第3章-9

 シャラは暑いのか寒いのかよく分からない状態で郵便屋にたどり着いた。

「お願いしまーす」

「ありがとうございます! 数を確認して、料金を計算しますね。しばらくお待ちください」

 ソーレイが差し出した手紙の数を、郵便屋の女性職員が二人がかりで数え始めた。

 確か八十六通あるとガッタから聞いている。

 これで第一陣だからすごい数だとシャラは思ったが、これもひとえにイナ公女がステントリア公のひとり娘だからこそだと、これもガッタ言っていた。

 彼女の夫はステントリア公の跡継ぎも同然。

 自分の生家で跡取りとなりえない次男公子や、富だけでなく名誉も欲しい財界人などは目の色変えて飛び付いてくる。

 加えてステントリア家が統治するランクス地方は特に森の豊かなところだ。

 優秀な山守と腕のいい職人が多く住むこの土地は、伝統的に質のいい化粧木材やそれらを活用した装飾家具をしつらえ栄えてきた。

 ここ数年は特に、ランクス地方の工芸品は外国からの受けがよく、今後市場はさらに国外へ拡大できると予想されている。

 これから潤ってくるだろうランクス地方と、単純につながりを深めたい公家もいるのだ。

 ――もっとも、仕立ての腕はよくても装飾のセンスがからっきしな父には無縁の話になりそうだと、シャラは悲しく思っていたのだが。

(……このお手紙出すだけで何日ご飯食べられるかな……)

 次々と切手が張られる手紙を眺めながら、シャラはつい、そんな慎みのない事を考えた。

 切手が一枚三〇〇バライで、それが八六通――三桁同士の掛け算を頭の中だけでこなすのは容易でない。

 指も交えて必死で考えていると、

「あ、あら……わたし、計算間違ってましたか?」

 誤解した郵便屋の職員があたふたと計算をし直し始めたからシャラも慌てた。

「あ、き、気にしないでください! わたし計算が苦手で……」

 言う間に職員はソロバンを弾き、同じ結果が出たのだろう、シャラに「いえいえ」と安心したように微笑んだ。

 「お会計こちらです」と、シャラがあまり見たことのない金額が提示される。

 ソーレイが、預かって来た金でぽーんと払った。

 三〇〇バライで「レーズン入りのパンをひとつ買う」か「ふつうのパンをふたつ買う」か本気で悩んでしまうシャラとはもはや次元が違う。

 なんだか落ち込んだような気分で郵便屋を後にし、シャラは先を行くソーレイのあとをマイペースに追いかけた。

 ソーレイもソーレイで何事か考え込んでいるのか口を開くこともなく、どんどん先に行ってしまう。

 すてきー……と、道端で話し込んでいた少女たちがソーレイを見つけて瞳をキラキラさせていた。

 騎士といえば制服を身につけているだけで目を引く存在だし、ソーレイも超絶的美形ではないけれど、さわやかで人懐っこい感じのする顔立ちをしているから無理もない。

(……わたし、プロポーズされたんだよね……)

 またも夢の世界を漂うような気分で、再確認。

 耳によみがえる求婚の言葉に、顔から火が出そうになる。

「――シャラ」

 急にソーレイが振り返って、シャラは「は、はい!」と飛びあがらんばかりに驚いた。

 道端の少女たちの視線を感じながら、仔犬のように懸命に走って彼に追いつく。

 ソーレイは頬いっぱいに笑みを浮かべ、「ほら」と通りの先を指差した。

 シャラは胸からあふれる感情を抑えきれず、ああ、と熱い吐息を洩らす。

 そこにあるのは、二人の母校なのだ。

「なつかしい……わたし、卒業してから一度も来てないの」

「そりゃそうだよな。シャラんちは遠いもんな」

 足を急がせ塀に近づいて、シャラは背伸びして校庭の中を伺った。

 さすがに平常日だから中に入ることまではしなかったが、昔ソーレイがてっぺんまで登ってみんなに称賛されていた校庭のシンボルツリーや、ソーレイが割った二階の廊下の窓や、ソーレイが友だちと喧嘩したとき顔から突っ込んだ花壇なんかが、ひとつも変わらずそこにあった。

