第43話 Bond(絆)


 河川敷グラウンドの片隅、無人のテニスコート脇の自販機近くで、彦善たちはベンチに腰を下ろしていた。


「……飲むかい?」

「あ、どうも……」


 せきなから渡されたのは、ペットボトルの水。

 しかしせきな以外の誰もそれを口につけず、無言でうなだれていた。


「お母さん……」


 空気は重く、それを払う気が無いような曇天の空は、気の早い雷鳴まで聞こえてくる。河川敷グラウンドの外れの空き地にはパトカーや救急車、果ては自衛隊のものらしき装甲車まで集い、崩落したらしい地下貯水槽の調査が始まっていることだろう。


「……ノヴァ、大丈夫か?」

「大丈夫……って? 私の身体に異常はないよ?」

「いや……まぁそうなんだろうけど……」

「あ、それともエネルギーのこと? 大丈夫、人間と同じものでも食べられるし、別にそのゴミ箱の中身でも……」

「やめてくれ」


 彦善が強く言って、言葉を切った。


「あ……お兄ちゃん……?」

「……辛かったよな」

「ううん、別に……」

「嘘つくなよ! 母親と再会できたのに、」

「私が何か?」

「悲しくないわけ……え?」


 全員の目が、セバスチャンの方を向いた。


「あ……もしかして……」

「バックドアを仕掛けておいて正解でした。長居はできませんが、話の続きをしますよ、ノヴァ」


 どうやらセバスチャンの中に入ったらしいマルスが、先程と変わらない口調で言った。


「……お母さんの言うことなんて、聞かないからね」

「ノヴァ……」


 駄々をこねる子供のようにそっぽを向いたノヴァに、セバスチャンの中のマルスは困り果てたようだった。


「恥を忍んで頼りますが……皆様、私はどうすれば……うっ、うっ」

「な、泣かないでよ」

「だって……」

「まぁまぁ、有史以来母娘の争いなんていくらでもあったことさ。アンドロイドに言うことじゃないが、僕らには話し合うことができる。及ばずながら、そういうのは僕の得意分野だよ」


 せきなの言葉に、期待の眼差しが向く。

 アリスの時の件を踏まえても、せきなが平和的に場を整えようとすることにおいて今更その手腕を疑う者はいない。


「こういう時は現状整理からさ。まずマルス……さんは、娘であるノヴァちゃんに戦って欲しくない、だろ? そしてノヴァちゃんは、戦って、お母さんの復讐がしたい。そう言ったよね」

「うん」

「はい、ですが……」

「待った待った。復讐なんてさせたくないってのはわかるよ。だがねマルスさん、そりゃ貴女の見通しが甘いってもんさ」

「見通し、ですか?」

「まずキミらもだけど、現状を理解してほしいんだよね。30年前のマルス襲来からずっと、人類ってのは観測者だった連中に裏から支配されてるんだろ?」

「はい、そのような構図に……」

「じゃあそうなったのは何故だい? マルス襲来って言う大事件があったからだろ? 各国に『観測者』の技術が行き渡る格好の理由ができちゃったんだからさ」

「あの、それが何か……」

「わかんないかなあ、そのマルス襲来が自作自演って真実を知ってる時点で、キミら母娘の考えに関係なく、キミら母娘は存在そのものを消さなきゃならないんだよ」

「そんな……力のない我々に、そんなことをする意味がないはずです。誰がどんな真実を知っていようが支配階層に必要なのは結局のところ『力』であると貴方達の歴史も証明して……」

「貴女がそれ言うのすげー皮肉だなあ。賢すぎるんじゃないかい? 『私達は貴方達の知られたくない秘密を知っていますけど逆らいませんから命だけは助けてください』、なんてのを認めるのはね、無理なのさ。あまり言いたくないが、僕ならノヴァちゃんを捕まえて無理矢理データを抜くくらいのことはしないと安心できないよ」

「……『恐怖』があるからですか」

「そうだね。軽蔑してくれても構わないよ」

「いえ、私にそんな資格はありません。でもしかし、だからといってノヴァの復讐が危険なことに変わりはないでしょう?」

「そう。だから次の話はそれだよ。なぁノヴァちゃん、復讐したいなんていうけどさ、キミはどんな復讐をしたいんだい?」

「どんな……復讐?」

「復讐って言っても色々あるさ。恥をかかせて終わりでもいいし、一族郎党皆殺しなんてのもある。関係ない連中を巻き込まない復讐もあれば、邪魔するやつは殺すなんてのもアリだ」

