◆二人で釣りをしてみた




 幽神霊廟、地下6層。


 地下にありながらなぜか太陽が燦々ときらめき、草原が広がる大地が広がっている。

 川も存在しており、川魚やサワガニ、水棲の昆虫なども生息している。スプリガン曰く、「魚は多分地球で言うところのヤマメとかマスの仲間っぽいやつ」らしく、人間が食べても特に問題はないらしい。


「よっしゃ! 来ました! フィッシュ!」

「あ、ちょっとアリス! ずるいですわよ!」

「ふふん、セリーヌはもう少し釣り竿の感覚を養わないといけませんね」

「くぅ……相変わらず脳筋なんですから……!」

「脳筋で結構でーす」


 アリスとセリーヌは、やいのやいのと騒ぎながら川釣りを楽しんでいた。

 別にヒマだから遊んでいるわけではない。

 これも立派な調査の一貫であり、同時に投稿動画の撮影でもあった。


 動画のコメント欄に企画を募集したところ「霊廟の中の草原ってどんな生き物がいるの?」という質問が投稿されたのだ。そこでスプリガンが「自分の管理する階層には魔物だけじゃなくて鳥や魚もいる」と話して、とんとん拍子に「それじゃ、釣り企画しよっか」と決まった。釣り竿セットは視聴者が勝手に送りつけてきた。


 またこのとき「フォロワーがアリスよりもセリーヌの方を応援してしまっている問題」が湧き上がっていたが、誠はすぐに解決方法を示した。コラボ動画を撮っていけば自然と解決するよ、と。


「誠が言うには、私とセリーヌが一緒に動画を撮影して視聴者にセットで覚えてもらえれば私にも応援の方にも来るはず……とのことでしたが、上手くいくのでしょうか」

「まあ、動画配信の機微は誠さんの方がよく知っておられる、ということでしょう。なにか不安が?」

「なんと言いますか……普通に二人仲良く遊んでいれば勝手に視聴者が盛り上がるというのがよくわかりません。見てて嬉しいものですかね……?」

「人が素直に喜んで遊んでいるのは良いものでしてよ。他の配信者も似たようなことはしているでしょう?」

「でも都合よく私を応援してくれるようになるのでしょうか?」


 岸から釣り竿を垂らしながら、アリスがなんとも言えない表情を浮かべた。

 それを見たセリーヌが、くすくすと笑う。


「民衆というのは浮気者です。私とあなたが一緒に映像に出て、ここがあなたの方がチャンネルの主であると認めたとき、私が獲得したフォロワーも自然とあなたを応援することでしょう」

「……そういう人の悪い発言、配信中には言わないでくださいね」

「当たり前です。人前での言葉と身内での言葉は昔からちゃんと気をつけています」

「でしょうね。あなたには議論で勝てた試しがありません」


 はぁ、とアリスが溜息をつく。

 それをセリーヌが優しげに見つめる。


「……あなたのよいところは、演技や腹芸ができないところです」

「セリーヌ、それはバカにしているのですか。これでもあなたより配信者としては先輩なんですよ」

「そうではありませんよ、褒めているのです」

「褒めている?」


 アリスが、きょとんとした顔をした。


「魔王と戦うために大軍を率いているときであろうが、カメラが回っているときであろうが、あなたは嘘をつきません。いつだって本音を話してくれる。だからみんながあなたを応援するんです。私のように演技と嘘に彩られた人には得られない本物の絆を、あなたは持っている」


 セリーヌは、優しくたおやかな口調だった。

 だがその言葉の裏にちらちらと垣間見える炎があった。

 それは羨望のようでもあり、焦りのようでもある。


「……セリーヌは、ここでも演技をしているのですか」


 アリスは自分で尋ねておきながら、すぐに答えを見つけた。

 しているに決まっている。

 なぜなら、今、配信者としてのセリーヌは本来の姿ではないからだ。

 今のセリーヌはエヴァーン王国に反旗を翻す、革命家である。


「ええ」

「今すぐにでも、帰りたいのですか」

「できるならば」


 セリーヌの竿が揺れた。

 魚が食いついたわけではない。

 ただ単に、手元がふらついただけのことだった。


「味方の反乱軍には、私が用意した隠れ家に潜んでもらっています。しかし王の軍勢や天の聖女の目をどれだけごまかせるかはわかりません。5年、あるいは10年、持ちこたえるかもしれませんし、あるいはすでに滅んでいる可能性もあります」


 通常、籠城は長くは持たないものだが、セリーヌが地の聖女としての権能を存分に仕えば話は別だ。誰にも気付かれることなくトンネルを堀り山城を築き上げることも、食料を増産することも、セリーヌにとってはお手の物だからだ。


 しかし敵にも聖女がいることを思えば、決して油断はできない。今にも味方が死んでいるかもしれないという焦燥とセリーヌは戦っている。そのことにアリスはようやく思い至った。


