003 小娘の姿になるのも良い老後かもしれん

「マジか」


 モアはしばし硬直していた。


「必要なのだろう? だったらそれくらい出してやるのが祖父の役目だ」


 こんな姿だが、メビウスはたしかにモアの祖父だ。さらにいえば幼児のうちから親を亡くした彼女の親代わりでもある。だからそれくらい当然なのだ。


「さて、行くぞ。ここで固まっていても寒いだけだからな」


 モアの肩を叩き、ふたりは永遠の翼デパートへ入っていく。


 豪華ごうか絢爛けんらんなデパートである。ロスト・エンジェルスの首都ダウン・タウンの象徴のひとつともいえる場所だから当然といえば当然ではあるが。


「服屋は4階か」


「そうだよ~。かわいいお洋服で自分を着飾らないとね!」


「君もだがね」


 いかんせんモアから渡された黒ジャージ姿で女性向けの服屋に入るのは気が引ける。だが、隣にいる孫娘もグレーのジャージなのに堂々としている。ならばメビウスも威風堂々とすべきなのだろう。


「ねえ」


「なんだ?」


「仮に同級生と会ったらおじいちゃんのことはお姉ちゃんってことにするからね? あと一人称にも気をつけて」


「わしでは駄目か? 昔の女は一人称がわしだったヒトもいたぞ?」


「時代が違うんだよ! しっかりしてよね~」


 まあ公的な場では『私』を使っていたので、さほど苦労することもない。ただ孫娘の姉になりきれというのはなかなかハードなお願いだ。


 とはいえ、エスカレーターの外側の鏡張りを見てみればいまのメビウスは立派な美少女であることを再認識できる。ここはモアのお願いに従うほかないだろう。


 そんなわけで服屋が大量に設置されている4階へたどり着く。


「うおお! まばゆくて見えないぜ!」


 モアが言い出したことなのに、彼女はどの服屋にも入ろうとしない。仕方がないのでメビウスが彼女の手を引っ張り適当なショップへ入る。


「ふむ。若い女性の服は多種多様だな」


 上着もズボンもスカートもアクセサリーも無限大に点在している。ロスト・エンジェルスは寒い国なのでどれもこれも暖かそうだが、短めのスカートもある。足を見せたい欲求でもあるのであろうか。


「ライダーズジャケットは男性とあまり変わりがなくて良さそうだ。下はダメージジーンズが良さそうだな。よし」


 そんなわけで試着しようとしたとき、モアの思考が停止していることに気がつく。


「どうした?」


「こんなキラキラしてる空間にいられないよ……」


「君が誘ったのだろう? 私はもう目星つけているぞ?」


「もう良い……。一生ジャージで過ごす」


 こうなるとモアは一歩も引かないので、メビウスは服一覧を一瞥しグレーのコートと赤いセーター、スキニージーンズを指差す。


「君はお母さんに似てスタイルが良いから、きっと似合うはずだ」


「そう?」


「そうだ」


「……。分かった」


 なぜ落ち込んでいるのかさっぱり分からない。これが乙女心というものなのだろうか。


 試着室に入ったメビウスは何気なく独り言を言う。


「若い頃はライダーズジャケットとか着ていたな。性別が変わっても服の趣味は変わらないというわけか」


 どこまで肉体に魂が引っ張られるか分からないが、いまのところは大して変わっていないようだ。


「とはいえ愉快だな。小娘の姿になるのも良い老後かもしれん」


 なにげなく薄い破顔をしたくなるような見た目である。この歳になると格好いいとか可愛いといったものに関心を抱かなくなると思いこんでいたが、実際のところは違ったらしい。


「モア、着替え終わったぞ」


「まだ着替えてる~。TSもののお楽しみ早く見たい~」


 というよく意味が分からないことを口走る孫娘。どこにこちらへ聞き耳立てている者がいるのか分からないのに無邪気なものだ。


「着替えたよ~ん!!」


 やはり娘の娘ということもあり、スタイルは抜群だ。つい先ほどまでジャージ姿の化粧すらしていなかった生娘とは思えない。ただこうなるとメイクもしてほしいものだ。


「どう? 可愛いでしょ!!」


「ああ。とても似合っている」


「やった~! 褒められちゃった~!」


 たぶんメビウスが完全なる女性ものの服を着ている姿を見て面白がりたかったのだろう。だがモアの意識はすっかり自分に向いていた。


「他にも色々試してみるか? どのみちカネならあるのだし」


「うん! 卑屈になるのって良いことないね!」


 *


 2時間ほど経過した。さすがにありとあらゆる服装を試した気がするものの、それは感覚だけだろう。この世に女性服がいくつあるかなんて考えたくもない。


「7,600メニーです」


「それではお姉ちゃん! キャッシュレス決済してみてください!!」


「あ、ああ」


 モアから渡された携帯にはすでに決済方法が埋め込められているらしい。だから携帯を機械にかざせば会計が終わるという。非常に簡単な説明で誰でもできそうな方法だが、70年以上生きてきてもやったことのないなにかをするのはそれなりに緊張もする。


 ピッ!! 決済が完了しました。


「あ、できたのか?」


「できたよ! これで機械オンチから一歩脱出だねおじいちゃん!」


 首をかしげながらメビウスはモアの元へ向かう。

 この光景を見ていた店員は、なんで孫娘と爺さんの会話なのに見た目は姉妹なんだよ、と思ったという。


「着替えまくって疲れちゃった。なんか食べよ!」


「悪くないな。身体が若返ったからか、脂っこいものも食べられそうだ」


「ほらぁ~。若返ってよかったでしょ?」


 モアは肘をメビウスに当ててくる。白髪少女は、「どうだかな」と曖昧な返事だけしておく。


「おっ! 『カイザ・バーガー』がある! あそこで食べよ、お姉ちゃん!」


「良いが……テレビとかで見る限り若者はあちらの『スターバースト』で甘いものとかを飲むんじゃないのか?」


「……お姉ちゃんは陰キャの気持ちをまったく分かってないね」


「陰キャ?」


「あそこにいるヒトたち、みんなキラキラしてるでしょ? 誰よりも自分への自信に溢れてる。私なんかがあんなところ入ったら身体が溶けちゃうよ」


「ま、まあ。カイザ・バーカーでもコーヒーはあるのだろう? ならそちらへ行こうか」


 孫娘の闇深い一面を見てしまったような気分になるが、あまり気にしないようにしよう。

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