本屋の彼はBLがお好き

本編

 私は悩んでいた。

 なぜかというと、本屋の店員があまりにイケメンだから。

 そんな店員に、今からこの本の会計をお願いせねばならない。


【僕だけの王子様 今夜 俺のモノになれよ】


 そう、BL本である。


 私が中学時代よりお慕い申し上げている大漫画家『東雲目目しののめめめ』先生の最新作。


 過去作の神作っぷりからもはや買う前より最高なのは確定しており、後は私の心の臓をどこまでえぐり心を満たしてくれるかの勝負なのが(以下略)。

 とにかく前々から待ちに待った作品が、本日出版されたのだ。


 大学二年の春。

 二次元に没頭している私にとって、買うことはもはや使命であり宿命。

 行きつけである近所のおばあちゃんの本屋でバッチリ予約を済ませ、いざようようと買い物に来たのだが。


 まさかあんなイケメンがレジにいるだなんて、誰が思おうか。


 大体おかしいだろ。

 この店今までバイトなんて雇ったことなかったじゃん。

 高校の頃私が「バイトで雇ってくれ」って頼んでもおばあちゃん断ったよね???

 イケメンだから雇っちゃったの?


 レジにいるのは驚くほどの美男子。

 棒有名アイドル事務所にいても遜色ないほど。

 と言うか、私の敬愛する『東雲目目しののめめめ』先生の第三作【発熱体感 フタリのヒメゴト】の主役の沖田くんに似ている気がする。


 そんな彼にこの本を渡したらどうなるのだろう。


「あ……はーい……いらっしゃい、ませー……」


 みたいな顔をされるのに決まっている!

 これはもう、そうなのである!

 そうなったらもう、この本屋に来ることは出来ない。


 私はまだ学生でクレカも持っていないし。

 通販は利用できないのだ。

 本屋を巡ることでしか、本に出会えない。

 だからこそ、この店を封じられることは非常に不便なのだ。


 後日にするか……?

 いや、無理だ。

 我慢できない。


 三年待ったんだぞ?

 もはやこちらは暴走寸前、爆発直前なのだ。

 もう行こう、行くしかない、行くのだ前園きみ子。

 ちなみに前園きみ子は私のSNSの活動名である。

 本名は山田 梅。

 祖母につけられたその名はとうに捨てた。


 ええい……南無三!