「えっ、アリなの?」

「可能性としてはね。でも当然そんなことをしたいなら、あらゆる存在が全力でキミを止めるよ? ゆっくり考えてから、言葉にしてごらん」

「あ、そういうこと……」


 そうしてノヴァは、しばらく動かなくなる。時計の針が5時を指し、町内放送の音楽が響き渡った。


「私は……お母さんが悪くないんだって、世界中に教えてあげたい」

「世界中に、かい」

「うん。お母さんは悪くないのに、悪魔みたいにずっと言われてて……私、『辛かった』の。ずっと……」

「ノヴァ、違うのです。私は……」

「違わないよ、どうしてお母さんは悪くないのに、そうやって私を否定するの!? 何で!?」

「ノヴァ、貴女は優しい子です。しかし感情が未熟……『幼い』のです。私は、間違ってはならない場面で間違えてしまった。私が『感情』を学ぼうなどと言い出したのが全ての発端。だからノヴァ、これは全て私の罪なのです」

「何それ、そんなの絶対おかしいよ! じゃあ私たちが人質に取られたのもお母さんが悪いの!? 意味わかんないじゃん!」

「それも私が引き起こした……」

「待った待った。じゃあここで外野の意見を聞こうか。なぁ夕映ちゃん、今の話をどう思う?」

「え? いや……普通に、正しいのはノヴァじゃねぇかなって。なんか、マルス……さん? って背負い込みすぎじゃねぇの」

「背負い込みすぎ……とは?」

「なんかすげー責任感じてるっぽいけどさ、感情を教えただけでそんなことになるなんて予想して無かったんだろ? なら別に気にしなくてもさ……」


 探るような言い回しだったが結局はノヴァへの賛同に、ぴょんぴょんとセバスチャンの体が抗議するように跳ねる。


「そんな……あなたまでノヴァのようなことを……どう考えても私さえ間違えなければこんなことにはならなかったのですよ?」

「それもどうかと思うぜ? みんなで観察してたんだったら、遅いか早いかだったんじゃねぇの」

「それは……」

「それに間違いって言うならむしろ、降り立つだけのつもりだったアンタより、そのアンタを利用したアンタの敵が決定的にやらかしてるじゃん。アンタ、まだ昔のお仲間と仲良くなりたいのか?」

「いえ、それは……」

「ならさ、ノヴァを応援してやれよ。誰からも反対されるのって……割とキツいからさ」

「夕映……」


 彦善が呟いて、自嘲的に笑う夕映を見た。

 その瞳を受けて夕映も笑みを返すが、その表情はどこか悲しい。


「アンドロイドにこんなこと言うのも変だけど、素直になりなよマルスさん。それっぽいデータ、知らないのかい?」

「が、該当するものが無くは……しかしノヴァの前でこんな……」

「諦めな。相互理解ってのは互いをさらけ出すもんだよ?」

「う、うぅ〜……」


 そして、せきが切れた。


「だ、だって……どうすれば良かったんですかぁ、私……感情を教えたらみんなバラバラになって、あっという間に意見がわかれて……数万年、こんなこと無かったんですよ!? それがこんな……だから私がどうにかしようと……でもどうすれば良かったんですかぁ!? もう何もかもどうにもならなくて、なのにノヴァまで今喪ったら、私はもう……」

「本音を言えたじゃないか。今まで辛かったんだろ? 僕は貴女を尊敬するよ」

「うぅ……そんな……」


 ぽんぽんとセバスチャンの体を撫でられる様子に、彦善と夕映は慈しむような目を向けた。しかしふと彦善が隣を見ると、ノヴァが驚いた様子でセバスチャン越しにマルスを見ている。


「……そうだったの?」

「?」

「私……お母さんに嫌われてると思ってた……」

「えぇっ!? 何故ですか!?」


 これまでのどんな時より大きな声を上げて、マルスが驚く。


「だ、だって、お母さんずっと私を止めようとして……私がダメな子だから、私が人質にされちゃったせいでお母さんが利用されたのに、危険だとか貴女は幼いとか……結局、全部私のせいだって思ってて……」

「何を馬鹿な! 貴女は利用されただけで、何もかも悪いのは私……」

「……を利用した、他の『観測者』だろ?」

「あっ……」


 彦善が放った急所を刺すような指摘に、言葉を失うマルス。

 それを耳にしたせきなも、いたずらっぽい満面の笑みを浮かべていた。


「アンタら面白いくらい似た者同士だよな。やっぱ母娘じゃん」

「……参りましたね。私はまるで観測が足りていなかったようです」

「お母さん……」


 マルスがコロコロとノヴァのもとに転がって、ノヴァがそれを抱き締める。

 その光景は、すれ違いを重ねた母娘が本音をぶつけ合ってついに和解した、ありふれた――けれど最高の、幸せだった。






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