第105話 試練の先で味わう一杯
湖上キャンプで、トラブルが発生した。
「しまったな、これは……」
丸太の側面を『固定』して板状にしていたわけだが、これだと筏の上に水が上ってくることが発覚。
当たり前だが、水面に浮かべると筏は揺れる。揺れた拍子に、少しでも丸太の接着面より上に水が来る瞬間がある。すると、そこにできた溝を、水が流れることになる。
苔のベッドが水を吸って、べちょべちょになっていた。
せっかく作ったベッドを、泣く泣く放棄する羽目に。
解決策を考えた。
浮橋というものがある。これは、箱や船を浮かべてその上に橋板を渡すものだ。
箱や船が沈まない限り、その上の板が水面に浸かることはない。
つまり、浮力担当と地面担当は分けるべきなのだ。
丸太のままでは、地面担当になれない。なぜなら重すぎる。浮力担当の上に乗せるには、もっと軽い方がいい。
つまり板であるべき。
のんびりしている場合では、なかった。
土台を回収して、丸太を四角にカットする。それから薄切りにして、板にする。
そしてもう一つ。太い幹を持つ樹を伐採して、中央部分をくりぬく。それから上下に蓋をするように板をつければ、簡易的な樽になる。
樽を連結して長い円筒を作り、それを三つ板の底にくっつけた。
大昔に見た映画の三胴船のように、浮力担当は樽の部分。その上に渡した板が、地面担当の部分だ。
これなら地面はだいぶ水面から高く、揺れても左右の樽が元に戻してくれる。
改めてベッドを作り直して、テントを立てた。
このトラブルのおかげで、だいぶ時間を使ってしまった。
「……夜も近いし、今夜は狩りで済まそう」
釣りをしたり、米を炊く時間が無い。念のために持ってきていた、非常食のパンで済ませてしまおう。
マツカゼと一緒に森に入り、魔獣のいる方へ案内してもらう。
襲い掛かってきた猪が、今晩の夕飯になった。
その場で手早く、ヒレ肉と肩肉だけ切り取って持っていく。それと、後の部分は置いていった。もったいないけど。
他の魔獣が食べるだろう。
キャンプ地に戻り、石を積み上げてかまどを作る。
鍋を火にかけて野菜を入れておき、肉は薄く切って塩を振り、少し血を抜いてから、石の上で焼いていく。
焼けた肉を皿の上に積み上げていると、マツカゼがじっと見てくるので、板の端材に乗せてそっと置いてやる。
嬉しそうにつまみ食いをするマツカゼだ。
焼けた肉を自分とマツカゼの皿に分けて、野菜のスープもマツカゼの分はただ茹でただけ。俺の方は肉にコショウを振って、スープには塩を入れる。
焚き火とランプの明かりを頼りに調理して、すっかり暗くなってしまった中で、パンと肉と野菜を食べる。
本当は明るいうちに準備を終えて、暗くなる頃にはもう食べるだけが良かった。
まあ、予定どおりにいかないことも、たまにはあるものだ。
焚き火の始末をして、湖に浮かべた浮きテントへとマツカゼを抱っこして歩いて運んでいく。
〈クラフトギア〉の力で、湖の上というか、空中を歩くくらいは簡単だ。
土台に足を踏み入れたが、今度は水浸しにはなっていない。
「よし、なんとかなったな」
トラブルはあったが、なんとか乗り越えることができた。
試練があった方が、それを攻略したときになんだか成長した気持ちになれる。
マツカゼと一緒に、小さく跳びはねて浸水しないことを確かめた。
やったぜ。
湖の上では夜はさすがに冷えるだろう。俺はもう一度岸辺に戻って、焚火の中で焼いた石を、土を内側に貼り付けた箱に入れて持っていく。
暖房器具として足元に置いておいた。もちろん、置いた場所にも土が敷いてある。
毛布をかぶる。マツカゼも一緒に入ってきた。
トラブルもあって今日は大変だった。明日こそは予定していたことをやろう。
そんなことを考えながら眠りについた。
しかし、夜中に目覚める。
「……暑い」
思ったよりも松風の体温が高くて暑かった。それにムスビが持たせてくれた毛布。これもとても優秀だった。
俺は石の入った箱を外に出した。暖房なんていらない。
そして今度こそ、朝まで寝る。トラブルの多い日だった。
目が覚めたのは、空が白んでいる頃合いだった。
マツカゼが鼻を鳴らして俺を舐めて起こしてくれた。うん、今日も健康的な時間だ。
起き上がって少し伸びをして、体調と足場を確認する。
元気だし、土台も沈んでいない。とても良い朝だ。清々しい。特に、沈んでないのがいい。
一度浸水したから、それだけでなんだか嬉しい。
マツカゼと一緒に、水を飲む。
ちなみに飲み水は、飲料水の湧き出る宝珠をラスリューからもらったのでそれを使っている。
顔を洗って、その辺を散歩した。ルーティンどおりだが、風景がまるで違う。
いつもとは違う場所だという実感が湧いてくる。
途中で野草などを摘み取りつつ、マツカゼと一緒に朝の散策をしていると、魔獣がまた襲ってきた。
うーん、エルフの薬草があっても、けっこう襲われるな。
「ミスティアも千種も、今頃は同じことしてるかな」
マツカゼは、俺を見上げているだけだった。そうだな。千種が心配だな。
浮きテントに戻って、今回の楽しみを取り出す。
金属製の小さな台座と、小さな鍋。そして固形燃料。
「これでお湯を沸かす。最後に主役の、コーヒー豆だ」
じゃん、とマツカゼに見せびらかした。ウォン、とはやし立ててくれる。いい返事だ。
イルェリーにもらった豆(種と言われてしまう)を、挽くところまでやってから持ってきた。
現地で挽くべき、とか思うかもしれないが、石臼を持ち運びたくない。
固形燃料に火を付けると、オレンジ色の炎が立ち上がる。カルシウムの炎色反応だ。
小鍋に入れた水が沸騰するのを見守る。自分で作った燃料がきちんとお湯を沸かせるのを、見ているだけで楽しい。
水がお湯になるだけで楽しい。どういうことだ?
沸騰したら、鍋を火から外してコーヒー豆を入れてかき混ぜる。
ふんわりと、コーヒーの香りが立ち上がった。いいじゃないか。
もう一度火にかけて、ゆっくりと混ぜる。泡が立たなくなったら、火から下ろして静かに待つ。
豆が沈んで底のほうにいったら、慎重に上澄みのところだけをカップに注ぐ。
コーヒーフィルターが無い時代や、地域で使われる淹れ方だ。
「あ、そうだ」
岸辺から、昨日作った椅子とテーブルを急いで持ってきた。
ブッシュクラフトで自作した椅子とテーブル。
風で水面の揺れを感じる、浮き橋のような立地。
自作した燃料で淹れた、コーヒー。
そこに確かに感じる、充足感があった。
「……マツカゼ、どう思う?」
足元に座るマツカゼに訊くと、耳をパタパタ動かしていた。だが、返事はなかった。
「だよな」
今はただ耳を澄ませて、水の揺れや葉擦れの中にいればいいか。
俺は一杯のコーヒーを、長い時間をかけて飲み干した。
昨日の残りのお肉を煮て食べたら、動きだそう。
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