ケンカばかりの幼馴染の騎士さまと、雪山で極寒サバイバルした結果

灰ノ木朱風@「あやかし甘露絵巻」発売中!

1、こじれた縁

 まただ、とエティエは思った。だから来たくなかったのだ、と。


 この日、商家の娘エティエは母親に連れられてネイフラム伯爵家の屋敷へやって来ていた。

 エティエの母とネイフラム夫人は互いを「魂の双子」と呼称するほどの大の仲良しで、学生時代からの付き合いだそうだ。それゆえ裕福とはいえ平民であるエティエの家は、ネイフラム伯爵家と身分差を超えた家族ぐるみの交流がある。

 今日たまたま仕事が非番だったエティエは、無理やり引っ張ってこられるかたちで母親たちのお茶会に参加させられていた。


 よく手入れされた庭園に、可愛らしい小花柄のクロスが掛かるテーブルセットが設えらえている。

 三段のティースタンドから小さな砂糖菓子をつまむ母親たちの今日の話題は、もっぱらエティエの留学についてである。


「エティエちゃんが魔法局の若手研究員を代表して国費留学だなんて……。しかもうちのクロードがいるのと同じアカデミーに!」

「うふふ。可愛いひとり娘を隣国に行かせるのは心配だけど、クロードくんがいてくれるなら安心だわぁ」


 優秀な研究員として王国の魔法局に勤めるエティエは、このたび年にひとりの国費留学生に選ばれる栄誉を得た。

 魔法技術に優れた隣国のアカデミーで二年間国費タダで学ぶことができるという、まさに夢のような話だ。しかもこのアカデミーには現在、ネイフラム伯爵家の長男であり、エティエの幼馴染のクロードが在籍している。


 父親はますます婚期が遠のくと嘆いていたけれど、留学自体に反対はしなかった。

 家族はいつだってエティエの味方で、一番の理解者だ。そして親類同然のネイフラム伯爵家の人々も、エティエの活躍を喜んでくれている。


 ――ひとりを除いては。


 エティエは先ほどから無言を貫いている、正面の席の人物を見た。


 ラズロー・ネイフラム。

 ネイフラム伯爵家の二男で、エティエと同い年のもうひとりの幼馴染である。


 ラズローの艶やかな黒髪は、陽光の下では明るく茶味がかって見える。整った鼻筋に涼やかな濃紫の瞳。温和な雰囲気の兄のクロードとは異なり、凛々しく精悍な顔立ちだ。

 エティエと同じく、たまたま屋敷に居合わせたのを母親に捕まってこの場に同席させられているらしいラズローは、先ほどから不機嫌丸出しで丸テーブルに片肘をついていた。

 ちょうど騎士団の仕事終わりだったのだろうか、ティータイムに不似合いな白銀の鎧をがちゃりと鳴らし、ロングブーツの脚を椅子の横に放り出している。スタイルがいいせいで、その行儀の悪い脚がやたらと長いのがまた腹立たしい。


 互いの子供の間に流れる微妙な空気を知ってか知らずか、ふたりの母親はキャッキャとエティエの留学話で盛り上がっている。


「二月後には発つというものだから準備があわただしくって」

「だったら壮行パーティーをしなきゃねえ! 旧公爵邸の迎賓館を借り切って舞踏会なんてどうかしら?」


 あら名案! とばかりに母親が目を輝かせたので、エティエはあわてて割って入った。


「おばさま。お気持ちはうれしいんですけど、私、目立つのはちょっと……」

「んもう何言ってるの! これだけ美人で! 学生時代から優秀で! あなたを小さいころから知っているわたしまで鼻が高いったらないわ! ――あら、ところでお茶のお代わりはいかが?」

「あ、ありがとうございます……」


 ネイフラム夫人は立ち上がり、自らの手でエティエのカップに紅茶を注いだ。

 夫人の持つポットに嵌められた小さな赤い石は、中のお茶が冷めにくくなるよう炎の力が込められた魔石だ。エティエの所属する魔法局の研究は、こうやって人々の生活に深く結びついている。


