第四章 ~『徒歩と霧』~


 舞踏会を終えたマリアはティアラと共に帰路についていた。二人は肩を並べて、夜道を歩く。


「長居したせいで歩いて帰ることになり、すまなかった」

「ティアラは悪くありませんわ。それに教会まではすぐですもの。十分に歩ける距離ですわ」


 遅くなりすぎると御者が可哀想だと、ティアラは先に馬車を返したのだ。夜風に吹かれながら二人は王都の通りを進む。


「さすがは王都。綺麗な街並みですわね」

「霧も出ているおかげか、神秘的な雰囲気が漂っているな」


 街灯の灯りも相まって、夜景の美しさに感動を覚える。もしイリアス家に残り続けていれば、生涯見ることのなかった光景だ。


「舞踏会も楽しかったですし、今夜の思い出は宝物ですわね」

「マリアは大袈裟だな」

「誇張ではありませんわ。なにせ私は使用人と変わらない毎日を過ごしてきましたから。こんな絢爛な体験は夢のようですわ」

「ふふ、なるほど。だから、あの人は……」

「あの人?」

「私の知り合いの話だ。可哀想な人が好きでな。きっとマリアのことも気に入るに違いないと思ったのだ」


 そう口にするティアラの表情には悲しみが滲んでいた。心配で声を掛けようとした時、石畳を走る馬車が近づいてくる。


 馬車は速度を落とすと、窓が開く。そこから見知った女性――リーシェラが顔を出した。


「あんたたち、徒歩帰りだなんて馬鹿じゃないの。この辺りは治安も悪いのよ」

「そうなんですの?」

「呆れた……あのね、霧もあるし、商店も閉まっているから目撃者もいない。ちょっと考えれば、危ないことくらい分かるでしょ」

「忠告ありがとうございますわ。でもどうして?」


 邪魔なマリアは襲われた方が都合はよいはずだ。それなのになぜお節介を焼くのかが分からなかった。


「私も人の心くらいあるわ。死なれると目覚めが悪いじゃない」

「リーシェラ、それなら心配無用だ。私たちは聖女だからな」


 ティアラは護身用の相棒であるクロを召喚する。霊獣は並の暴漢に勝てる相手ではない。合わせるようにマリアもまたシロを呼び出した。


(シロ様がいてくれれば、怖い物なしですわ)


 治安への不安は消え去る。やっぱりティアラは頼りになると、改めてそう思えた。


「ふん、せいぜい無事に帰ってくることね」


 それだけ言い残し、リーシェラの馬車は霧の中へと消えていく。


 シロをギュッと抱きしめながら、マリアもまた石畳の道を進む。一歩進むごとに、どんどん霧が濃くなっていった。


「歩いて帰るのは失敗だったかもしれないな」

「ティアラのせいではありませんわ。ここまで濃くなるとは予想できませんもの……あれ? ティアラ?」


 慰めの言葉に返事はなかった。それどころかティアラの姿が霧に包まれて消えてしまう。


(まさか攫われたんじゃ……)


 ティアラは公爵令嬢だ。身代金目的の誘拐の可能性が頭を過る。


(あ、ありえませんわ。クロ様もいますもの)


 霊獣のクロが付いているから安心だと心を落ち着かせる。だが恐怖は伝播したのか、シロはマリアの腕の中から飛び降りると、尻尾を立てて、戦闘態勢を取る。


「誰かそこにいますの⁉」


 シロだけでなく、マリアも気づくほどの敵意が向けられていた。霧で視界が明瞭でないが、人影の動く姿も視界の端で捉える。


 マリアはゴクリと息を飲んで、人影の正体を探ろうとする。しかしシロは我慢することができなかった。


 マリアを置いて霧の中へと飛び込んでいく。それから数秒後、白に染まった視界の向こうで、ティアラの悲鳴が届く。


「ティアラ、なにか起きましたの!」


 悲鳴の元へと駆けつける。するとそこには、返り血で白い毛を赤く染めるシロと、顔を爪で切り裂かれたティアラが蹲っていたのだった。


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