赤本越しの恋

ゴローさん

赤本①

「帝東大学の赤本一点……以上でよろしいでしょうか?」

「はい…」

「お会計は税込み2,310円になります。ポイントカードはお持ちですか?」

「いえ。これでお願いします。」

「かしこまりました。2,500円頂戴します。……すみません。いま100円玉と50円玉が切らしておりまして、10円玉19枚のお返しです。」

「はぁ…」

「ご利用ありがとうございました。またのご利用お待ちしております。」


 お釣りでもらった19枚の10円玉を財布に入れるとずしっとした感触が手に伝わってくる。


 4.5gの10円玉19枚で85.5g。

 普通に4.8gの100円玉1枚と4gの50円玉1枚、4.5gの10円玉4枚をお釣りをもらったときの重さは、26.8g


 その差わずかに58.7g。


 日常生活においてほとんど気にしないような重さだが、今の俺には重くのしかかってきていた。


 きっかけもわずかなことなのだ。


 国立試験の前期試験。

 理系最難関とも言われる東京商業大学を受験した俺は、自己採点の結果から考えるとわずか2点、合格のボーダーラインに足りず落ちた。


 たったの、わずか2点。


 過去問のときは「誤差だから大丈夫!」なんて言って気の止めていなかった点数だが、その誤差に涙をのんだ。


 その事実から必死に顔を背けながら、第2志望となる学校――帝商大学という私立大学――を決めて今過去問を買いに来ていた。


 だが、事実から顔を背けるのも、もう限界だった。


 暖房の効いている本屋さんから出て入口のそばに座り込む。


 視界が伝えてくる周りの喧騒をシャットダウンするべく自分の手元を見る。

「あ――」


 そして、今頃のように気づく。


 今回買いに来た赤本は『帝商大学』

 そして今回買った赤本の表紙に書かれてあるのは『帝東大学』だった。


 つまり買い間違えたのだった。


 二校は略せばどちらも帝大となる姉妹大学。

 偏差値も近いことで有名だが、その異なる点は存在する場所だ。


 帝商大学は京都府

 帝東大学は東京都 



 今、大阪にいる俺はこの内なら当然帝商大学を二次志望としていた。


 閑話休題それはさておき


 今ならまだ戻ったら商品を交換してもらえるかもしれない。


 でも。


「もう嫌だ…」


 いつもならするはずのないミスをしている自分のことが情けなくなっていた。


 学校ではいつも完全無欠でエリートとして学年の中ではいい意味でも悪い意味でも有名だった。


 先生からは可愛がられた一方で、同級生からは敬遠された。


 全ては東商大にいくため。


 同級生から陰口を言われていることに気づいたらいつもこの言葉を自分に言い聞かせていた。




 初めての挫折。


 もう何がなんだかわからなくなっていた。

「受験、やめたいな……」


 気づけば自分の口からそんな言葉が漏れ出していた。


 耳を疑うような言葉が自分の口からこぼれ落ちた事に気づいたのは、赤本にいくつもの水滴が落ちたことに気づいたときだった。



 俺は泣いていた。



 どうすればいいんだ。

 何が悪かったんだ。

 そもそも俺が悪かったのか……


 色んな思いが心を埋め尽くしていく。

「ぅぅ」

「あのぉ、大丈夫ですか?」


 堪えきれず嗚咽をあげた時澄んだ声が聞こえてきた。


 ぱっと顔をあげると、大人びたように見える女性が俺の顔を覗き込んでいた。


 ――ありがとうございます。大丈夫です。


 言おうとする。


 しかしこの数年勉強ばかりしていて、女子は愚か、先生と家族以外と話さなかった俺はその言葉が出てこなかった。


 ――ああ、もう


 自分の無能さに情けなくなって更に涙が溢れてくる。


「え、え、あのー!大丈夫ですか?」


 その女性はあたふたしながらも、俺を社会の視線から守るように隠してくれた。


 その優しさが今の俺の心に染みていった。

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