第8話 迫るシーズン
「では、今シーズンの抱負を一言でテロップに書いていただけますか?」
スタッフからテロップとペンを受け取り、書き終えた物をカメラに向かって提示する。
『進化』の二文字が俺の今シーズンの目標だ。
「昨シーズンは色々な場所で『復活』と謳われてきましたが、俺はそれだけで終わるつもりはありません。更に成長した自分を見せられるよう、努力していきたいと思います。」
「カナダに拠点を移して生活に変化はありましたか?」
「はい。世界でもトップクラスの選手から沢山の刺激を貰って、充実した環境で練習ができています。」
「四回転ループをフリーに組み込むそうですね。」
「ループもそうですが、フリーは他のジャンプやステップも去年より大分難度が上がっていて、…今はこなすだけで精一杯ですが。」
「最後に、シニアデビューを控えた今のお気持ちを聞かせてください。」
「シニアの試合はずっと憧れていた舞台だったので、そこに立てるのは凄く嬉しいですし、代表争いにも食い込む気で挑みます。」
カメラが最後にアップで写し、撮影は終了だ。
取り繕っていた表情を崩すと疲れがどっと押し寄せてくる。
試合後のインタビューの経験は何度もあるが、一対一でじっくり取材されるのは初めてだった。
「取材は以上です。綾瀬選手、お疲れ様でした。」
「こちらこそありがとうございました。」
レポーターの女性とスタッフに挨拶をし、腕時計を見るともう七時を回っている。
インタビュー場所として提供していたロビーから急いで戻ったが、リンクの鍵は閉じられてしまっていた。
「滑る気だったのか?朝練も一番に来てたくせに。」
二コラが苦笑交じりに「練習熱心なのは関心だけどな。」と付け足す。
今日は朝からスポーツニュース番組の密着取材をしたいと日本からテレビ局の人がわざわざカナダにまで撮影に来ていた。
午前中は練習、午後からは私生活について。
実質リンクで滑れたのは2時間もない。
日本スケート連盟に「強化選手」として登録を受けているスケーターのほとんどが特集されているらしい。
リンクが使えないならトレーニングだけでもしてから帰ろうと思い、ロッカールームに荷物を取りに行くと、先に準備を済ませていたライデン達が待っていてくれた。
「相変わらず表情が硬いな。もっとリラックスしろって。」
「初々しくて可愛いじゃない。メディア慣れしてるより、あれぐらいの方がいいわよ。」
「シオン、夕食まだでしょ?」と紙袋に入ったパンを差し出してくれたのは、栗色のウェーブがかかった髪が特徴的なロシアからの留学生である『クリスティナ・べレジン』で『ティナ』の愛称で呼ばれることが多い。
手早くエネルギーを補給し、ジムへと向かった。
「最近、シオンの滑り良くなったわね。真面目で謙虚だったのに味わい染みでてきたっていうか、なんかいい事あった?」
ヨガマットでストレッチをしながらティナが尋ねる。
いい事なら、多分この前のオフの日にあるだろう。
ライデンに視線を送ると、分かっていたように笑みが返ってきた。
「ストレッチ終わったなら、トレーニング始めるぞ。」
ランニングマシンに乗り込み、ジャンプで使う足腰の筋肉を鍛え始める。
「ティナ?」
「…大丈夫、何でもないわ。」
先ほどまでの元気な様子とは打って変わって俯くティナ。
強豪国であるロシアから移籍した彼女の抱える秘密を、後に俺は知ることになる。
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