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◆幽神霊廟&レストラン『しろうさぎ』




「落ち着いてください。幽霊ではありません」


 アリスの言葉に、目の前の男がぴたりと動きを止めた。

 見るからに困惑している。

 だが頭の先から爪先までまじまじと見て、ようやく納得したようだった。


「あっ、ご、ごめん!」

「こちらこそいきなり覗いてしまったようで、すみません」

「覗いて……っていうか……。いや、こっちが覗きみたいなものでは」

「え?」


 アリスはそう言われて、初めてあられもない姿の自分に気付いた。

 布一枚を羽織っただけの、ほぼ裸のような姿だ。


「あっ、そ、その……。まじまじと見ないで頂けると。服は今、洗濯していて……」


 しまった。

 気まずい。

 アリスはこんなところで生身の人間と会うなどまったく考えてもいなかった。

 恥じらいを覚えて背をそむけたところで、男が叫んだ。


「だー! わかった! 服、持ってくるから待ってろ!」

「え?」


 男がどたばたと足音を立てて鏡の前から姿を消した……と思いきや、布やら何やらを持ってきた。それら全部を乱暴にアリスの方へ投げつける。随分と肌触りが良く暖かそう服だ。それが4着も5着も投げ込まれた。


「あれっ、通り抜けた……?」


 思わず受け止めてからアリスは疑問を呟く。先程は指先一つさえ通り抜けられなかった。だが今はごく当たり前のように服が通り抜けた。気になってアリスは鏡を触る。やはり通り抜けることはできない。


「あ、なるほど。モノは通り抜けられるわけですね。だから匂いもこちらに届いたんですか……」

「良いから服を着る! あとタオルも! びしょ濡れなんだから風邪引くだろ!」

「あっ、す、すみません」


 アリスは叱られていることにようやく気付き、服を着始めた。

 きらきらした夜空と、驚愕して目を見開いている猫が描かれた、不思議な服だった。







「それで、名前はアリスさんでしたっけ」

「はい。マコト殿」

「殿は良いよ、くすぐったい」

「では私も呼び捨ててください」


 アリスは、慌てている誠の姿を見て逆に冷静になっていた。誠もまた体を拭い服を着たアリスを見て、ようやく落ち着いた。ここで誠とアリスはお互いに話をして、鏡の向こうがまったく異なる世界だ……という大事な前提をようやく共有したのだった。


 誠の世界には魔法が一切なく、その代わりとして科学技術が発達して生活を便利にしている。魔法が使える証拠として水や火を出す魔法をアリスが使うと、誠は凄まじく驚いていた。


 逆にアリスも、誠が持っている家電製品……LEDライトやスマートフォンなどを見せられてひどく驚いていた。


 そしてお互いの世界の違いを大まかに理解したあたりで、お互いの境遇の話となった。


「……なるほど。アリスは冒険者で、幽神さまとやらが眠っている迷宮を探索しに来たと」

「まあ、そんなところです」


 とはいえアリスは、『罪人として追放された』という話は流石にぼかした。

 あくまで、この幽神霊廟を攻略している一介の冒険者だと話した。


「なんで一人で?」


 すぐに答えにくい質問が出てきた。


「い、いや、流石に高難度の迷宮ですからね。足手まといがいたらかえって危険なんです」

「ふーん……そういうものか」


 誠は深く追求することはなかった。

 アリスは内心ホッと胸を撫で下ろす。


「……しかし、世界と世界を繋ぐ道具があるなんて凄いな」

「流石に私も初めて見ました。マコトの世界にはこういうものはないんですか?」

「まさか。別世界なんて初めて見た……。外国語だってわからないし海外だってあんまり行ったことない……あれ?」


 誠は言葉を止めて首をひねった。


「どうしました、マコト?」

「アリス、日本語わかるのか?」

「私が喋っているのはエヴァーン公用語ですが……。おそらく、『鏡』に翻訳する機能があるのだと思います」

「はぁ……ちょっと理解を超えているな。流石は剣と魔法の世界」

「こんな凄まじいものが標準と思われるのも困りますが……」


 誠の隠さない驚きにアリスは苦笑する。


「むしろ、私が借りた服がありふれてるそちらの世界の方が凄いです。見た目より温かいし生地も柔らかいし……本当に安物なんですか?」


 今アリスが着ているのは、Lサイズの宇宙猫のパーカーだった。


 アリスの体には大きすぎてワンピースのような状態になっている。袖も長すぎて指先が出ない。だがそんなことよりも、生地の質感や精巧な猫の絵が描かれていることの方が気になっていた。


「それは持て余してたやつだから気にしないでくれ。後でもっとちゃんとした服も買ってくる」

「そ、それは困ります! これ以上頂いても返せるものがありません!」

「いいっていいって。本当に安物だから。それに、あげて困るものは渡さないよ。モノは送れても体は通過できないんだから取り返しにも行けないし」

「それはそうでしょうけど……」


 アリスは誠からパーカーやタオルを投げつけられたことで、一つの事実に気付いた。


 この『鏡』は、人間は行き来できないが物品のやり取りはできる、ということだ。


 あれこれと試してみたが、何故か人間は髪の毛一本さえも向こう側に行くことができない。冷蔵庫のまだ生きているアサリも無理だった。だが、一度料理したり完全に死んでいるものであれば、なんの問題もなく通過する。


 誠が「微生物や菌なんかも食べ物にはいるはずなんだけどな」と言い、アリスも微生物や菌の概念はわからずとも何となくおかしいとは思った。だが矛盾や疑問を棚上げするしかなかった。調べる手段などないのだ。


「それでアリス。これからどうするつもりなんだ?」

「……霊廟の地下を探索するつもりです」

「そんな軽装で?」


 誠が、疑いの目でアリスを見ていた。

 どきりとしつつも、アリスはあえて胸を張った。


「おっと、見くびってもらっては困ります。こう見えても強いんですよ」

「食料は?」

「あと5日……いや、一週間くらいなら問題なく……」

「その迷宮を探索するのに、どれくらい時間かかるもんなの? というか足手まといはいらないって言ったけど、一人で探検するのって事故もありえるんじゃ」

「……」


 誠の問いかけに、アリスは答えなかった。


 アリスは迷っていた。

 罪人としてここに流されたという事実を話すべきかどうか。

 だがありのままを話して何になるだろうか。


 あまりにも身軽であることや、荒んだ目をしていることから「相当な訳ありだな」と誠に勘付かれているとは夢にも思わず、ひたすら迷い続けた。


「……いや、すまん。困らせたいわけじゃないんだ」

「こ、こっちも困ってるわけではなく……」

「それより晩飯食べた?」

「え? いや……」

「じゃあちょっと待っててくれ」


 と言って誠は立ち上がって、厨房の方へ歩いていった。


「あのう、マコト……?」


 アリスの困惑の声を無視して誠は料理を皿に盛り始めた。


「カレーあるんだけど、アリスは辛いの大丈夫!?」

「大丈夫ですが……」

「このままだと三日連続カレーになるところだったから、食ってくれると助かるんだ」


 誠は皿にカレーライスをよそい、アリスのいる方へ差し出した。







 あっという間に空っぽになった。


 皿が、ではない。


 鍋が、だ。


「す、すみません……少々空腹だったもので……」

「あー、良いって良いって。……実食編はまた後で撮るか」


 アリスは平身低頭で謝り、誠は苦笑しながらさらっと流した。


 とにかく、アリスは空腹だった。国境を発ったときに持っていた保存食はすべて食べつくしていた。大砂界に入る前に野鳥を狩ったり野草を採ったりしていたが、それも長くは持たなかった。


 虜囚生活していた頃でさえ満足な食事は与えられていない。


 数カ月ぶりに食べる、人間らしい食事だった。


 一口食べた瞬間アリスは無言になり、凄まじい勢いでスプーンを動かした。

 誠は何も言わずに2皿、3皿と出して、気付けば米もカレーもなくなっていた。


「美味しかった……。ああ、辛いのにどこか甘さがあって……お肉も柔らかくて……」

「そりゃあ何より。市販のルゥを使ってるけどフレンチの野菜ダシと特製スパイスを加えてるんだ。美味いだろ」

「あっ……!」


 アリスは誠の視線に気付き、手で顔を覆った。


「あ、あの、あまり見ないで頂けると……助かるのですが」

「ああ、ごめんごめん」

「い、いや、それより……返せるものが無いのにここまで世話になってしまい……申し訳ないと言いますか……」


 どう恩返しすれば……というアリスの言葉を誠が遮った。


「そうだ、朝飯のパンも渡しておく。俺、明日は仕事してるから適当に食べておいて」


 誠はそう言って、食パンの包みとジャムの入った瓶を投げた。


「え!?」

「あとこれ、そっちはけっこう寒いみたいだから使って」


 そして誠は、パンを受け取ったタイミングで毛布とクッションを投げる。


「んじゃ、夜も遅いし俺はそろそろ寝るよ。おやすみ。また明日」

「ちょ、ちょっと……!」

「なんか用があったら大声で呼んでくれ」


 アリスの困惑の声を無視して、誠は鏡の前から去っていった。







 アリスは呆気にとられたまま、誠が『鏡』の前から去るのを見送った。


「これはどうすれば……」


 手元に残ったのは食料と衣服だ。

 食料が足りていないと見越した誠の判断は、悔しいくらいに正しかった。


 アリスは予想外の状況に困惑し、どうすべきか自問自答した。

 だが突然、瞼が鉛のように重く感じた。


「……うっ……ね、眠い……」


 今まで無視してきた精神的、肉体的な疲労が一気にアリスに襲いかかってきた。


 温かいご飯を食べ、過ごしやすい衣服に身を包んだことで、緊張の糸がぷっつりと切れた。体も頭も、完全に休む態勢に入っている。なんとか這いずって自分の身を毛布で包んだところで、アリスの意識は途切れた。




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