(ソーレイ君、やんちゃだったなー……)

 何を考えているのだろう、校内に向けて太陽でも見るように目を眇めているソーレイを見上げ、シャラは小さな笑みをこぼす。

 しかし彼の目線の先にあるものに気がついてその笑みもひきつってしまった。

 彼が見ていたのは、校庭の隅に設えられた藤棚だ。

 かつてこの学び舎を去る時、シャラが呼び止められ、心臓が破れそうなほど衝撃的な言葉をもらった場所。

 そして、ソーレイの不遇の始まりの場所だ。

(あああああ……ごめんなさいごめんなさい……)

 シャラは両手の指を組み合わせて森の女神に必死で許しを請うた。

 ここが神殿だったら床に額をすりつけてひたすら懺悔するところである。

 ある瞬間だった。

 ソーレイが何の前触れもなく虚空に腕を振った。

 「どどど、どうしたの?」と、動揺が消えないシャラが突っかかりながら問いかけると、ソーレイは「うん」と呟き握ったこぶしを開いた。

 彼の手の中では雪が崩れていた。

 雪玉が飛んできたのだろう。校庭では子どもたちが雪合戦に夢中だから。

 シャラは思わず感動のため息をついた。

「すごいね、ソーレイ君! いきなり飛んできても反応しちゃうなんて」

「そりゃ、俺も一応騎士ですから」

 胸を反らすソーレイの顔面で、バスっ、と雪が弾けた。

 ソーレイが硬直する。

 その間にもひょいひょいひょい、と、次々飛んでくる雪玉は、ソーレイの肩やら背中やらに当たり、ひとつはシャラめがけて飛んできて――シャラに直撃する寸前に、ソーレイの手でたたき落とされた。

「こら! 犯人は分かってんだぞ、チビども!」

 ソーレイが声を上げると、塀の向こうで甲高い声が上がった。

「ソーレーがおこった!」

「おこったおこった!」 

 塀の向こうから顔を出したのは、小さな子どもたちだ。

 雪を握った両手を振り上げ、シャラの腰の高さほどある塀の向こうで一生懸命ジャンプして投げてくる。

「こら、やめろ! シャラに当たるだろ!」

 ソーレイは大股で塀に近づいていって、子どもたちの頭に続けざまにげんこつを落とした。

 あ、とシャラは思ったが、子どもたちは平然としたものだ。

 ぱーっと逃げ出して、はやし立てる。舌を出して逃げる子もいるくらいだ。

「くっそぉ……人のこと完全にオモチャと思ってるな、あいつら」

「ソーレイ君、知ってる子たちなの?」

「うーん……知ってるって言うか、公女について何回も来てるからな。顔覚えられるんだ」

 そしていじめられる――と、拗ねたように彼は言う。

「公女さま、学校に来るの? 何か教えてるの?」

「いや。本とか遊具とか、定期的に差し入れしてるんだよ。――でかい声では言えないけど、資金源は金持ちの坊っちゃんたちが送ってくる上等の服だ」

 あ、と、シャラは自分の着ているドレスをつまんだ。

 ソーレイがいたずらを仕掛けるような顔をして「しーっ」と口元に指を当てる。

「……公女さま、やさしいところもあるんだね」

 素直な感想が思わず口をついて、シャラは直後にハッとした。

 いつも「怖い」と思っている事がバレバレな言葉だったからだ。

 しかし公女に対して何の遠慮もない公女付きの騎士は、はは、と肩をゆすって笑うだけ。

「あの公女、口が悪いことは確かだけどな。性根は腐ってないよ。そうでなきゃ、あのガッタが渋々でも従ったりしない」

 根気があれば案外つきあっていけるもんだ――と、ソーレイが言うのに、シャラは「そうなんだ」と相槌を打った。

 まさか翌日に自分がその「根気」を試されることとなろうとは思わずに。

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