「隣国でも才色兼備だって噂の的になるのは間違いなしよ。――ねっ、ラズローもそう思うでしょ?」

「……どうせすぐにホームシックになるのが関の山だ」


 母親に話を振られてようやく、つまらなそうにひと言。

 つんと横を向いたまま、ラズローは紅茶を口に運んだ。

 どんなに態度が悪くとも、カップとソーサーに添えられた手つきは洗練されていて育ちの良さを隠しきれない。それがまたいちいち絵になるのがしゃくさわる。


「あらあらぁ、この子ったらエティエちゃんがいなくなるのが寂しいんだわ!」と夫人に冷やかされると、ラズローは秀眉をひそめておもむろにひとつ舌打ちをした。


(だから嫌だったのよ。近ごろいつ会っても不機嫌なんだもの)


 ふたりきりだったら「なんなのよその態度は!」と問いただすところ、エティエはぐっとこらえて手元のカップに視線を落とした。


 注がれたばかりの紅茶の水面に映るエティエは、少し気の強そうな緑の瞳が印象的だ。母親譲りの柔らかな栗毛はちょっとした自慢だが、いつも研究の邪魔にならないようきっちり編み込んでしまっているので宝の持ち腐れである。

 両親やネイフラム家の人々(ラズロー除く)はエティエをかわいいだの美人だのと褒めそやすけれど――そのわりに学生時代から恋愛にはからきし縁がないので、身内の贔屓目ひいきめだろうとあまりアテにしていない。

 現に、二十三歳になって学生時代の同級生たちは皆ほとんど結婚してしまっているにもかかわらず、エティエはこれまで恋人すらできたことがなかった。


(――それに引き換えラズローは)


 そっぽを向いているラズローをちらりと見やる。


 ラズローは天に二物も三物も与えられた存在だ。勤勉だけが取り柄のエティエと違って、顔が良くて家柄もよくて、そのうえ何をやらせても人並み以上にこなしてしまう。

 学生時代、エティエは一度も学内の総合成績で彼に勝てたことがなかった。魔法学などの学術科目の試験ではいつもエティエが一位だったのに、剣術などの実技を含めた成績ではラズローが上回っていたのだ。

 そのせいでエティエは万年次席。五年前の卒業式でも、首席として表彰されたのはラズローだった。


 これだけでもエティエのちっぽけなプライドをへし折るのに十分だったが、なんとラズローは卒業と同時に、あの精鋭揃いで知られる国王陛下直属の近衛騎士団に引き抜かれていた。

 くらべたって仕方がないことだとわかっているけれど、エティエが打ち立てた「数年ぶりに卒業生が魔法局に入局!」という輝かしい実績は、ラズローの近衛騎士団入団というさらなるビッグニュースによって完全に上塗りされてしまった。


 この男はいつもそうなのだ。

 エティエがどれだけ肩を並べようと努力しても、涼しい顔をしてその数歩先へ行ってしまう。

 それが悔しくて――少しだけ寂しい。



 ――トントン。



 不意に小さな振動が伝わってきて、エティエは意識を引き戻した。

 ラズローがこちらを窺いながら、人差し指でテーブルを叩いていた。


『母親たちの長話に付き合わされるのをどうにかしてくれ』


 濃紫の瞳が半眼になってそう訴えていた。

 幼馴染の腐れ縁ゆえか、口を開かずともラズローの言いたいことがありありと伝わってくる。だてに子供のころからの付き合いではない。


(まったくもう)


 仕方ないわね、とエティエは嘆息する。ナプキンで口を拭うと静かに椅子から立ち上がった。


「おばさま。裏庭のマグノリアが満開だっておっしゃってたでしょう? 見せていただいてもいいかしら」

「もちろんよ。ラズロー、案内してあげて?」

「……ああ」


 母親にホスト役を押し付けられ、ラズローがのろのろと面倒くさそうに腰を上げる。

 その態度に、思わず「あんたが頼んできたんでしょ!」と言いかけたのをエティエは呑み込んだ。目の前へやってきて騎士らしく右腕を差し出すラズローの顔が、相変わらず国宝級によすぎるせいだ。

