銀河鉄道の立ち食い蕎麦:第二二二セントラルステーション店

和泉茉樹

銀河鉄道の立ち食い蕎麦:第二二二セントラルステーション店

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 この度は、銀河鉄道、ニュールリング線をご利用いただき、まことにありがとうございます。

 当列車はこれより、第二二二セントラルステーションにて定期停車を行います。到着から出発までは六時間となりますので、ご自由にお過ごしいただけます。アナウンスがございますので、どなた様も、お乗り遅れのございませんよう、お願い申し上げます。

 次は、第二二二セントラルステーション、第二二二セントラルステーションです。


     ◆


 目の前に並ぶ本を眺めながら、僕は腹の辺りを撫でている自分に気づいた。無意識だった。

 つい数時間前、胃腸の状態を整える薬液を飲み、消化を促進する重湯のようなものも飲んだけれど、まだどこか違和感がある。トイレに十五分ほどこもっていたけど、もうトイレは諦めている。

 胃腸の不調など、予想の範囲内だった。それもそうだ、かれこれ二十年、眠り続けていたのだから。その間、飲食どころか、運動すらまったくしていないのである。二十年、寝ているだけ。それでよく胃や腸の機能が失われず、目覚めてすぐにこうして行動できるものだと、逆に感心する。

 人体の神秘ではなく、最新科学に対する感心だ。

 人間が宇宙に進出するにあたって、最も重要な要素になったのは寿命だった。

 物語によく出てくる光速航行など何百年経っても実現不可能な以上、残された術は一つしかない。

 コールドスリープ、冷凍睡眠である。

 この分野に人類の英知がまさに結集され、技術革新に次ぐ技術革新は、人類の生存圏の爆発的な拡大に貢献した。今も、研究は進んでいる。

 年齢という疑念はほぼ消滅し、生存年齢、という形で年を数える概念が残っている程度だ。

 今の僕の生存年齢は三十九歳。つまり生まれてから三十九年が過ぎてるということ。しかし外見、肉体は二十年前に眠った時のまま、十九歳のそれだ。どこからどう見ても、純粋な三十九歳とは違う。

 冷凍保存されて人類圏のはるか彼方まで旅をする。僕にそんな優雅なことができるのは、一つの契約による。僕は自由気ままに自分探しの旅をしているわけではないのだ。宇宙旅行という規模でそんなことをするのは、どんな大企業の御曹司でも難しい。いや、そんな立場の人は逆に冷凍睡眠をしてまでの旅はできないか。

 僕がしていること。それは、銀河鉄道で片道五十年をかけて、働きに行くのだ。

 人類の宇宙開発の最前線に向かうということになる。

 辺境地帯ともされる星域では、人材が常に不足している。僕のような高等学校上がりでも、受け入れてくれるのだ。それどころか、旅費の半分程度も補填してくれる。労働力としても、生活の拠点を移すことでやがては結婚し、子を成す人間としても、期待されているわけだ。それは旅費の半分を補っても余りある高価だった。

 宇宙の旅には個人的に憧れがあった。

 生きたまま冷凍されることも、友人知人、何より家族と共有する時間が失われることも、怖くなかった。技術を信用していたけど、それ以上に好奇心、野望に限りなく近い願望が、僕を動かした。

 まるで昨日のことのように、二十年前を思い出せる。というか、感覚的には昨日なんだけれど。

 故郷の駅のホームで両親に見送られた後、出発した列車の一人部屋のベッドに寝転がった時、ここから始まるんだぞ、とやっと実感が湧いた。覚悟が決まる、という感覚もあった。

 旅の途上の僕の人生は、今、誰とも時間を共有できていない。

 でもこの先、乗り込んでいる列車がたどり着いた先、そこが新しく僕の生きる場所になる。

 故郷に不満はなかった。もちろん両親にも。

 それなのに、何かが違うような気はしていた。ずっとずっと小さい時から、違和感があった。

 僕がいるべき場所は他にあると、そう思ったのだ。

 いつか、そこへ僕は旅立つ。そんな夢想がなくなることはなかった。

 今、少しだけ楽になった自分がいる。見知らぬ土地、第二二二セントラルステーションの何でもない本屋の前で適当に雑誌を物色している自分は、どこか荷を降ろしたようなところがある。

 もう僕は、一歩を踏み出したのだから。

 書店の棚では、銀河鉄道旅行の雑誌の横で、冷凍睡眠技術の陥穽や不備を指摘する見出しの雑誌が置かれていたりする。他には古今の小説なども、紙の本で並んでいた。

 銀河鉄道では、紙の本を読むものが多いと聞く。何故なら、果てしない旅をする中でも紙の本が最も破損と縁遠いからだ。電子端末はたしかに大量の本を収録できるが、電子端末が破損した時、修理するのが至難になる。メーカーの出先組織などないこともざらだ。まさか、何年もかけて修理に出すわけにはいかない。

