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◆幽神大砂界~幽神霊廟




 誠が悲鳴を上げる数日前。


 アリスは一人、砂漠を歩いていた。


 道のりは思った以上に過酷だった。エヴァーン王国の国境から北に一日歩いたあたりで、森や草木といった深緑が景色から消失した。そこから先にあったのは、ひたすらに真白い砂漠の光景だ。一歩一歩大地を踏みしめる度に、ガラス質の砂がこすれあう不思議な音を立てた。


 神々の古代文明が大量に作り上げたガラスや水晶が粉々に砕け、さらに数百年かけて破片同士がぶつかってさらに小さな丸い粒となった。


 それが幽砂ゆうさの正体だ。


 色鮮やかだが、植物や動物を一切育てない幽霊のような砂。その粒が大量に積もり積もったために出来上がった砂漠が幽神大砂界であった。あたり一面、まるで宝石を散りばめたがごとく眩しい景色が広がってる。


 自然の凄まじさにアリスは感動しつつも、険しい旅の予感に警戒を強めた。どんなに美しくとも、いや、美しいからこそ危険である。人知を超えた神の威光が色濃く残る人外の世界そのものだからだ。


「てやああっ!!!」


 アリスが襲いかかってきた魔物に剣を振るい、両断した。

 金属がこすれ合うような耳障りな音が響き渡る。


 倒したのは、硬い甲殻に覆われたクモの魔物、クリスタルスパイダーだった。


 巣は作らずに砂漠を移動して獲物を探す。人よりも高い身長、馬よりも長い体長でありながら、八本の足で砂の上を跳躍し翻弄する。


 また、緑色の宝石のような甲殻はただ硬いだけでなく幽砂と同じように光り輝いているため、近づけばその眩しさに幻惑される。ひよっこの兵ではとても太刀打ちできない恐ろしい魔物だ。しかし、現状のアリスは問題無く対処できた。


「……祈りの力が、まだ少しだけ残っていますね」


 アリスは、自分の手を開き、握り、己の力を確かめる。


 人の聖女とは、祈りや応援を自分の力に変換することができる。魔王との最終決戦においては兵士10万人の祈りを受け取ることができた。一人一人の祈りの力は僅かだが、万単位ともなれば絶大な力を発揮する。その力を振るい、魔王を倒すことさえできた。


 しかし、その力も今、尽きようとしている。


 魔王との戦いで八割方消えてしまい、残った力も今までの空腹や消耗、傷を治すことに消費している。残った力は全盛期の1割といったところだろう。


「……いえ、ここで挫けるわけには参りません」


 そこからまたアリスは数日間歩き続けた。


 体力の消耗を避けるため、夕方と早朝の僅かな時間だけを移動に費やした。酷暑となる真昼、極寒となる真夜中は、魔物の警戒と休養にあてた。ゆっくりと、だが一歩一歩確実に進んでいった。


 王や天の聖女などアリスを陥れた人々は、幽神霊廟ゆうしんれいびょうにたどり着く前に死ぬだろうと予測していた。すでに彼らの予想は覆している。


 しかしそれでも、アリスは消耗していた。


「ここが……」


 幽神霊廟。


 千年が経てなお美しい姿を保つ、神の寝所。


 入り口は大きく、人の背丈の十倍はあるだろう。

 まさしく人ではなく神が出入りするための設計であった。

 入り口の左右にある白い柱はあまりにも雄大だ。


 柱の近くには、門番のように佇むガーゴイルの石像があった。

 まるで生きているように見えるほど生々しい質感がある。


 また、霊廟の入り口付近の壁には、神話に現れる神々や、神々同士の戦争を示す壁画が刻まれている。これらを解読するだけで研究者がその一生を費やすことだろう。


 人の手で作った城などが児戯に等しいほど、美しく荘厳な建物だった。


 しかもここは地表に露出したごく一部であり、あくまで玄関に過ぎない。


 霊廟の本来の姿は、地下100層にも及ぶ史上最大の迷宮であった。ここまでの道程とは比べ物にならないほどの過酷な環境、そして困難な敵が待ち構えている。全盛期の10万の祈りを受け取ったアリスならまだしも、現状の力量で挑むのは自殺行為だった。


「……死に場所としては、豪勢過ぎますね」


 アリスの口から微笑みがこぼれた。

 それはようやく死ぬことができるという、暗さと諦めに満ちた安堵であった。







 霊廟の入り口から中心に向かって、大きな通路が伸びている。

 中心部には大きな下り階段と、更に奥へ進む通路があった。


 アリスは、地下に降りるのは早いと考えて奥の通路へ進んだ。通路は、古代の人間の生活拠点につながっていた。水場や寝台、あるいは備蓄を保管するための倉庫や、おそらくは貴重品を管理するための宝物庫などがある。


「……これは、すごい」


 宝物庫らしき場所はほとんど空で、井戸らしき場所の水もれきっていたが、唯一残されていたものがある。


 それは、大きな『鏡』だった。


 高さは人の背丈よりも大きく、横幅も同じように広い。

 貴族が姿鏡とするにしても大きすぎる。

 くもり一つなく美しく磨き上げられた表面は、アリスが今まで一度も見たこともないものだった。

 アリスはその素晴らしさに感動する一方で、ひどく落胆した。


「我ながら、ひどい姿ですね……」


 マントは砂ぼこりと魔物の血で無残に汚れきって、もはやボロ布だ。

 当然ながら、その下の衣服や靴もひどい有様だ。

 聖女とうたわれたことがありながら、なんとみすぼらしいのだろう。


 だがもっとも酷いのは顔つきだった。


 冤罪による虜囚生活と一ヶ月に渡る一人旅によって、アリスは自分自身でも笑いが出るほどに暗い顔をしていた。


 アリスは、男に言い寄られることが少なかった。


 聖女となる前の14歳の頃は同世代の男どもからちんちくりんと馬鹿にされ、聖女として認められて軍に入ってからはそれどころではなかった。


 それで何の問題もなかった。異性のために剣を振るったことなどない。すべては魔王を倒し平和をもたらすためで、色恋にうつつを抜かす暇などあるはずがない。むしろ兵士の男達に混ざるために、自分が男であるとさえ思い込もうとした。


 気付けば少女らしさやうぶさなど消え、裸で水浴びする男を見ても笑い飛ばすことさえできるようになった。お気に入りの娼婦の元へ足繁く通う兵士をからかうことさえあった。なんともむさ苦しい青春を送ったものだとアリスは自嘲する。


 実際のところ、兵士たちはアリスと付き合うことを固く軍規で禁じられており、少しでも口説こうとしたものは厳罰が課せられた。


 更には、アリスを妹のように可愛がる兵士たちがお互いに牽制しあってナンパから守っていたという事情があったのだが、どちらもアリス本人には徹底的に伏せられた秘密だった。


「体くらいは清めておきましょうか……」


 ともあれ、アリスは自分に、女性的な魅力が備わっているなどこれっぽっちも思っていなかった。せめて身を清めようと思ったのも自分の女性らしさのためではなく、死を目前にした礼儀作法のようなものに近かった。


 アリスは衣服を脱ぎ、魔法で水を出して頭から被った。

 そして手拭いで丁寧に身を清めていく。


 一通り体を洗ったあたりで体に巻き付けた。

 服やマントも洗濯して、すべて清潔にしてから地下へ進む。

 そして、そこで死のう。

 そう思った瞬間、アリスははたと気付いた。


「……この鏡、おかしいですね?」


 鏡に映る動きが、ほんの少しだけ現実よりも遅れる。


 時間にして1秒にも満たないだろう。

 0.1秒にさえなるかどうか。

 常人ならば気付かない。

 鍛錬を積んだアリスだからこそ違和感に気付いた。


「これは……鏡に偽装した魔道具ですか」


 アリスは地の聖女セリーヌから様々なことを教わっていた。


 セリーヌは、王家に連なる高貴な身分でありながら博愛の心の持ち主で、低い身分から取り立てられたアリスを見下さなかった。そして学のないアリスに根気よく様々な物事や学問を教え、やがてアリスはセリーヌを師匠のように敬愛し、姉のように親愛を抱くようになった。


