第28話 異流の使徒

 シルキルの父、セルシオは狼神ろうしんの使徒の九人の内の一人だという。

 そして狼神復活の儀式は、一人の異流の使徒により生み出されたと言った。

 その男はセルシオの親友であり、ミカイロの父でもあった。

 そして、息子のミカイロにより命を奪われたという。

 しかし、ミカイロの父親のことを、セルシオは語ろうとしない。


「もういいや! それよりユピだ! おい、おまえ! おれをその儀式の場所まで連れて行け!」


 そう言って、ヒラクが入り口前に立ちふさがるシルキルにつかみかかろうとしたとき、ちょうどカイルが戻ってきた。

 カイルは息を弾ませてセルシオに迫った。


「八人の使徒が死んだ。一人の使徒が消えた。器である人間もいない。どういうことだ?」


「そうか、ミカイロはやりとげたのか……」


 セルシオは、消えた一人の使徒というのは、九人目の使徒となったミカイロのことだと思った。しかしカイルはこれを否定する。


「ミカイロは死んだ八人の使徒のうちの一人だ」


「ミカイロが死んだ?」


「ああ、おそらく自ら……」


 自分が見たものを思い出して、カイルは吐き気を覚えた。

 儀式の場に駆け込んだカイルの目に飛び込んできたのは、凄惨な光景だった。

 煙と熱気のこもる室の中には八人の男たちの死体が転がっていた。

 カイルは口元を手で押さえながら、悶絶の表情で果てた一人一人の死体の顔を確かめていった。

 ほとんどの男たちが生への執着を残すかのように目を見開いたままだった。

 凄まじい形相で死んでいった使徒たちと面するのは、カイルには苦痛でたまらなかったが、それがテラリオではないことに少なからずほっとしていた。

 そしてミカイロの死に顔と面したとき、カイルはすぐにそれが誰かはわからなかった。薄く開いたままの瞳は、何もかもあきらめたかのように、うつろで悲しげだった。


「そうか、ミカイロが……」


 セルシオは複雑な表情でつぶやいた。


「ユピは? ユピはどうなったの?」


 ヒラクは再びカイルにつめ寄る。


「わからない。テラリオもその場にはいなかった」


「器が消えたということは、テラリオが九人目の使徒となり、狼神を復活させたということ?」


「いや、ちがう」


 シルキルの言葉をセルシオは否定した。


「そもそも狼神を復活させるための儀式など存在しない。一人の男の妄想だ。その妄想を糧にして、ミカイロは狼神を生み出そうとしていた」


「一人の男? 誰のことだ……?」


 カイルが尋ねると、セルシオは、はりつめた糸が切れてしまったかのように、ぼんやりと宙を見ながら語り始めた。


「……ザイルの父親だ。ザイルは、ミカイロの父親であり、私の無二の親友だった男だ。ザイルの父親は老いた私の曽祖父の歴史研究を助け、祖父がネコナータの民の調査に出かけるときも同行した。年の近い私とザイルは身内同然だった……」


 セルシオは昔をなつかしむように言った。今までミカイロの目をはばかり、語れなかったことだ。


 記憶の中の死者を語ることは、生きた者の心を慰める。その存在がまだあることの確認でもするかのように、残された者は語りだす。


「ザイルの父親は、もとはプレーナ教徒でありながら、狼神の旧信徒たちに狼神復活を強く唱え、信仰を復活させた人物だ。彼は、狼神信仰の祖ともいわれる使徒の流れをくむ一族の娘を妻とし、その一族の力を後ろ盾として信仰を復活させた。ザイルの父は私たち一族の狼神研究の資料をもとに復活の儀式を作り上げ、ザイルはその儀式のために再結成された九人の狼神の使徒の一人となった」


 ザイルは、自分の父が、もとはプレーナ教徒でありながら、なぜ狼神復活を唱えるようになったのかを長い間謎に思っていた。


 その謎が解けたのは、ザイルが二十歳を過ぎてからのことである。

 病床に伏したザイルの母が、死に際、息子を呼び寄せて言った言葉がきっかけだ。


『あの人は、ずっと私ではない女性を愛していたの。その人に再び会うために、狼神の力が必要だった。そのために私を利用したのに、私は私自身が必要とされていると思ってしまった……』


 ザイルの母親の表情は、さびしげではあるが穏やかで、慈愛に満ちた目で枕辺に立つ息子をじっとみつめた。


『あの人を恨む気持ちもあったけど、あの人に愛されなかったことよりも、あなたを授かり、愛したことが、私の人生のすべてよ。どうかあなたはお父さんのようにならないで。あなたが愛すべき家族を愛して守って生きていってちょうだい』


 この時、ザイルの妻はミカイロを腹に宿していた。その誕生を心待ちにしていたザイルの母親は、この言葉を最期に、孫を抱くことなく死んだ。


 病床の母の枕辺に駆けつけようともしなかった父に対して、ザイルは怒りを抑えることができなかった。ザイルは父にすべてを問いただした。


 すでに老境に入っていたザイルの父親は、取り繕うこともせずにあっさりとザイルの母親が言ったことを認めた。


 プレーナに身を捧げた恋人を取り戻すために狼神の力が必要だったこと、プレーナへの憎しみが狼神復活の儀式を生み出すきっかけになったこと、そして、そのためにザイルの母親を利用したこともすべてザイルに打ち明けた。


 ザイルは激しい憤りを感じた。

 父にとって大切なのは、プレーナに奪われたという恋人の存在だけだ。そのためには何人の犠牲を出してもかまわないと思っている……。

 ザイルは、父を許すことはできないと思った。


 この時以来、ザイルは父を「異流の使徒」として蔑み、母の血筋を引く自分こそが正当な狼神の使徒であると主張するようになった。


「ザイルは、狼神の使徒を統率する立場を確固たるものにして、父親を背後から消し去ろうとした。そのことのみに意識を向けているようで、息子であるミカイロのことは一切顧みようとはしなかった。自分が父親と同じことをしていることに彼は気づいていなかった」


 セルシオは複雑な表情で言った。


「ミカイロは物心ついたときから、ザイルの父親によくなついていた。ザイルの父親もまた孫であるミカイロをかわいがっていた。それは、父親として息子に愛情を注げなかったことへの後悔からか、それとも、自分の意志を託す相手を、息子から孫へと変えたからか、今となっては誰にもわからないことだ」


 ミカイロの母親は、ミカイロを産むのと引き換えに命を落としたため、ミカイロにとっては祖父だけが家族と思える存在だった。

 しかし、その祖父はそのときすでに現実と妄想の区別がつかない状態だった。


「分け身の神が姿を見せたのはその頃だった。まずは神帝が現れた。神帝を中心に神帝国が建設され、ネコナータの民は神帝国人となった。国を持ったネコナータの民たちと、外で労働に従事する狼神の旧信徒たちの関係も変わっていった。ザイルは、神帝国と友好的に手を結び、狼神の旧信徒たちの生活を安定させようとした。ザイルは、もはや狼神の復活など考えてはいなかった。だが、狼神の旧信徒たちと神帝国の友好関係をプレーナ教徒たちは快く思わなかった。狼神の旧信徒たちに自分たちの支配が及ばなくなることを怖れていたのだ。そしてプレーナ教徒の不安が募る中、もう一人の分け身の神が現れた。それがヴェルダの御使みつかいだ」


 セルシオはヒラクをじっと見た。


「プレーナ教徒たちは、ヴェルダの御使いが現れたことでさらに結束を固めた。老主を中心とするプレーナ教徒たちの狼神の旧信徒たちへの迫害も一層強まった。そんな中、今こそ狼神を復活させるべきだという声も使徒たちから上がったが、ザイルは頑としてそれを拒んだ。ザイルは父親が生み出した復活の儀式で狼神が復活するわけはないと思っていたし、儀式そのもにに反発があった。やがて狼神の復活を望む使徒たちは、ザイルに代わる儀式の執行者を求めるようになった。ミカイロがその座に納まることに異議を唱える使徒は誰もいなかった……もちろん私も含めて、誰も……」


 セルシオはつらそうにくちびるを噛んでうつむいた。

 そのときミカイロが父親であるザイルを殺したということは、あえて口にしなかった。


「ミカイロが父に代わって狼神の使徒たちの中心の座についたのは、彼が十八のときだ。ザイルの父も亡くなり、五年間、ミカイロは私や私の父のもとで、この地の歴史に関わる資料をむさぼるように読み、何かを必死で得ようとしていた。かつてのザイルの父親と同じだと、私の父はよく言っていた。その話を聞いていたからか、私には、ザイルの父親がミカイロに乗り移っているように思えた。

 これは後からわかったことだが、ミカイロは、狼神復活の鍵となる器がどういうものなのかを探していた。彼は、その頃からすでに祖父の意志を継ぎ、狼神復活に情熱を燃やしていたのだ」