 エティエは黙って彼の肘に手を添えて、ネイフラム夫人に会釈する。


「……あのふたり、どうなるのかしらねえ」

「わが息子ながら情けないわ。このままじゃ一体いつエティエちゃんがうちのお嫁さんになってくれるんだかわかりゃしない」


 連れだって裏庭へ向かうわが子の背に、母親たちがそんな言葉をかけていたことをふたりは知らなかった。



 屋敷をぐるりと周って裏庭に出ると、夫人の言葉通りマグノリアの樹が満開だった。大きなピンクの花弁が優雅に綻んで、辺り一面に甘い香りが満ちている。

 エティエは幼いころから何度となく嗅いだ春の香りを胸いっぱいに吸い込んで、二歩、三歩とラズローの前へ出た。


「なつかしいわ。昔よく、この樹の下でごっこ遊びをしたわよね。クロードが王子さまで私はお姫さま。ラズローが騎士で……」

「お前はすぐお姫さま役に飽きて、『正義の魔法使いよー!』とかなんとか言って騎士おれの出番に乱入してきただろうが」

「ええそうよ。私、助けられる役より王子さまや騎士さまと一緒に肩を並べて戦う役になりたかったの」


 あれから十年以上が経って、近衛騎士の制服である白銀の鎧をまとうラズローは今や全国民の憧れの的だ。

 魔法局の女性職員の間でも「どの騎士さまが推し?」という話題は定番中の定番で、その中にラズローの名が上がることも多い。

 学生時代からしょっちゅう女の子に追いかけ回されていたけれど、さらに遠い存在になってしまったなぁ、と思う。

 裕福な家と優しい両親のおかげで何不自由なく暮らしてきたエティエだけど、この世には身分や階級という見えない壁がたしかに存在するのだ――大人になるにつれ、そう実感せざるを得なかった。


「私はお姫さまにはなれないから。だからせめて、『魔法使い』として少しでも王子や騎士に近づけたらいいなって――」

「それが留学の理由か?」


 急にラズローの声が低くなった。

 えっ、と思って振り返ったところで、ラズローが手首を掴む。


「……やめとけよ」


 ざぁぁぁ、とマグノリアがそよいだ。ラズローの黒髪が陽の光を受け、きらきらと茶味がかって輝いていた。


「行くな。留学なんて、やめておけ」

「なぜ?」

「なんでって……」


 手首を掴んだまま、ラズローはふい、と視線を斜め下に逸らす。


「お前はいつもぼやぼやしてて危なっかしいし、目の届かないところに行くと勝手にそこらのもの食って腹を壊して……」

「あのねえ、同い年よ? 子供扱いしないでちょうだい」

「ガキだろ。叶いもしない夢ばかりを見て」

「なっ……」

「いい加減あいつを追いかけるのはやめて、少しは――」

「バカにしないでちょうだい!」


 エティエは反射的に声を荒らげた。気付けば思い切り、掴まれた手を振り払っていた。


「私の研究してる転移魔術は必ず人の役に立つ! それを叶わない夢だなんて、どうしてそんなひどいことが言えるの!?」

「は!? ちょ、ちょっと待て、俺がいつお前の研究をバカにしたっていうんだよ!?」

「今よ今! ラズローなんて……大嫌いよ!」


 せっかく久しぶりに和やかに話ができたと思ったら、またすぐケンカになってしまった。

 どうしていつも、上手くいかないんだろう。

 エティエは悲しみでいっぱいになり、涙が込み上げてきた。

 きっと今の自分は世界一不細工に違いない。ぐしゃぐしゃに崩れた顔を見られたくなくて、エティエはドレスのウエストベルトに留めてある短杖ワンドを引き抜いた。


「今はまだ、研究途中だけど……! こうやって対応する魔法陣を書いてある場所に戻るくらいならわけないんだから!」


 短杖ワンドの先が青白く光り、空中に転移の魔法陣を描き始める。

 エティエの専門は転移魔法だ。今は複雑な術式と準備を重ねてようやく発動できる高度な魔法を、もっと便利に使いやすくする研究に没頭してきた。


 自分の研究を人々の生活に役立てるのがエティエの夢。


 そして、いつかはこの生意気な幼馴染と肩を並べられる存在になりたいと密かに願っていた。でも今はただ、この場から一瞬でも早く消えてしまいたかった。

 エティエは魔法局の研究室へ繋がる転移魔法を今まさに発動させようとして――


「おい、逃げるなよ! 話を聞けって」

「聞きたくないわ、どうせ――――あ」


 心の動揺が短杖ワンドに伝わった。

 複雑な術式を生み出していた杖の先端がぶれる。左右対称の魔法陣がぐにゃりと崩れ、転移魔法は不完全な状態で発動してしまう。


「きゃぁぁああああ!!」


 そしてそのまま、エティエは発光する魔法陣の中に吸い込まれた。

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