第116話 黒い靄
質問する前に聞きたかった情報全てを話してくれた。流石隊長だ。一礼してからマンションの入り口へ向かう。
マンションを改めて見上げる。哨戒の際に何度か目にした建物だけど、こんなに不気味な雰囲気の建物だったかな。対敵用に壁や窓ガラスを強化するための工事が予定されていて、住んでいた住民は建て替えのために別の場所で暮らしていたのは、不幸中の幸いだ。
マンションに入ろうとすると、そこに采振木さんが立っていた。手には何か色々と持っている。
「これ持ってけ。人の視覚じゃあ捉えられねえくらい細かい網目の捕獲ネットだ。拳銃と使い方は同じだが、装填されているネットは三つだ。だから三回しか使えない。敵がもし三体以上いたら…まあ、気合でなんとかしろ」
「ふふ」
「何笑ってんだこんな時に」
「すみません、気合でなんとかって采振木さんらしいというか」
「敵が影みてぇってことは銃弾も意味あるかわかんねえからな。なるべく使えそうな武器と思うと、これしかなかったんだよ」
「ありがとうございます。緊張も不安もあったんですけど、今ので少し楽になりました」
采振木さんは他にも輸血パックや回復薬などの救急キットも持たせてくれた。それらは全部、ベルトをつける要領で身につけられるボックス型のポーチに入れて渡してくれた。
「いいか空、もし四人の誰かの死体を見たとしても動揺するな」
そうだ。
忘れてはいけない。
もしかしたら、マンション内の哨戒に当たっていた舞子、英さん、庵野さんや、監視カメラの位置を確認してから戻って来ていない響ノ束さんは、最悪の場合死んでいるかもしれないのだ。同胞の亡骸が五体満足かもわからない。
動揺するなと言われて「はい」と言うことは出来ても、実際にその光景を見てしまったら僕は…正気を保っていられるだろうか。
「四人がどんな状態でも、その場でまずはこのスイッチを押せ。そうすれば俺と慧一のやつに場所がわかるようになってる」
「その場所へ采振木さんと梁瀬さんが救助に向かうということですか?」
「ああそうだ。だから俺たちが救出している間、敵の注意を逸らすのはお前だ。いいな?」
「わかりました」
「くたばんなよ、空」
「はい」
喝を入れるように背中を強めに叩かれ、少しだけ自分を鼓舞することが出来た。
マンションに一歩足を踏み入れる。廊下の電気は薄暗く、不気味で不規則な点滅を繰り返している。床には鏑木さんと銅さんのものと思われる血痕が残っていた。
曲がり角でそっと次の地点の様子を窺う。敵は壁を通り抜けるという話だから、幽霊みたいな生き物なのかもしれない。そうなると音には頼れない。全て目で見て確認しなければならないけど、そのせいで鏑木さんは失明した。視力を奪われないように細心の注意を払わないと。
(ここで怪我をしたり死んだりすれば、僕をマンション内へ行かせた先輩たちを後悔させてしまう。だから絶対に死ねないッ)
「あれぇ、君ぃあの方のお気に入りだよねぇ?。ようこそ」
聞き覚えのない幼い声が聞こえた。
視界が一気に暗くなった、というよりマンション全体が黒に染まっているような感覚を覚える。
これは幻覚か?。それとも本当に光が失われているのか?
◇ ◇ ◇
――一方マンションの外では…
「なんだあれはッ」
マンション全体が黒い靄に呑まれ、一斉に窓ガラスが割れて飛び散った。空から十分程度遅れてここへ到着したことみと百合が、降ってくるガラス片を刀で正確に弾き怪我人とSTをすんでのところで守る。
「くっそ、なんなんだこれ」
同時に入り口付近に立っていた皕率の聞き手を、マンション内から溢れる黒い靄が掴んで離さない。その意思は強いようで、煙のような感覚なのに手を振り払っても全然離れる気配がない。
一人焦燥する皕率に即座に気がついた百合が、試しに黒い靄に刀を入れてみても皕率がそれから解放されることはなかった。
「蟻道さん、中の様子がッ…」
マンションの構造や監視カメラのある一部映像、空がマンション内へと入っていく様子が映っていたPCの画面も黒く染まり何も見えないことを慧一が告げる。
画面は全て真っ暗で、敵が中の様子を見せまいとしているとしか考えようがないほどの不自然な闇が広がっていた。
「ねぇ、君がさっき失明させた人の代理隊長さん?」
不意に懐かしい声がして誠一郎は慧一の持つPC画面からマンションの方へすぐに向き直る。
そこには信じられない光景が広がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます