第9話 おお、そういえば

「めでたしめでたし」


 父さんは「狭山家に伝わる六佐伝説 ~現代語訳版~」をパタンと閉じた。


「自分で持ってきておいてなんだけど、このお話信じていいのよね?」


 螢子によれば、砦の研究室の一室を通過したとき見るからに怪しい段ボール箱を見つけ、開いてみたら狭山家の所有物だったはずの巻物がごろごろと出てきたのだった。しかもご丁寧なことに、箱のそばに研究員の誰かが作った現代語訳がおいてあり、ためらいなくそっちをつかんできたのだという。


「とりあえず、父さんの適当な作り話よりは信用できそうだ」


「まさか仲間がこんなものを作っていたとは知らなかったよ」


 父さんは複雑そうな顔で冊子を見つめた。


「この不思議現象を少しでも納得するために作ったんじゃねえの? そりゃそうだよな、ふつうは気にする」


 颯也が自分で言って大きくうなずく。あちこちに打撲やひっかき傷の跡があるのがちょっと痛々しい。


「とにかく、ここに書かれていることが真実だとすれば、ひとつ確かめるべきことがあるわね」


「と、いいますと?」


 男三人に聞き返され、螢子は顔をしかめた。


「祠は今どうなっているのかっていうことよ。誰か知らない?」


「おお、そういえば」


 父さんはポンと手をたたいた。


「むかし家の庭に何だかよくわからない石が積み上がっている場所があったんだが、老朽化で建てなおすとき母さんが洋風の家にはそぐわないと言ったから撤去したんだよ。今思えばあれが祠だったのかもしれない……」


 静まり返る室内。だだっ広い空間で1匹のモンシロチョウがひらひら舞っていた。


「まったく、母さんの言うことなら何でも聞くんだな」


 ため息が出た。


「螢子、颯也、本当に申し訳ない。うちの親父が迷惑をかけて……」


「まったくだ。この借りはいつかきっちり返してくれよ」


 颯也がわりと本気で言う。螢子は少し笑っただけだった。


「でもこれでやることが見えてきたわ。私たちは祠をつくって、虫たちの怨霊を鎮めなきゃならない。うまくいくかわからないけど、やってみましょう」



 結果的にこの試みはうまくいった。砦の庭に祠をつくりみんなで冥福を祈った数日後、施設内にいた衛兵、もとい昆虫採集愛好家たちはすっかり大人しくなり、ちらほら正気を取り戻す者も出てきた。その瞬間を、一度だけ見た。人の顔を持つミツバチは羽を広げ人間の頭から飛び立ち、あっという間に空の彼方に消えた。気のせいか、表情は穏やかだった。この光景を目にするのも、狭山の限られた人間のみなんだろう。


 颯也と螢子とおれは新しい祠に花を添えた。ここ数日の日課だ。


「こんなことで成仏するとは、あっけないな。俺たちがしてきた苦労はなんだったんだよ」


 颯也が忌々しそうにおでこの絆創膏をさわった。


「ま、それは名誉の負傷ってことで」


 颯也はチッと舌を鳴らしたけど、感慨深げに石を眺めた。


 庭の中を心地よい風が通り抜ける。たったこれだけの空間に、一体どのくらいの生き物がいるんだろうか? 数えてたらそれだけで日が暮れそうだ。


「父さんは明日飛行機で日本に帰るって言ってた。俺はもう少しここにいようと思うんだけど、ふたりともどうする?」


「私も残るわ。人類はちゃんと元気になったと確信できてから行く。せっかくだから観光もしたいしね」と螢子。


「螢子が残るなら俺もそうするしかないな。襲いかかってくる敵さえいなけりゃ、ここもけっこう居心地いいし」と颯也も同意する。


「調子のいいやつ!」


 けど、実はすごくうれしかった。


「あーあ、帰ったら兄貴になるのか。変な感じだな」


「いいなー。私ひとりっこだからうらやましい」


「じゃあ生まれたら遊びに来なよ」


「どさくさに紛れてデートの約束とは、やってくれるな虹治。だけどあんまりいいことばかり期待しない方がいいぞ。ちびっこはみんな怪獣だからな」


「颯也は兄弟いるの?」


「5人兄弟の長男だ。いちばん下はまだ3歳で手間がかかる」


「へえ、意外!」


 颯也が背中に赤ちゃんを背負いながら小さい子たちに囲まれている図を想像した。引っ張られたり叩かれたりして、ずり落ちたメガネをかけ直し、冷静にブチ切れる颯也。あんまり違和感がなくて笑えた。


「変な想像してんじゃねーよ!」


 背中をど突かれた。こいつエスパーか?


「ねえ、男の子と女の子どっち?」


「あ、そういや聞いてない」


「え~、ちゃんとお兄ちゃんになる自覚あんの?」


 なんだかおれよりも乗り気だ。


「名前考えようよ。男女どっちでもいけそうなやつ」


「今から?」


「採用されるかどうかはおいといて暇つぶしにはなるな」


「暇つぶしとか言うなよ」


 颯也は気にせず草の上に腰を下ろし、そのまま寝転んでしまった。螢子が続いたのでしぶしぶならう。庭の片側は木で囲まれていて、そうやって見ると空が半分に切り取られているみたいだった。


「いい天気だね~」


 螢子がのんびりといった。つられて颯也がふぁ~とあくびをする。


「1個思いついた」


「早っ! まさかアクビちゃんとかじゃないでしょうね……」


「やめてくれ。俺が恨まれる」


 颯也が眉間にしわを寄せた。


「違うよ!」


 姉ちゃんは南、おれは治、とくれば……


「“そら”なんていいと思わない?」


「見たものそのままじゃない」


「ひねりがないな」


 非難の嵐だった。


「ひねってどうすんの。苦労するだけだよ、自分も周りも」


 そういえばさあ、と螢子が首をもたげる。


「私たちの名前って、みんな虫が入ってるよね」


「また虫の話か。確かに、螢子も虹治も漢字だと虫編があるな」


「颯也だってあるよ。ほら、風っていう字の中に」


 なるほど、と颯也が小さくうなずく。


「もしかしてこれもひねりかな? 実は狭山家では虫を供養する意味を込めて名前に虫の字を入れていました、みたいな。私たち、なぜか呪いにかからなかったし」


「ひねりすぎて誰もわかんねーよ」


 顔のすぐ近くでバッタがぴょーんと跳ねた。

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