 やがてミカイロは、器となる分け身の神の手がかりを得ることになる決定的といえる出来事と遭遇する。


 ミカイロが父ザイルに代わり、狼神の使徒の中心の座について五年、神帝国が興って十五年後、神帝国の人間が初めてセーカ内に足を踏み入れた。それは使徒たちとの接触を希望する者たちの独断の行動だった。案内をしたのはセルシオだった。


「今から七年前、神帝国の者が二人、この狼神の旧信徒たちの居住区に足を踏み入れてミカイロと接触した。彼らは神帝により追放された罪人を追っていた。くわしくは語らなかったが、神帝に追われたその者を、神帝に気づかれないうちに保護したいということだった」


 結局追放者がみつかることはなかったが、このことをきっかけにミカイロは神帝国の人間と親密な関係をもつことになった。神帝に知られることを怖れる彼らを脅迫し、個人的に食糧その他を得るルートを確保した。


「ミカイロは彼らに尋ねた。神帝は絶対君主であるとともにあなたたちの神ではないのか、と。彼らは答えに窮していた。彼らを帰した後、ミカイロは私に言った。分け身の神をみつけた、と」


 セルシオはその時のことを思い出して言った。


「その追放者が狼神の分け身で神帝国人の姿で現れたっていうのか?」


 カイルは腑に落ちないといった表情で言った。


「そもそも狼神の元型とされるのは狼であり、羊飼いたちの怖れが具現化したものだ。ミカイロは、神帝国の人間の姿で狼神が現れたと解釈したが、あくまでこの時点では確信にまではいたっていない」


 セルシオはシルキルからヒラクに視線を移す。


「神帝国の人間が訪れてから七年……。再びこのセーカに分け身の神が現れた。しかも二人同時に。二人とも北の山からやってきたと言う。北の山は狼神の封印の地だ。ミカイロは、七年前に神帝国から追放された分け身の神は北の地に逃げ込んだのだろうと考えた……」


 その言葉に、ヒラクは銀の狼の背に乗って山を越えたことを思い出した。そして山の向こうでユピと出会った。二度目の山越えである今回も気づけばセーカまで導かれていた。


 自分と一緒でなければ、ユピは狼神とされることもなかったのではないか。

 それともこれは初めから見えない大いなる力に仕組まれていたことなのか。


 脳裏に浮かぶ狼が、ヒラクを静かに見つめていた。


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【三神関係図】https://kakuyomu.jp/my/news/16817330655892794853


【登場人物】

ヒラク

山の向こうからやってきた緑の髪の子ども。母はプレーナの信仰者だった。同じ髪の色をしていることからプレーナの眷属とされる「ヴェルダの御使い」に間違われる。地下で離ればなれになったユピを探している。


ユピ

ヒラクと共に育った銀髪碧眼の美少年。その容貌は神帝国の人間の特徴とされる。ヒラクと共に山を越えてきたが、テラリオにより狼神の使徒の元に連れ去られ、ミカイロに囚われる。


カイル

プレーナ教徒でありながら労働に従事する「罪深き信仰者」であり、狼神の旧信徒の若者たちの仲間でもある。自由を求めてテラリオと共に神帝国に逃れようとしていたが断念。狼神復活の儀式に臨むテラリオの身を案じ、後を追う。


テラリオ

「罪深き信仰者」であると同時にプレーナ教徒でありながら狼神を信仰する「異流の使徒」として狼神の使徒に近づく。ユピを利用し、神帝国への亡命を図ろうとするがミカイロにユピを奪われ、再び取り戻すために狼神の使徒の一人に成り代わり、復活の儀式に参加する。


シルキル

狼神の旧信徒居住区に住む小柄な巻き毛の少年。代々学者の家系で歴史に詳しい。

テラリオを父の身代わりにすることで、狼神の使徒の一人である父の命を延命させようとする。ヒラクに父の運命を変えることを期待している。


セルシオ

シルキルの父。歴史研究家であり九人の狼神の使徒のうちの一人。ミカイロの父の親友であり狼神復活の儀式の秘密をすべて知る人物。時代の変化を見届けたいという歴史家としての性から、テラリオを自分の身代わりとして復活の儀式に向かわせる。


ミカイロ

狼神信仰の中枢である狼神の使徒の中心人物。神帝国とも裏で繋がりがある。ユピを狼神の器とみなし、狼神を復活させようとしている。


ザイル

ミカイロの父。父はプレーナ教徒でありながらも狼神復活の儀式を考えついた異流の使徒で母は狼神の使徒の一族。かつての恋人を忘れず自分の母親を愛そうとしなかった父親のことを恨んでいる。









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