第一章 ~『私からなら殴れる』~


 試験会場を後にしたマリアは、夕日を背に受けながら、意気揚々と帰路についていた。教会の馬車で最寄りの街まで送ってもらえたため、屋敷までの距離はすぐそこだ。


(きっとお父様は怒りますわね。でも関係ありませんわ。このまま好きでもない人と結婚するくらいなら喧嘩上等ですもの)


 冷酷な父親は容赦なく娘を王子の元へと嫁がせるだろう。それが分かっているからこそ、退くことはできない。


 額に汗を浮かべながら屋敷に辿り着くと、内庭の四阿へ向かう。この時間はマリアを除いた家族全員が、日課の団欒をしている頃だ。


「お父様、お母様、それにサーシャも。やっぱりここにいましたのね」

「マリア! お前、今までどこに行っていた⁉」

「私を心配してくれていたのですか?」

「馬鹿を言うな。お前がいなくなったせいで、その分の仕事が遅れているのだ。今日は寝る間を惜しんで働け。遅れを取り戻すまでは食事抜きだ!」


 変わらない父親の態度に、マリアは安心する。クズ相手なら躊躇する必要がないからだ。


「お断りします、お父様」

「なにっ⁉」

「私は大聖女候補として教会に保護されました。あなたの奴隷として生きるのは今日で終わりですわ」


 マリアは合格証明書を提示する。驚きでグランドは目を見開くが、退く様子はない。


「どうせ偽物だろう。お前が大聖女候補になれるものか!」

「では私に暴力を振るってみますか?」

「そ、それは……」

「できませんわよね。教会と敵対すれば、男爵家の権力では太刀打ちできませんもの。でもね、お父様――私からは殴れますのよ」


 積年の恨みを込めて、顔に拳を叩き込む。少女の腕力では大きな傷を与えることはできず、鼻血が流れる程度だ。


 しかし娘から暴力を振るわれた事実は、グランドのプライドを傷つけた。すぐにでも飛び掛かってきそうだが、教会と敵対するリスクを恐れ、歯を食いしばって耐えていた。


「うん、スカッとしましたし、今日限りでイリアス家との関係も終わりですわね」

「ま、待て、縁談はどうする?」

「もちろん、お断りですわ」

「相手は王族なんだぞ! 断れるはずがない!」

「私の知ったことではありませんわ。それに、娘ならサーシャがいるではありませんか」

「だ、駄目だ……サーシャは……」


 醜い王子の元へ、大切な愛娘を嫁がせるのは抵抗があるらしい。同じ娘なのに、大きな違いだと、苦笑を浮かべることしかできない。


「お姉様は大聖女候補として独り立ちされるのですね?」

「虐める玩具がいなくなって悔しいのかしら?」

「ふふ、まさか。私はいつだってお姉様の幸せを願っていましたよ」


 ニヤニヤと浮かべた笑みには含みが込められている。どうせ大聖女に選ばれるはずがない。そう馬鹿にしているかのようだ。


(絶対に見返してみせますわ)


 大聖女候補たちとの競争に勝ち抜き、国内最高の権力者になる。それこそが最大の復讐だと、マリアは屋敷を飛び出した。目尻には小さく涙が浮かんでいたのだった。

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