第18話 商人の苦悩
ミスティアという常連がいたおかげで、取り引きはつつがなく終わった。
野菜の種と鉄製の調理器具、クラフトに使えそうな金属の地金。それにニス油などの木工に使えそうな塗料。ついでに小麦をいくらか。そして、大本命の調味料。
唐辛子にニンニク、砂糖やサフランやお酢など、目についたものを手当たり次第に。
帰りは、なかなかの大荷物になりそうだ。
「調味料が全部ほぼ『薬』っていう扱いだったのは面白いな……」
ミスティアはついでに商会の部屋を借りて、足や顔を洗っている。ひと息ついたら、このまま今日中に森へ帰る予定だ。ムスビも待ってるし。
俺もミスティアと一緒に体を休めても良かったが、商会の倉庫を見学させてもらっている。
「やあ兄ちゃん。買い物は終わったのか?」
「あ、さっきの絵描きさん。どうも、総次郎です」
「おう、セデクっていうんだ。どうだった、取り引きは」
「おかげさまでつつがなく」
「わはは、そりゃ良かった!」
倉庫でさっきの大男と出会う。
大きい声と体に圧倒されかけるが、少し話してみると意外にも物言いは鷹揚で人当たりが良い。
「兄ちゃんは、エルフ殿と一緒に森に住んでるってことかね?」
「ええまあ。問題とかありますか? 物知らずなもので、勝手をしていいものか分からないもので」
とはいえ、つい営業用の言葉で答えてしまうあたり、俺もまだまだ前世のクセが抜けてないなと思い知る。
「いや、まあ無いんじゃないか。あの森は、誰も手をつけられなかった。領主権も、実力が及ばない場所で主張はできるものじゃない」
「なるほど、勉強になります」
「っというか、どうやって住んでるんだ? 細っこい木を伐るにも、何時間も斧を振ってようやくだ。おまけに魔獣に襲われる」
「いや、俺は普通に伐れるので。それでやってます」
むしろ普通以上に伐れるわけだが。
「あっはっは! 普通にか! そいつはいいな! 神樹の森の木々は、木材としては一級品以上だ。燃料にしてもいい。炭にして魔法の炉を使えば、熱く長く燃えるし鉄をも溶かす!」
「それはすごい」
燃やしてもなかなか燃え尽きないなとは思ってた。
「じゃあ、兄ちゃんは今日は炭でも売りに来たのかね?」
「いや、魔石と魔獣の素材です。材木はさすがに運べないので」
「おおっ、そうか! 戦士――いや、冒険者だな! なら、気をつけろ。実は最近、この国でいちばんヤバい魔法使いの冒険者がここに来たんだ。ギルドでは大騒ぎだった。神樹の森を目当てで来る奴はたまにいるが、あんな大物は初めてだったからな!」
「それはすごい」
「もし揉め事がありそうだったら、ギルドに行くといい。ここの近くだ」
あれこれと気を回してくれる。
どうもこのセデクという人物、面倒見の良いタイプらしい。
「ソージロー、どこらへんにいるー?」
と、どこかからミスティアの声がした。
「おっと、連れが来たな。俺は退散しよう。あ、最後にひとつだけ教えてくれ。兄ちゃんは、森で何をしたいんだ?」
「大したことじゃないです。美味いレシピを、作って食べるだけで」
「そうか」
言うが早いか、セデクは相変わらず巨体に見合わない機敏さで、ささっと去っていった。
挨拶をする暇も無かった。
「あ、いた。何かあった?」
「いや、特には。ちょっと親切な人がいただけで」
ミスティアが合流し、俺たちは拠点へ帰路に着くのだった。
▼
商人であるドラロは、頭を抱えたかった。
しかし年季をかけて磨いた己の誇りで、腕組みする程度でどうにか耐えていた。
「あのエルフめ……浮世離れがますます加速しておるではないか。――あんな男を連れてくる、とは」
目の前に置かれているのは、ソウジロウが売りにきたものだ。
六つの魔石と、蛇の胆である。
「おうい、どうした? 急に相談があるなんて」
ノックも無しにずかずかと入ってきた大男に、ドラロはじろりと目を向けた。
「セデク、こちらから行くと言っておるだろ。下々に示しがつかんぞ」
ため息しながら、長年の付き合いの男に苦言を吐く。
「威厳をつけんか――領主としてのものを、な。セデク・ブラウンウォルス子爵」
「ははは! 貧乏子爵は、威厳より行動だ!」
どかどか歩きながら豪快に笑う男の目が、ドラロが広げた取り引き品に移る。
「だが、やっぱりすぐ来て良かっただろう! 相談というのは、それだな?」
「そのとおりだ。こんなもの、おいそれとは売れん」
「滅多に見られない巨大で上質な魔石、と、こっちは?」
「森の大蛇の胆で、エルフの見立てなら、あらゆる毒の治療薬になると」
エルフの言葉なら、それを疑う余地が無い。乾燥させてあるのにワイン樽の蓋並みに大きな胆は、いったいどんな大きさの毒蛇を狩ったものなのか、老練の商人ですら計り知れない。
