第四章 ~『レインの過去』~


 それは丁度、マリアが教会に入る半年前の出来事である。


 レインは王子としての義務感から王宮での舞踏会に参加していた。離宮以上に広い会場では、シャンデリアが輝き、参加者も名のある貴族ばかりである。


「お、レインも参加していたのか」


 声を掛けてきたのは、第一王子のアレックスである。葡萄酒片手に、既に酔っぱらっているのか、耳まで赤くなっている。


「随分と酔っているな」

「酒が美味くてな。レインはどうして参加しているんだ?」

「大臣たちが、早く婚約者を見つけろと五月蠅くてな」

「ははは、あんな奴らの言葉なんか無視してもいいんだぜ」

「兄さんのように、シンプルに生きられれば楽なんだがな……」


 王子の地位は盤石ではない。大臣や他の貴族たちの後ろ盾があるからこそ、権威を保っていられるのだ。


 ご機嫌取りのために参加するのも仕方がないと、レインは割り切ることにしていた。


「兄さんはどうして舞踏会に?」

「可愛い女の子を愛でるのが俺の生き甲斐だからな」

「ああ。そういうことか……」

「何を一人で納得しているんだよ?」

「……ティアラなら遅れてくるそうだ」

「お、お前、気づいていたのか⁉」

「兄さんとは長い付き合いだからな」

「ティアラには言うなよ」

「もちろんだ。その代わり、いつか私の頼み事も聞いてくれ」

「ははは、任せろ。大切な弟の願いなら、なんでも叶えてやるよ」


 アレックスは豪快に笑う。竹を割ったような性格の兄をレインは尊敬していたし、好意的に見ていた。


 彼が次期国王ならきっと王国はよくなる。そう思えるほどの人格者だった。


「すまん、ちょっと知り合いの大臣がこっちを見ている」

「無視するんじゃなかったのか?」

「まぁ、俺も暇だしな。おじさんに付き合ってやるさ」


 レインは驚きで目を見開く。昔のアレックスなら暇でも大臣の相手などするはずがなかった。言葉と反し、上層部との友好関係の重要性をしっかりと理解する大人に成長していたのだ。


(知らぬ間に、兄さんも変わったのだな)


 一人になったレインは葡萄酒に口をつける。酔った頭で茫洋とした視線を向けていると、見知った顔が近づいてきた。


「これはレイン王子、お久しぶりです」

「将軍。それにティアラも久しぶりだな」


 ティアラの家系は、公爵家の中でも最大の財力を持ち、軍事にも秀でた一族である。特に彼女の父親は王国の兵団を束ねる将軍職に就いている。無下にはできない相手だった。


「どうですか、レイン王子。我が娘は?」

「随分と印象が変わりましたね」

「ははは、いたずらばかりをしていた悪ガキとは思えないでしょう」


 以前のティアラは粗野な外見に、弱者を虐めるような内面を併せ持つ悪女だった。しかし目の前にいる彼女は違う。軍人のように背をピシッと伸ばし、ドレス姿も公爵令嬢に相応しい出で立ちである。


「見違えるものですね」

「今までの放任主義を止めて、しっかりと躾けましたから。もう他の子供を虐めることはありませんよ。なぁ、ティアラ」

「あれは嫉妬に狂ってしまったが故の若気の至りです」


 ティアラは恥ずかしそうに僅かに俯く。かつての彼女からは考えられない反応だった。


「嫉妬ということは好きな人がいたのかい?」

「ジルという美しい男の子を手に入れたいと願っただけです」

「それでも好きな人がいたのは羨ましいね」


 レインは生まれてから一度も人を愛したことがない。だからこそ異性に執着できる彼女を羨ましいと感じた。


「レイン王子、それに関して相談なのですが、どうやら王子には婚約者がまだいらっしゃらないとか」

「将軍。あなたの言いたいことは聞かなくても分かります……」

「おおっ、では我が娘を婚約者に如何ですか?」

「ティアラは魅力的ですが、私には婚約するつもりはありませんから」


 レインは人を愛したことがない。だが王家の血筋を残すためにも、結婚はいずれ求められる。


 だがティアラを選ぶつもりはなかった。彼女の美貌があれば男性に困ることはないからだ。


 どうせ愛のない結婚をするのなら、相手を選べない人間――不幸のどん底にいるような女性を救うためにしようと心に決めていた。


「あ、あの、レイン王子……」


 しかしティアラは諦めない。彼女は目尻に涙を貯めながらも、しっかりと彼を見据える。


「私のどこがいけないのでしょうか?」

「言っただろ。君は魅力的だ。問題があるのは私の方だ」

「建前は結構です。私はあなたが求めるような良妻となってみせます。だからどうか私を妻に選んでくれませんか⁉」

「申し訳ないけど……無理だ」

「そんなぁ……」


 改心して優しい娘になったのは本当なのだろう。だからこそレインは彼女には愛のある結婚をして欲しいと願っていた。


(それこそ兄さんと……)


 アレックスはティアラに惚れている。二人が結ばれるのが最良の結果のはずなのに、ボタンの掛け違いが生まれてしまっていた。


「ティアラ、ここにいたのか」

「アレックス王子……お久しぶりです」


 ティアラを見つけたアレックスが駆け寄ってくる。しかし彼女の瞳は冷たい。他人行儀な態度で、挨拶を交わす。


「舞踏会に来るのは久しぶりじゃないか?」

「忙しかったものですから」

「はは、だが会えなかったおかげで積もる話もたくさんある。今夜は存分に語り合おう」

「で、でも……」

「もしかして用事でもあるのか?」

「いえ、特には……」

「なら決まりだ。将軍も構わないよな」

「もちろんですとも、アレックス王子」


 父親の了承が得られたのだ。止める者は誰もいない。ティアラは名残惜しそうに、レインを一瞥するが、すぐにアレックスと向き合い、談笑を始めた。


 だが二人の会話にはどこか違和感がある。熱の籠ったアレックスと、凍えるように冷たいティアラ。どこまでも対照的な二人だった。


(兄さんはティアラの前だと、平静さを保てないのだろうか)


 才色兼備の女性たちに囲まれて育ってきたアレックスは女性の扱いにも長けている。それにもかかわらず、ティアラの前だと緊張で振舞いに変化が生じていた。


(私は邪魔者だな)


 会話に集中させてやろうと決めて、二人の元から離れる。


 レインは会場の端まで移動すると、壁に体重を預ける。


(舞踏会はまだまだ続きそうだな)


 葡萄酒片手に、茫洋と視線を巡らせる。そんな折である。彼の前に凛々しい顔付きと、透き通るような銀髪、血のように赤い瞳をした少女が立つ。


「初めてお目にかかります、レイン王子。私、イリアス家の男爵令嬢――サーシャと申します」


 サーシャは恭しくスカートの裾を掴み上げる。この出会いこそが彼の運命を変えることになるとは、当時の彼は想像さえしていなかった。


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