「でも、そうした焦りを表に出したら良い動画は撮れません。だから、普段は忘れています。美味しい料理も食べられますし、頂いた報酬を使って素敵なお洋服もアクセサリーも買うことができます」

「クローゼットはもうちょっと整理してください。侍女もいないのですから」

「あら、ごめんあそばせ」


 セリーヌは着道楽で、通販好きであった。


 誠から通販の仕方を教わり、大学や企業、投げ銭で得た報酬を使って様々な服を買っていた。他にも書籍や玩具、ガジェットなども好んで買っている。セリーヌは今、霊廟一階の空き部屋を私室として占領しているが、そこには通販で買った様々なものが足の踏み場もないほどに転がっている。中にはダンボールに入ったままのものもあり、そろそろアリスは注意しようかと思っていた。


 だが、アリスは気付いた。セリーヌは、意図的に道楽に耽っているのだ。そうしなければ心が保てず、良い動画を作れないから。焦れば焦るほど、アリスのフォロワーを増やし目標に届かせることから遠ざかってしまうから。


「無理をさせていたんですね」

「そんなことはありませんよ、楽しんでいます。……ただ、寝る前にほんの少し、仲間のことを思い出して侘びています」

「セリーヌ……」


 アリスは、目の前の少女を悲しいと思った。


 きっと、セリーヌに夢中になっている視聴者は、きっと彼女の懊悩に気付くことはないだろう。自分自身の焦りさえも騙すほどの完璧な演技は、決してアリスにはできないものだった。


「それに……魔王と戦っていた頃は、あなたとなんの気兼ねもなく遊びたいと常々思っていました。宮殿の晩餐会に連れてってあげようと思っていました。歌や踊りに興じたり、あるいは盤上遊戯をしたり……ああ、絵師に肖像画を描いてもらおうとも思っていました」

「ふふふ、似たようなことは全部やりましたね」

「ええ。夢が叶いました。それを与える人が私ではなく異世界の人であったことは少し残念ですけれど」

「……誠のことは、嫌いですか?」

「まさか。嫌いではありませんよ。お人柄は好ましいですし。……ですがあなたに言い寄る人に対しては誰であっても複雑ですね。私だけではありません。あなたの親衛隊のみんな、抜け駆けしてアリスを口説くのを紳士協定で禁止していたはずです」

「えっ!? それ初めて聞くんですけどぉ!?」


 アリスが驚いてセリーヌの顔を見る。

 セリーヌはそれが面白く、くすくすと笑った。


「もしバレたら全員が『一発殴らせろ』くらいのことは言ってくるでしょうから、誠さんには頑張ってもらいましょう」

「やめてください。その前に私が皆を殴り倒しますよ」

「じゃあ私が代表して何か悪戯でもしてさしあげましょう。それでよいですか?」

「まったくもう……そもそもあちらの世界には行けないではないですか」

「ですが、触れることはできると思いますよ。『鏡』はあくまで先へ進もうとする人の力を弾くだけ。私の予想が正しければ境界面においてのみ接触は可能です。そのうち試してごらんなさい」

「ッ!」


 アリスは羞恥で顔を赤らめた。

 もしかして誠とアリスが『鏡』越しに口づけを交わしたことがバレたのか、と危惧したが、セリーヌはそういうわけではないようだ。それ以上のことを話す気配も、からかう気配もない。


 アリスが内心で安堵したとき、セリーヌの釣り竿の先端が上下に揺れた。


「あ、来ました……あれ、重っ……?」

「セリーヌ、竿を離さないで。そのままリールを回して」

「はい……!」


 ばしゃばしゃと水面が揺れる。

 二人の視界にも魚が見えた。

 リールを回し、ぐいぐいと引き寄せる。

 転びそうになるセリーヌをとっさにアリスが支えた。


「ほら、セリーヌは釣り上げることに集中してください」

「はっ、はい! 行きますわ!」


 水面から引き上げられた魚は、太陽の光を照り返し眩しく輝く。

 籠に入れてもなお勢いよく跳ねて動き回り、セリーヌは物珍しそうに見つめている。

 アリスが、それを微笑ましく見つめた。


「セリーヌ。確かに、私は誠から様々なものを与えられました。ですが……一緒に釣りをしたことはありません。それで許してあげてください」

「アリス……」

「釣りは楽しかったですか?」


 アリスの言葉に、セリーヌはじんわりと微笑んだ。

 目に滲んだ涙は、演技でも嘘でもなかった。







 色々と聞かれたくない会話も録音されてしまったので、動画編集は誠の手を借りずにアリスとセリーヌが四苦八苦しながら成し遂げた。できあがった動画は20分ほどの内容で、前半10分は和気あいあいと、時には口喧嘩しながらも釣りを楽しむという流れだ。


 後半10分では、釣った魚を焚き火で焼いて食べ、故郷の民謡を歌うという内容だ。背格好も肌の色も違うはずなのに、視聴者にとって二人は仲睦まじい姉妹のようにしか見えなかった。




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