彼らが本屋に行く理由【KAC20231】

吉楽滔々

第1話

「今日は誰に読んでもらおうかな」


 いつものように国語教師の手が指揮者よろしくスイングし、珍しく俺の幼馴染の結城桃香を指し示した。


「結城さん——————と見せかけて、北条さんいこうか!」


「いやそのフェイントいる!?アタシ前回も当たったんですけど!!」


 突如予定とは違う方向に急旋回した手の餌食になった北条美香が、目を丸くして抗議の声を上げる。


「私は人生の先輩として、時に君達に社会の理不尽さを教える必要があるんですよね。では読んでくださーい、北条さん」


「その理不尽から守ってくださるのが、先生方の本来のお役目じゃないんですかねぇ…」


 文句を垂れながらしぶしぶ立ち上がった彼女の向こうで、難を逃れた桃香が小さく笑ってこちらを見ていた。











「なぁ高見、今日も帰りに本屋寄っていい?」


「おう、いいぞ」


 時折、部活帰りに笹木和茂とブックカフェに寄り、面白そうな本を探した後で軽くお茶をする。それが思ったよりも忙しい高校生活での、俺のささやかな息抜きだった。


 けれど、元は週一くらいの頻度だったはずのそれが、このところやたらめったら増えている。大して多くもない小遣いではカフェラテ一杯でも財布に響くから、正直もう少し控えたいところなのだが、事情がそれを許さず困っていた。


 いつものように本屋に入り、紙とインクの匂いを含んだ空気を吸い込みながら、俺は笹木の後について行く。


 死ぬほど本好きであるはずの彼は、今日も本には目もくれずに別の何かを探していた。


 あ、と笹木が小さく呟く。


 その喜びの滲む声を聞く度に、俺はまるで判決を待つ罪人のような気分になった。


「結城さん、今日も来てたんだね」


「あ、笹木くんに圭吾くんも」


「それは雑誌?」


「写真集なの。すっごく可愛くって」


 桃香はとても嬉しそうに笑いながら、手にした本を笹木に見せている。


 そう。


 この瞬きの間、ささやかに交わされるひと言ふた言のために、来店回数がめっきり鰻登っているのだ。


 笹木がレジに向かう桃香を名残惜しそうに見送った後、ひとしきり本を見て回ってから、いつものようにカフェラテとカプチーノを注文して二人で席につく。


「この間は星の雑誌、その前は植物図鑑で、今日はメンダコの写真集だったし……結城さん、俺と趣味も合うんじゃないかなぁ……なぁ高見、あの子が他に何が好きなのか教えてくれない?」


 以前は本についての蘊蓄うんちくが語られることが多かったが、このところの話題はこればかりだ。


「気になるなら自分で聞けよ」


「えー、そんなご無体な」


「昨今は個人情報の取り扱いには注意を要するだろ?若気の至りで流出に手を染めたくないんだ。同じクラスなんだから、普通に話しかければいいだろ」


 俺がそう言えば、笹木は口を尖らせてもごもごと呟いている。


「……そりゃあおモテになる弓道部のエース様なら、気になる子に真正面からアプローチかけられるんでしょうけど……そこは慈悲の心をもって、地味な親友のキューピッドになってやろうとか思わないの?」


 やや恨みがましく述べてくる笹木をひたと見据えて、俺は傍に立て掛けてあった弓袋に手を伸ばした。


「…いいぞ。矢が欲しいのならとびきりのやつをくれてやる。なにせ親友の頼みだからな」


「いやそれ射殺じゃん!恋じゃなくて地獄に落とす気じゃん!キューピッドじゃなくてデーモンじゃん!」


「地獄に落ちる予定の奴なんかに、大事な幼馴染の個人情報は渡せないな」


「地獄は言葉のあやだって!高見のいけず〜!!」


 まだぶちぶち言っている笹木を前に、俺は内心でぼやいていた。


 教えてなんてやるもんか。


 ああ、そうとも。絶対に教えてなんかやるもんか。


 悔しかったら桃香あいつのことをちゃんと見て、もっとよく知って、自分で気づきやがれ。


 ——————読字障害ディスレクシアで本当は本を読もうにも読めない彼女と、どうしてこうもたびたび本屋で遭遇するのかを。

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彼らが本屋に行く理由【KAC20231】 吉楽滔々 @kankansai

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