出会いは本屋から
星海ちあき
恋のはじまり
小春日和な休日の昼過ぎ、馴染の本屋さんでのこと。
私は好きな小説家さんの新刊を買うために本屋へと足を運んだ。それは人の通りがあまりない静かな路地に店を構えている。五十代くらいのおじさんが一人でやっている小さな書店だ。
住宅街から切り離されて、時間の流れも少しゆっくりに感じるような、そんな場所。
人が通らないということもあり、必然的に客も少ない。
今日も客は私だけだ。けれど、いつもと違うことが一つ。
「………あ、いらっしゃい」
そうにこやかに挨拶をしてくれたのは私と歳が近そうな、二十代くらいの男性だった。
いつもおじさんがしているのと同じエプロンだし、商品の陳列中みたいだし、おそらく店員なのだろう。
だが、あのおじさんはバイトを雇う気はないといつも言っていた。私が働かせてほしいと言った時も『こんな小さな書店くらい、俺一人で大丈夫だ』なんて言って、全く相手にしてくれなかった。
けれど、彼はこの小さな書店で確かに働いている。
おじさんの気が変わったのだろうか。
そんな疑問で首をもたげて、しばし男性を見ていると彼もまたこちらから目を逸らさない。
「もしかして、君が
「え、はい……え?」
どうして私の名前を知っているんだろう。どこかで会ったことがあるとかだろうか。
男性は私の返答でさらに笑みを深めた。
「そっかそっか。君が……。俺、君の話をよく聞いていて、ずっと会いたかったんだ!」
話を聞いていたとは、いったい誰からどんな話を聞いていたというのだろう。
こんなことを言うのはあれだが、少し胡散臭い。
私の警戒を察してか、男性は慌てた様子で自己紹介をした。
「ああ、待って。別に変なこととかじゃないから。俺は
如月。それはこの店の名前であり、おじさんと同じ苗字だ。
「えっと、
私がたどり着いた答えに菜緒さんは嬉しそうに頷いた。
「莉奈ちゃん、中学の時からここに通ってくれてるんでしょ?父さんがいつも嬉しそうに話してくれるんだ。店に来た時に本の話ができるのが楽しいって。俺も歳が近いし、本好きなのも一緒だから会ってみたかったんだけど、なーんか父さんが店に近づけてくれなくて」
だから偶然でも今日会えたことをあんなにも喜んだのか。というか、おじさん、私のことをそんな嬉々として息子に聞かせるのは止めてほしい。なんだか、恥ずかしい。
「そ、そうなんですね。あの、それならどうして菜緒さんがお店に?」
近づけなかったということは、おじさんはきっとここに菜緒さんを連れてきたくなかったのかもしれない。その理由はわからないけれど、何か事情があるのだろう。
あのおじさんのことだし、そんなたいした事情じゃないかもしれないけれど。
それでも、今まで近づけなかった菜緒さんを店に呼んだということは少し気になる。店内におじさんの姿が見えないこととも関係していそうだ。
菜緒さんは少し表情を曇らせてしまっている。何やら嫌な予感がするのは、私の気のせいだろうか。
「実は、少し前に父さんが事故にあって、今は入院しているんだ」
事故。その言葉に一瞬思考が停止した。
どれほどの事故だったのか、おじさんは無事なのか。聞きたいことはあるのに声にはなってくれない。
ただ目を見張ることしかできない私に、菜緒さんは優しく声をかけてくれた。
「意識もしっかりしてるし、足を骨折しただけで済んだから安心して」
その言葉を聞いて、ほっと息をつくことができた。
自分でも気づかないくらい呼吸が浅くなっていたらしい。
冷静さが戻ってきたあたりで私は再び首を傾げた。
「入院している間はお店を閉めればいいのに、どうしてわざわざ菜緒さんが店番をしているんですか?」
「ああ、それは」
菜緒さんはレジの奥へと姿を消して、出てきた彼の腕には段ボールが抱かれていた。
その中にあったのは私のお目当てのものだ。
思わず菜緒さんの顔を見れば、眉を下げた優しい笑顔が浮かんでいた。
「これの発売日、つまり今日だね。君が絶対に買いに来るから店を開けてほしい、父さんにそう言われたんだ。………まったく、今まで俺が店に行くの嫌がってたくせに、莉奈ちゃんのためならそんなこともお構いなしなんだから」
呆れ混じりのため息を吐いてはいるもののその表情はどこまでも優しい色があった。
今日店が開いていたのは私のためだったのか。
そう思ったら自然と言葉が口をついて出た。
「あの、今度おじさんのお見舞いに行ってもいいですか?」
菜緒さんは一瞬きょとんとした顔になったがすぐ破顔した。
「もちろんだよ。父さんも、莉奈ちゃんが来てくれたら喜ぶよ」
「………その莉奈ちゃんっていうの、やめてください。なんか、菜緒さんに呼ばれると子ども扱いされてるみたいで恥ずかしいです。私、これでも二十一ですよ?」
眉間を寄せて抗議の声をあげればまた笑われた。絶対に私のことを子ども扱いしている。
「子ども扱いしてるつもりはなかったんだけどな。うーん、じゃあ………莉奈?」
こてんと微かに首をかしげて聞いてくるその姿に、静かに紡がれたその声に、どうしてか胸が小さく音を立てた。
莉奈。
私の名前を呼ぶのは何も菜緒さんだけじゃない。今までずっと呼ばれてきた名前なのに、こんな気持ちは初めてだ。
なぜか無性に嬉しくて、ドキドキして、奇妙な感覚だ。
菜緒さんの顔を見れなくて思わず下を見てしまう。
「莉奈?どうかした?」
「な、何でもないです!」
目当ての本を買って、お見舞いに行く約束をして、ついでに連絡先も交換して、私は今、帰路についている。
ただいつもみたいに本屋さんへ行っただけなのに、何だか濃い一日だった気がする。
馴染の本屋さんで、馴染のおじさんと、他愛のない話や本の話をする日常の中のささいなイレギュラー。
思い出されるのは菜緒さんの笑顔だ。
「あんな爽やかな人、初めてのタイプだ……」
爽やかな笑顔、ころころと変わる表情、低すぎず耳に馴染む心地よい声。
初めは少し警戒したが、それもすぐになくなりとても落ち着ける人だと感じた。
そんなことを考えているとふいにスマホが軽やかな音を立てた。
噂をすればなんとやら。菜緒さんだ。
『父さんにお見舞いのこと話したらすごく喜んでたよ。莉奈の都合つく日いつかな?父さんが早く会いたいってうるさいんだ』
「ふふっ、おじさんってば」
小さく笑みがこぼれて、すぐさま自分の予定を思い出す。
大学やらアルバイトやらの予定の合間となると、空いてる日はいつだろう。
「次の水曜日なら午後から空いてます」
送信してすぐ既読がつき、可愛らしいうさぎが『OK!』の看板を持っているスタンプが送られてきた。
続けて詳しい時間や待ち合わせのやりとりをし、またもや可愛らしいうさぎのスタンプ。
菜緒さんはうさぎが好きなのだろうか。他には何が好きだろう。
そんな些細なことを考えるだけで胸がわくわくする。
そう感じている自分に首を傾げつつも、早く新刊を読みたいこともあり家路を急いだ。
出会いは本屋から 星海ちあき @suono_di_stella
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