だから恥を忍んで買う時に聞いた。そしてその魔獣は、おそらく兵隊を動員して罠にかけて戦うべき、大討伐作戦に値する魔獣だ。
となれば、それを行ったと仮定して、兵士数十人ぶんの大作戦で収穫するほどの値段をつけねば、割りに合わないということ。
たとえ魔石と素材という、一部分だけであってもだ。
「どちらも、貴族でもなければ買い手にならないな! それがこの数か! ふはは、倉庫全部を売り払って足りるか、ドラロ?」
「笑い事ではないわ! 砂糖だのサフランだの、高級品をいくら出してもなお額が釣り合わないのに『では今後はこの町のお世話になるので、差額は預かってもらって』と言われたんだぞ、ワシは! この歳で、初の客に助け船を出されるとは!」
「ほほう、ソウジロウ殿は、商いの知見があるな……。では、現金は持たなかったのか?」
「荷物になるから、全て置いていくと言われた。……言われてしまったわ。証文で渡した」
説明を口にしながら、思わず目頭を押さえた。頭に上った血で、こめかみが熱い。
「つまり借金をさせられたか、ドラロ!」
膝を打って愉快げにするセデク。旧友の態度に腹を立てつつ、ドラロは言い返す。
「そのとおりだ! よりによって、結んだ約定は百年違えず忘れずの、エルフ族の連れ合いにな! ワシなどどうせすぐ死ぬジジイだというに! こんなものを売り捌く大仕事も、大金の借用書も、死んだ後に息子へ送りつけるわけにいくか!」
「そこは、生きてるうちに頼るしかあるまい」
「ならん! それでは息子に示しがつかん!」
「もっと頼ってやればいいだろう。俺を見習え俺を」
「おぬしは息子に仕事を押しつけて、ヘタクソな絵を描き散らしとるだけだろうが!」
「ヘタクソではない! 息子は『味がある』といつも言ってくれる!」
「どうしてその反応で胸を張れるんじゃこのバカ! その後の『仕事もしてくれ』の小言の方に耳を傾けてやらんか!」
ひとしきり喚き合ってから、お互いにはあはあと肩で息をしてにらみ合う。
「……だが、あのソウジロウ殿は、あのエルフと対等の関係を築ける。しかも、ドラロに初見で借金をさせることもできる。これから、少し変わりそうだな、あのエルフも」
「一年か二年に一度だけしか見れないエルフが、早々に姿を見せた。それに、売る物も買う物も増えた。……まさか、本当に森を拓いていけるというのか?」
「分からん。しかし、これほどの魔石を持ってこれるということは、俺より――いや、下手をすれば兵を従えるより、遥かに強いということだろう」
すとん、と椅子に腰を下ろして、共通見解を得る。
あれは見た目どおりの、人当たりの良い若造ではない。
「……神樹の森で木を伐れると言っていたぞ。毎日。普通に。聞き流してしまったが、これは冗談でもなさそうだ」
「それは本当に人間か……?」
ソウジロウという人物が現れた。
それは、この町の領主と、町の参事会会長として、問題を共有するべき一大事だ。
しばらく見合った後に、テーブルの上の売買品に目を落とす。
「ひとまず、セデクのツテで蛇の胆を欲しがる客を探してくれ」
魔石ほど買い手の多いものではない。しかし、価値の分かる者にはかなりの値で売れる。そういう類いの品である。
辺境の領主であるセデクには、そうした手合いから話が来るものだ。
「ははは、引き受けよう。しかし、魔石の方は、本当に息子へ手紙を出しておけよ」
「……分かっておるわ。これほどの魔石を、自分の知己だけでやり取りすれば、妙な噂が立つわい」
辺鄙な土地でこの商会だけの仕事を覚えるより、もっと手堅く景気の良い町でも探して商人になれ、と送り出した息子だ。
遠くにやったおかげで、逆に手伝わせてしまうことがあるとは。
やれやれ、とドラロはため息を吐いた。
「しかし、数は少ないもので、まだ助かった。例の魔法使いは、舟荷を超える量を飲み込む力があると噂だったが、この町では何もせずにさっさと森に行ったからの。この歳になって、この短い間に二度も肝を冷やすとは思わんかったわ」
「うむ……王都に突如現れた魔法使い。〈黒き海〉イオノ、か。領主としては、森深くで闇の魔法使いがいったい何をするつもりなのか……。寡黙で語ってもらえずじまいだし、まだまだ喉に引っかかった小骨のようだがなぁ」
「しばらくは、おちおち死ねんわ」
「ではもし
「年寄りを敬わんか、ヘボ絵描き!」
降って湧いた大商いに、領主と商会長はにらみ合って無理やりにでも意気を上げるのだった。
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