 というわけで、紙の本は重宝される。もしもの時には列車の中で買い取ってさえもらえる。銀河鉄道では、資源は何であれ価値があるものだ。

 文庫本でも一冊、買っておこうか。

 棚を改めて眺めると、懐かしいタイトルがいくつもある。一冊を手に取ってみて、興味本位で奥付を見てみる。初版は、六十年も前だ。よく生き残ったものだ。

 もう一度、棚の端から端まで、目をやってみる。

 知らない本ばかりなのは、二十年前と変わらないはずなのに、変な感慨があった。

 この駅を出て眠りにつけば、次に目覚めるのは二十年後の予定だ。その時に、今、目の前にある本のどれくらいが棚に残ってるだろう。僕が知っているタイトルは、棚に残っているだろうか。

 両親のこと、友人のことがぼんやりと頭に浮かんだ。

 僕の故郷はきっと、変わらずにそこにあり続ける。でもそこで生きる人は、僕がそこに戻ったとしても、その時には間違いない様変わりしている。知らない人しかいないだろう。場合によっては、知っている光景は過去のものになっているかも。

 しぶとく変わっていないものがある一方、容易に変わっていくものがある。

 悲しい、寂しいという感情は、言葉で説明するのが難しい。何が悲しく、何が寂しいかは、何が嬉しく、何が腹立たしいかより、複雑だ。

 とにかく僕は、一冊の文庫本を手に入れた。

 本屋を出ると、すぐ隣に蕎麦屋があった。立ち食い蕎麦だ。

 はるか昔、地球という星の一地方のような国家の名物が蕎麦というもので、当時とは違うだろうが、今も食文化の片隅にちゃんと存在する。

 銀河鉄道の敷設以前、その構想の初期段階から、立ち食い蕎麦の業界が事業に食い込んだから今も存在する、という都市伝説さえある。

 ま、二十年前の都市伝説だけど。今もあるのかな。

 店の名前は「サラシナ」。暖簾という奴が下げられていた。

 腹の具合はそれほど良くないが、ちょっと食べるにはいいだろう。

 二十年ぶりの食事にしては、やや切ないが。

 暖簾をくぐって店に入ると、数人が立ったまま丼と呼ばれるだろう器を手にして、箸という二本の棒で器用に蕎麦を食べていた。誰も僕に興味を向けない。店主も「らっしゃい」と低い声で言うだけだ。

 食券の券売機があって、いやに古びた機械だった。違う、機械は古びているけど、二十年前の僕が知っている機械を、今も使っているのだ。二十年ものの機械である。もし違う店なら、僕が見たこともない最新の機械を導入していてもおかしくないということか。

 機械はくたびれるのに、僕がくたびれない二十年というのも、不思議に思えた。

 とりあえず電子マネーを使って、あまり冒険しないことにして、月見蕎麦、というものを選んだ。

 カウンターの端に立って食券を店主に渡すと、半分をもぎって僕の前に起き、半分はカウンターの向こうの小さな箱に放り込まれた。そこにはすでに半券が何枚か入っている。

 店主が蕎麦を湯がき、丼に放り込み、大きな鍋から濃い色をした汁を目分量でかけた。その上に生卵が乗せられる。その段になって、こんな宇宙の果てまで来ているのだから、どこでも食べられる卵などではなく、別のものにすればよかったか、と後悔した。

 軽い後悔だ。後悔とも言えないほどの。

 どうぞ、と店主が僕の前に丼を置く。湯気が立ち上り、いかにも旨そうだった。

 カウンターには箸とフォークがあったけれど、僕は箸を選んだ。昔、故郷にいる時に家族で食事に行って、箸の使い方が上手いと言われたことを思い出したりした。

 立ちながら食事というのもなかなか珍しい経験だったけれど、店の客が全員、ひとり客というのも珍しい。誰も言葉など一言も発さず、ただ蕎麦をたぐり、丼に口をつけ、そして「ごちそうさま」と言って店を出て行く。入ってくるものも無言だ。

 とにかく、蕎麦を食べよう。

 生卵の黄身を箸の先で潰し、かき混ぜ、蕎麦に絡めるようにして口へ運ぶ。

 うん。旨い。熱いし、味が濃いし、しかしどこか素朴だ。

 あっという間に食べてしまい、汁までも飲み干してから、我に返った僕だった。

 銀河鉄道の冷凍睡眠は、装置を起動する前に半日程度の絶食が必要になる。しかし、本を買ったこともあるし、半日なんて簡単に潰せるだろう。

 空になった丼と箸をカウンターに乗せ、他の客に倣って「ごちそうさまでした」と声をかける。店主は無言でこちらを見て、軽く顎を引くようにしてうなずいただけだった。

 店を出てみると、セントラルステーションのなんでもない通路を行く人は、しかし様々の様子だとわかる。

 胸を張っている人もいれば、肩を落としているような人もいる。

 足取りの軽い人、重い人。

 身なりからしてすさんでいる人、ピカピカの革靴に洒落た背広の人。

 ここははるかに宇宙の果てだけど、まだ、人間の世界だった。

 次に眠り、目覚めた時には、また違った世界があるはずだ。

 僕が心から望んだ世界。

 全てを放り出してまで求めた、新天地。

 そこにも蕎麦は売っているのかな、などと思いながら、僕は歩き出した。

 通路の天井から下がっている時計を見ると、列車の発車時刻まであと一時間だ。

 旅はまだ続く。

 二十年の眠りと、さらに十年の眠りのあと、僕は六十九歳で、本当の人生を始めるのだ。

 自分の夢のための旅は、長くなりそうだ。



(了)

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