 アリスはそんなセリーヌとの雑談の中で、「古代の遺跡には、防犯のために魔道具を日用品に偽装していることがある」と聞いたことがあった。


 たとえば、ただのティーカップと思いきやすぐさま熱い湯を沸かす魔道具だったりする。


 あるいはごく普通の箪笥たんすかと思いきや、「ここではないどこか」に繋がっていて見た目の何倍もの衣服をしまうことができたりする。


 古代人がなぜそんなことをしたのかはわかっていない。盗人の目をごまかすために一般的な調度品に紛れ込むような外見にしたとか、いかにも魔道具らしい魔道具は成金をひけらかすようで無粋とされたとか、様々な説がある。


 だが今大事なことは、『鏡』は見た目通りの鏡ではないということだ。


「……どういう魔道具でしょうか?」


 アリスは、鏡をぺたぺたと触った。

 手触りはただの金属の鏡で、ひんやりとした感触がアリスの手に伝わる。


 そして、『鏡』の縁の部分に不思議な宝玉があることに気付いた。

 そこに手を当てた瞬間、『鏡』が強烈に輝き始めた。


「な、なに……!?」


 だが、すぐに光は収まった。


 そのかわり、『鏡』が鏡の役割をしなくなった。

 『鏡』の目の前の光景ではなく、どこか別の場所を映している。

 白いカーテンが揺れていてよく見えないが、恐らくはどこかの『部屋』だ。


 屋内であり、音が聞こえる。

 男性が妙に芝居がかった声で話をしているのが耳に届く。

 同時に、火を使う音も聞こえた。

 香ばしい匂いも漂う。

 料理でもしているのだろうか。

 思わずアリスのお腹がぐうと鳴った。


 アリスは、このカーテンをどけられないだろうかと手を伸ばす。

 しかし、鏡の向こうに手をのばすことができなかった。

 手が向こう側に届かない。

 『鏡』の表面に手がぶつかり、それ以上進まないのだ。


「……見るだけ、ですか」


 落胆を覚えつつも、アリスはなんとなく『鏡』の機能がわかってきた。


 これはおそらく、どこか遠くの場所を映すことができるのだ。

 『遠見』や『千里眼』の魔法を魔道具にしたものだろう。

 『鏡』の向こうの誰かが私に気づかないだろうか。

 いや、でも向こうからこちらが見えるという保証もない。

 見えたとして、人間であるという保証もない。

 恐ろしい邪神や魔人の可能性もある。


「でもおかしいですね。見るだけならば、なぜ匂いがこっちまで……?」


 本来なら、強く警戒するべきところだ。

 しかしアリスは大砂界を渡る旅の間、ひたすらに孤独だった。

 誰かと話せるならばなんだっていいとさえ思うようになっていた。


 その気持ちが通じたのだろうか。

 カーテンの向こう側で、誰かがこちらに近づいてきた。

 人影がすぐ間近にある。

 その誰かの手で、カーテン……実際はテーブルクロスが外されていく。


 するとそこには、あっけにとられた人間の顔があった。


 黒髪の、どこかひょうひょうとした感じの男性だ。

 よくアイロンを効かせた皺のない白いシャツに、同じく皺のない黒いズボン。

 ズボンの上にはこれまた黒いエプロンを付けている。

 アリスにとって初めて見る服装だが、なんとなく「料理人なのだろう」と察した。


 服装の清潔さに加えて、仕事人らしいごつごつした手。決して太っているわけではないが、毎日鍋を振るっているであろう肩の大きさや腕の太さが、服の上からでも見て取れた。


 戦士にありがちな厳しすぎる顔立ちはしていないが、かと言って暴利を貪る貴族にありがちな、脂ぎった顔などはしていない。日常を真面目に生きる人が持つ、他人への優しさと仕事への厳しさが雰囲気として伝わってくる。


 だがそれ以上にアリスにとって重要なことがある。


 魔物でもない。悪魔や魔王でもない。


 紛れもなく、ごく普通の人間であることだ。


「あっ」


 ど、どうしよう。

 なんて声をかければよいのか。

 というか『鏡』の向こうって、普通の民家になっているなんて。


 ……ということは、私は民家を覗こうとしていたってこと?


 そこまで気付いたアリスは、詫びの言葉を呟き掛けた。


「す、すみませ……」

「ゆっ、幽霊だぁああああああああ!!!!!????」


 だがアリスの言葉は、男の絶叫によってかき消された。




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