「あー、これ、お願いしまぁす……」


 なるべく視線をあわせないようにして、本を置く。

 どうしよう。

 まともに顔を見られない。


 なるべく顔を合わせないように会計を済ませたいのだが。

 カウンターに置かれた本はうんともすんとも言わない。

 どうした。

 恐る恐る顔をあげる。


 眼の前の青年は、真っ赤な顔をして私の置いたBL本を見つめていた。


 ……やった。

 やったわ、私。

 やらかしましたわ。


 さようなら本屋さん。

 この店には二度と来ない。


 私が一方的な決別宣告を脳内で告げていると、目の前の美男子はそっと私の本を手にした。


「『東雲目目しののめめめ』先生の新作……出てたんですね」

「……あっ?」


 耳を疑う。

 聞き違いだろうか。

 しかし目の前の青年の瞳は輝き出す。


「僕、この本の漫画家さんが大好きなんです!」

「マジか……」


 眼の前の青年の瞳はまるでドラゴンボールを初めて読んだ小学生のようにキラキラと輝いている。

 よもや男子が『東雲目目しののめめめ』先生を好きというだけで耳を疑うのに。

 それがこんなイケメンなのだから、まさしく漫画の世界が具現化したような心地である。


 こちらの表情に気づいたのか、目の前の青年は「あ……」と気まずそうな表情を浮かべた。


「すいません、突然お客さんにこんなこと言っちゃって」

「BL、好きなんすか?」


 思わず食い気味に尋ねる。

 すると彼は何も躊躇することなく「はい」と答えた。


「姉の影響で昔からよく読んでて……。特にこの『東雲目目しののめめめ』先生は、僕と姉のイチオシの漫画家さんでもあります」


 この人の姉は何ちゅう十字架を弟に背負わせてしまってるのだ。

 いや、しかしながらここはナイスプレーと言わざるをえない。


「じゃあ、他にもBL作品を……?」

「はい。僕の部屋にたくさんあります」


 妙だと思っていたのだ。

 最近この店で、やたらとBL作品の品揃えが充実していたから。

 それはおそらく、彼の働きによるものなのだろう。


「特に第三作【発熱体感 フタリのヒメゴト】はとても好きで。主人公の沖田くんに妙に自己投影しちゃうっていうか。共感しちゃうっていうか」

「共感……?」


 引っかかるものを覚える。

 すると眼の前の青年は、ハッとしたように表情を正した。


「あの、すいません。引き止めちゃって。すぐお会計済ませますね」

「はぁ……お願いします」


 その日は会計を済ませ、そのまま家に帰った。


「あの、お客さん」

「はい?」


 帰りしな、彼に呼び止められる。


「良ければ、お名前を教えてもらってもいいですか?」

「な、名前……?」

「はい。良ければ……ですけど」

「えと、山田梅です」


 とっさだったので本名が飛び出た。

 しかし彼は表情を崩さない。


「梅さん……良いお名前ですね」


 嘘つけ、と言いたかったが彼の顔は至って真剣だった。


「僕は吉沢といいます。吉沢あきと。またよかったらお話してください。山田梅さん」


 だからその名を呼ぶな。

 そう言いたかったが、屈託なく笑う彼の笑みを見ていると言葉につまり、何も言えなくなった私はそのまま店を出て帰路についた。


 ちなみに『東雲目目しののめめめ』先生の最新作は大層良かった。

 何が良いかというと語り始めたらキリがないのだが、まずシチュエーションがよく、二人がプレイに入るまでの心理的な運び方が最高すぎてそそるっていうかそもそも主人公の男の子の総受け具合にドSの親友がここぞとばかりに囁いて(以下略)。


 ○


 吉沢あきとと再会したのは本屋ではなく、大学だった。


「ねぇ、梅。お昼ごはん、新しく出来た学食で食べない?」

「だからその名を呼ぶなと何度も……」


 私が声をかけてきた友人の篠崎恵美を睨めつけていると、背後に見知った人物が居ることに気がついたのだ。


「吉沢あきとじゃん……」


 少し遠い場所で、友人らしき男性と一緒に歩いている。

 かなり仲が良いらしく、何やらベンチで話し込んでは時に相手に肩を叩かれたりしている。

 おとなしい吉沢あきとは、相手のドSっぽい友人からいじられているらしい。


「いいな……あの情景。実に良い」

「キモ……何鼻血出してるのよ」


 怪訝な顔をして私の視線を辿った恵美は、吉沢あきとを見て表情を変えた。


「あれ、吉沢くんじゃん」

「えっ? 知ってるの?」


 予期せぬ自体にギョッとする。

 しかし恵美は首を振った。


「別に知り合いじゃないけど、割と有名だよ彼。だって超イケメンだし。隣の人は長谷部けんと。軽音部の部長で、吉沢くんとは幼なじみだって。学部ではアイドルみたいな扱い受けてるよ」


「マジか……幼なじみでイケメン同士でアイドル扱いでBLだなんて、最高じゃあないっすか……」


「あんたすぐに人をカップリングする癖やめな? 彼氏できないよ?」


「彼氏などいらん。私を満たせるものは二次元しかない」

「20年後も同じこと行ってたら認めてやるわよ」


 しかしながら、少し気になることがある。


「あの距離感……」


 男同士にしては、少し近くないだろうか。

 いや、私の脳が汚染されていてそう見えるだけか。

 しかしながらそうとも思えない。


 私のBLセンサーがビンビンに反応しているのだ。

 そう【堕落天使 ~ビンビンになってるぜ?~】の天使ラファエルのように。


 親友と仲睦まじく話すあの表情は、まるで――


 ○


「吉沢あきと」


 夕方。

 家の近所にある本屋にて。

 アルバイトを終わった吉沢あきとを、私は呼び止めた。

 自転車に乗ろうとしていた彼は、私を見てパッと嬉しそうな表情を浮かべる。

 そんな子犬のような顔をするな、萌えてしまう。


「山田梅さん! 来てくださったんですね!」

「私をその名で呼ぶな! ……いや、今そんなことはどうでもいいの。今日はちょっと聞きたいことがあって」


 吉沢あきとは不思議そうに首を傾げる。


「何でしょう?」

「今日、大学であなたを見かけたわ。同じ大学だったのね」

「それは偶然ですね! 今度見かけたら声かけてください!」


「あなた、お昼の中庭で友達といたでしょ?」

「はい、幼なじみの親友なんですよ」


「二人を見てて思ったのだけれど……」

「何ですか?」


「あなた、あの友達のこと好きでしょ?」


 私がその言葉を告げると。

 吉沢あきとは、顔面蒼白になって黙った。


「なんで、わかったんですか」

「分かるわよ。私が『東雲目目しののめめめ』先生の大ファンってこと、知ってるでしょ」


東雲目目しののめめめ』先生の第三作【発熱体感 フタリのヒメゴト】。


 それは幼なじみの二人の男が、禁じられた愛へと足を踏み込むBLの神作品なのだ。


 吉沢あきとは主人公の沖田くんに感情移入すると言っていた。

 沖田くんは外見も中身も吉沢あきとによく似ている。

 そう、その境遇さえも。


 私がいうと、吉沢あきとは静かにうなだれた。


「誰にも、言わないでください。わかってるんです。自分が変だってこと」

「変だなんて……。恋は自由じゃない」


「自由ですけど、それは当事者じゃないから言えるんですよ。親友の男友達が自分を性的な目で見ていると知ったら、男なら誰だって構えますし、気味悪く思います。分かるんですよ。僕も男だから」


