第2話

 次の日からしばらく、理恵は相変わらず忙しい日々を送っていた。休憩時間の給湯室では同僚とおしゃべりをして、社内恋愛中のイケメン営業マンとドキドキしながらこっそり目配せして、あのムカつく上司には今日も怒鳴られて……。そんな変わらぬ日常だ。

 忙しいとはいっても、あの日のように帰りが終電を過ぎることはなく、理恵は電車に乗ってはなんとなく(あの屋台は出ているかしら)と線路脇の道を眺めたが、あれ以来見ていなかった。ひょっとしたら、終電を過ぎた時間からやってくるのかもしれない。


 ある日理恵が会社に行くと、部署内がどうもいつもの雰囲気とは違った。みんなそわそわとして、空気がどこか重く、一部の人はバタバタと忙しそうにしている。


「あ、おはよう理恵」


 友人であり同僚の由紀子が、理恵に声をかけた。


「何かあったの?」


「それがね、部長が昨晩亡くなったって……」


 そこで神妙な顔をしていたはずの由紀子がふふと笑ったので、理恵は怪訝な顔で首をかしげた。


「ごめんなさい。人が亡くなったっていうのに笑うなんてダメよね。でも、部長……自宅で便器に頭突っ込んで溺れたらしいのよ。そんな死に方ってある?」


「ええ⁉︎ 嘘ぉ!」


「本当、嘘みたいよね。そういえばそんな雑談してたこともあったっけ。まあでも、ここは神妙な顔をしておかないと。早速、明日と明後日に葬儀も決まったみたいよ」


 この忙しい時にねー、などと言い足しながら、由紀子は自席へと去って行った。


 部署の人間たちは通夜と告別式と、半々で人を分けて出席した。理恵は通夜に葬儀場を訪ねる。部長の家族が泣き腫らした目で、呆然とした表情でお辞儀をしているのを見ると、内心ざまあみろと思っていた気持ちは消えて、死んでしまえばいいなんて会話をしていたことに罪悪感を覚えた。


 焼香を終えて案内された葬儀場の広間には、寿司などの通夜振る舞いが用意されていた。現役の部長の葬式となるとそこにはたくさんの人がいて、思い思いにお酒を片手に談笑している。理恵が誰か知っている人はいないかとキョロキョロと見回すと、由紀子の姿が目に入った。

 知り合いがいたことにホッとし、由紀子の元に行こうとして理恵はふと足を止めた。由紀子がにこにこと笑い、過剰なほどに見えるスキンシップをしながら会話をしている相手は、営業部の宮川だった。

 彼は理恵の恋人で、そのことは由紀子にも話していたはず。(それなのに、あの距離感はなに⁉︎)由紀子は男の前ではいつも貧血気味で、今もふらふらと宮川に寄りかかっている。理恵は、どう見ても女をアピールしているようにしか見えない彼女に憤って、それに鼻の下を伸ばす宮川にもイライラとしながら、踵を返して葬儀場を後にした。




 告別式の次の日、理恵が出社すると、部署内は部長が亡くなった知らせがあった日よりもさらに異様な雰囲気をかもしだしていた。


「どうしたんですか?」


理恵は手近にいた女性社員に聞いた。


「それが……。火葬の前に部長のご遺体がなくなっていたんですって」


「え? 遺体がなくなるってどう言うこと?」


「それが誰もわからないからすごく気味が悪いのよ。出棺の時には確かにいたのに、火葬場で忽然と消えていたって」


 馬鹿みたいな話なのに、これがどうやら事実のようで、理恵は背筋にゾワゾワと悪寒を感じた。あらためて部署内を見回すと、皆が眉をひそめて、ヒソヒソとこの怪奇の事を噂しているようだった。


 実は生きていた?

 ゾンビになった?

 誰かが持ち去った?


いくら噂話をしたって答えは出ないし、どの想像も背筋が凍るものだ。


 そうは言っても、ここ数日はかなり仕事が滞っていて、噂話ばかりしている暇はなかった。新しい部長が来てバタバタしたり、積み上がった仕事を理恵はどんどんと片付けなければいけなかった。ただそうしていると、もやもやとした気味の悪さを忘れることができたので、彼女は目の前の仕事に没頭した。


 なんとか明日提出しなければならない書類を終わらせた頃にはもう終電の時間は過ぎていた。はたと気付くと部屋に残っているのは自分だけだ。急に静けさや時計の秒針のような些細な音が怖くなって、理恵は慌てて会社を飛び出した。

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