮かべながら、彼女はメモに書かれた言葉をなぞる。

 そこには恐らく本から引用したであろう文章も綴ってあり、初見では中々理解し難く、堅い文章が書かれていた。

 確かに、この本を魅力的に伝えるのは一筋縄ではいかないだろう。


 僕は膝に置いてある両方の拳をギュッと握り、彼女と目線を合わせ、口を開いた。


「あの! 僕で良ければ、それ。手伝わせて貰えませんか」


「えっ。でも、お客さんにそのようなことをさせる訳には……」


「いえ。これは助けて貰ったお礼です。それに、誰かと一緒にやれば、より良い文章が思い付くかもしれませんよ」


 「例えば僕、とか」と言って、机に置いてあった対象の本を手に取る。

 彼女が一瞬戸惑った表情をしたのを見て、これはマズかったか……と思ったが、彼女は直ぐに口角を上げて感謝を述べた。


「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきますね。

 では、まずはこの本の内容を簡単に説明しますね」


 こうして、約2時間後。何とか文章が纏まり、下書きまで完成させることが出来た。


「清書は明日にして、ここまでにしましょう。──そうだ。知り合いから貰ったお菓子があったんでした。ちょっと取って来ますね」


 再び、店の奥に消えた彼女は1分も掛からずに先程、空になってしまったコップに並々に注がれたジュースと見たことがない菓子をお盆に載せて運んできた。

 形状は饅頭に似ているが、表面は寒天のように透明で、中身の餡のような物が透けている。手元に皿を持ってくると、その小さな衝撃だけで皿の上の菓子はプルプルと揺れている。

 一瞬、顔を上げて彼女を見る。少し顔を傾け、微笑みながら彼女は「どうぞ」と言った。

 僕は添えてあるフォークを持ち、1口サイズに切って口に含む。

 正直、美味しかった。それは想定外の美味しさで舌鼓を打ってしまうほどだ。


 僕はあっという間に謎の菓子を平らげ、すっかり虜になっしまった頃、その姿をニコニコしながら見ていた彼女は突如、顔をハッとさせた。


「そういえば、貴方のお名前を聞いていませんでしたね。これも何かのご縁ですし、教えていただいても宜しいですか?」


 これは、バリバリの現役営業マンとして働いているのに先に名乗らないとは社会人失格だ。

 私は急いで名乗るのが遅くなってしまったことに対する謝罪と改めて、受け入れてくれたことに感謝を述べる。

 そして、先程は簡単に済ませてしまった、ここに来た経緯を説明した。

 すると彼女は、私が今居る『天国堂』とこの世界について穏やかな口調で説明してくれた。


 簡単に纏めると、ここは霊界と呼ばれる場所。彼女いわく、通常通りであれば死者は閻魔大王様の御前に生前を再現した姿と魂が自動的に転移され、天国か地獄行きを判断される。

 が、例外もある。私のように現世への未練など、魂が成仏しきれていない場合に辿り着くのが彼女、『蓮華れんげ』さんが店主をしている霊界にある本屋『天国堂』なのだ。

 さらに、この本屋は私を含めた彷徨っている魂が辿り着きやすい立地らしく、このように時々、休憩所や宿屋としても使ってもらっているらしい。


 私は蓮華さんの話を聞いていく中で、ジャラジャラと記憶を閉じ込めていた鎖が外れていくと同時に、どこまでも深くドロドロとした感情が湧いてくるのを感じた。


 それも、妬みや嫉妬なんかじゃなく、自身に向けたモノ。


 全てのネガティブと折れ曲がってぐちゃぐちゃになったポジティブな感情を混ぜ合わせたスペシャルメニュー。


 これに、敢えて名前を付けるとしたなら、『絶望と死』だ。


 なんで、私はこんなことを忘れていた。


 あんなにも、長く長く、1日中、抱え込んできた感情だというのに。


 なんで、私はここに居るんだ?


 あんなにも、私は存在してはいけないと、言い聞かせたのに。


 なんで、私は、生きている?


……なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……


「──その顔は、やっと思い出したといった所でしょうか。それでは、説明はこの辺にして。

 これより、貴方の人生。ゆっくりお聞きしますね。大丈夫です。私が側にいますから」


 その言葉と共に蓮華は彼の手を取り、優しく包み込むように握った。


 そして、彼がこの行為を頭で認識する前に、彼の口は勝手に動いていた。

 淡々と紡いでいく言葉は自らを催眠に陥らせるように、少しずつ意識を遠のかせる。


 彼は徐々に何かを得て、失っていく中で何故か、蓮華の胸元に輝く物が目に入った。

 大切な人から譲り受けたのであろう。錆びれたチェーンに繋がれた指輪には白い宝石が埋め込まれており、それは眩しく見えた。


「安心して身を任せて下さい。きっと、貴方を安らかになれる場所まで導きますから」

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