「心が女って訳じゃないの……?」

「男です。女の子にドキッとしたりもします。でも、好きになったのが……たまたまあいつだったんです」


 吉沢あきとはそっと夕焼けを見つめる。

 その横顔は、恐ろしいほどに美しかった。


「自分が異常なのはわかってます。BLの本でちょっとだけ妄想して、満足する。それだけで良い。近くに居られるだけでいいんです」


「恋を叶えようとは……思わないの?」

「思いません」


 はっきりした口調だった。


「僕は、恋人ではなく、親友としてあいつと生涯友達でいることを選んだんです」


 その視線には、迷いが無くて。

 私は、彼がもうずっと前に自らの恋に終止符を打ったのだと気がついた。


 決意は、きっととても硬い。

 そして決断するまでに、たくさん迷ったんだと思う。

 恋人としてそばにいることではなく。

 友人として、永く共にあることを選んだ。


 普段はコンテンツとしてBLを楽しんでいたけど。

 現実では、こうして性別の壁に悩んでいる人だっている。

 そんな当たり前のことを、今私は知ってしまった。


 吉沢あきとは、少しだけ寂しげな表情を浮かべる。

 その表情が、私の胸を揺さぶった。


「だから、僕はこれでいいんです。梅さんみたいに、分かってくれる人がいるなら、それで」


 私は。

 なんと声をかけてあげれば良いんだろう。


「それならさ」


 気がつけば。

 勝手に口が開いていた。


「私が、彼女になってあげるよ」


 何だ。

 今私は、何を言った。


 彼女になる?

 誰が?

 私が?

 誰の?

 彼の?


 我ながら、意味がわからない。

 吉沢あきともそれは同じようで、私の言葉にあからさまに困惑した顔を浮かべていた。

 しかしながらもう、言ってしまったものは止まらない。


「私が彼女になって、吉沢くんの盾になったげるよ」

「盾って……」


「私さ、親戚におじさんがいるんだよね。女装趣味の」

「な、何の話です?」


「いいから聞けよ。おじさんはさ、生粋の変態で、女の格好をするのが大好きなの。オフ会とかもそれで参加しちゃうクソ野郎でさ。でも不思議と、社会では受け入れられてる。何でだと思う?」


「分かりません」


「結婚してるからだよ」


 私が言うと、彼は黙った。


「ちゃんと決まった相手がいるって、それだけの強さがあんの。社会的な立場とか、自分のポジションとか、守ってくれる強さが。だからさ、私を彼女にしたら良いよ。私なんかじゃ嫌かも知れないけどさ、事情を知って、適当に利用されることを許容する女なんてそんなにいないでしょ」


「どうしてそこまで……?」

「どうしてって、そりゃ……」


 どうしてだ。

 分からない。


 私がそこまでして彼の力になろうとする理由。


 推しか?

 尊みか?

 親しみか?

 同情か?


 どれも半分当てはまって、半分違う。

 どの言葉でもしっくりこない気がした。


「あ……」


 そこで一つ、私は心当たりに辿り着く。

 でもそれは、口にはしない。

 認めたくないし、認めてやるもんか。


「ふ、二人のカップリングがどうなるかを見届けたいんだよ私は! 大好きなBL作品と瓜二つの状況が目の前にあんだから、応援しない手はないでしょ! 私は君の仮初の彼女になる。そうすれば、吉沢くんの好意が悪い方に捉えられることもない。私は推しの恋を見守れる。君は好意を態度に表しても勘違いされない。悪くない話でしょ?」


「なるほど……確かに」


 何をどう納得したのか、吉沢あきとは小さく頷くと、私の手を取った。

 飛び上がりそうになるのを、何とか堪える。


「ありがとうございます。梅さん」

「あう……」

「じゃあ、お言葉に甘えて。よろしくお願いします」

「う、うん。よろしく」


 そうして、彼はまた、少年のような笑みを浮かべた。

 私はその顔を、ジッと見つめる。


 これが私、山田梅の初恋の始まりだった。


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