第1章 悪意なき習性の襲撃

第1話 入隊式

「よかった、間に合いそうだ」



入隊当日。

起床してすぐに洗濯機を回し、三人分の朝食の準備を始める。

目が回るような忙しさは朝特有のものかもしれない。

あまりに出発時間が早いから昨夜のうちに別れの挨拶は済ませておいたのだけれど、家を出る時には母さんも妹の爽香さやかも起きて見送ってくれた。




高所路線の列車に揺られて、かれこれ二十分くらいだろうか。

お互いに一生の別れになってもおかしくないのに、母さんたちが笑顔で送り出してくれたことに涙が出そうだった。

僕の姿を、二度と帰って来られなくなってしまった父さんに重ねなかったはずがないのに。


死んでたまるか。


小さい頃はただ、父さんに憧れてキュアノエイデスへの入隊を夢見ていた。父さんが死んで初めて、現実として入隊には死が伴うことを理解した。

入隊の動機は他にもある。妹の学費と体の弱い母さんの持病の治療費のためだ。例え殉職してお金が下りても、二人が生活していくには全然足りないだろう。

生きて、生き続けて、生前の父さんのようにこの国の人たちを守りながら家族を養わなければ。

努力が実を結んで、数週間をかけて行う試験に何とか合格し入隊が決まった。

家族と離れて暮らさなければならない寮生活に緊張と不安が込み上げる。

優秀な隊員の揃うキュアノエイデスでは夜間に襲来があっても対応可能だろうが、一般家庭に危険生物が押し寄せれば抗える術もなく餌食になってしまうだろう。

家にいて母親と妹を守ることが出来なくなることが、彼の大きな不安の元だった。

(しっかりしろ、僕。弱音を吐いても何にもならないんだから)

嫌な想像を振り払うように窓外へ目を向けた。

後ろへと流れていく景色は早朝のせいか霧が濃く、その向こうに見える森には未知の危険生物たちがひしめきあっているのだろう。

入隊が決まったため、通っていた高校は自然と中退することになった。最後の歴史の授業で習ったカタストロフィーについて思いを馳せる。

今も尚国土を呑み込もうと侵食する森を食い止めているのは、かつてキュアノエイデスによって石版化された植物たちの残骸だ。

今も劣化せずに形を保っている物は遺跡のように所々点在している。窓外から見下ろすと、それらの残骸が霧の合間から散見できた。

恐ろしさを誤魔化すため、試験合格時にもらった隊員バッジを僅かに震える手で握りしめた。



「大丈夫。怯むな、僕」



そう自分に強く言い聞かせて何とか気持ちを立て直す。

現在五時十五分。霧の影響で少し遅れているようだけど、入隊式は六時からだし余裕を持って行けるだろう。



かつては十二もあった地区は、森の干渉があったとはいえ危険生物や異常気象の影響などもあり、今となってはもう四つとなってしまった。

その四つの地区の中心、そこを円状に走るこの路線は、できるだけ人の住む土地を確保するために高所に造られたと母さんから聞いたことがある。

路線の真下は日が当たらないために監獄が建てられ、警察以外は近寄れない構造になっているらしい。

キュアノエイデス本部があるのは第1地区、路線が通っていない地区だ。









果てしない階段をただひたすら駆け下りる。

濃霧で想像以上に列車が遅れ、式まであと十分しかない状況に差し迫っていた。

生憎高速エレベーターが故障していたから、地上に行くのに最低でも五分はかかる。

本部から一番近い第2地区の駅から本部までの距離は頑張っても二十分はかかってしまう。

(もう間に合わない…っ)

第1地区は最も危険生物たちとの接触頻度が多いため、一般人の住居はなく広大な土地に訓練場やら入隊志望者が試験を受ける時にだけ使われているという支部やらがある。

人の出入りが少ない地区に路線は必要ないとされていて、建築材料も限られているわけだし妥当だと考えていたけれど、今の僕は物凄く第1地区にも駅があってほしかったと嘆きたい。

間に合わないことは確定していたが、それでもできるだけ早い到着を目指し駅から勢いよく飛び出る。すると、早々に誰かへとぶつかってしまった。



「すみません、お怪我ないですか」


「大丈夫大丈夫って…あれ、君もしかして新隊員?」



かつて父親も着ていた隊服の上に派手なシャツ、男性にしては長い髪が肩につきそうだ。髪をかけている耳にはピアスが散見される。

軽薄そうな雰囲気を漂わせているその人物にそう問われ、内心驚く。

この人隊員なのか。



「バッジつけてるしそうだろ」



憮然とした表情でピアスの人の横に立っていた人物が確信めいた発言をする。

細身のピアスの人とは対照的に、彼は恰幅のいい体つきに短髪だった。

彼も隊服を着ていて、彼らが自分の先輩に当たる人たちであることを理解する。



「入隊式から遅れそうなギリギリの時間せめるとか度胸あるぅ〜。好きだよそういう子」


「遅れてしまってすみません」



早めに家を出たのに濃霧のせいで遅れるなんてついていない。けど途中に何があったとしても、遅れてしまうことには変わりない。とにかく今は謝ろう。

頭を下げれば、短髪の先輩は不思議そうに小首を傾げた。



「遅れるって、式にか?」


「そうです。それに先輩方だって式に出席するはずですよね?」



彼は腕に着けた時計を確認し、「大丈夫だ。あと四分ある」とどこか余裕そうな表情を浮かべた。



「あと四分しか、です」



抗議すると、何故か両側から腕で脇を掬われた。



「な、何ですかいきなり」


「三分で行けたら今朝ランニングした時と同じだけど〜」


「新記録叩き出すぞ」



どちらからともなく掛け声が上がると、猛烈なスピードで前進。

足が追いつかなくて、二人の腕にぶら下がるかたちになる。



「おい、目瞑ってるぞ」


「勿体ないって、見てみ?」



左に並ぶ短髪の先輩にこずかれ、右に並ぶピアスの先輩に言われるまま恐る恐る目を開ける。すると、地面ではない何かの上───けどれっきとした地面───を走っているようだった。

この速さには何か仕掛けがあるのかと二人を交互に見ても、やっぱり走っているだけだ。

速すぎて足が残像で何本にも見える錯覚に陥る。



「何でこんなに速く走れるんですか。それと、ここどこですか」



風圧に負けないよう声を張って問う。

景色の流れる速さも尋常じゃないので、最早ここがどこだかもわからない。



「いい質問だな。速い理由はいずれわかる。あと、ここは本部の敷地内だ」


「え、もうですか?」



無表情もいいところだった短髪の先輩は楽しげな笑みを控えめに見せている。

ピアスの先輩が僕を抱えていない方の手で先を指さした。



「あそこが式場だよ。君の膝だと着地に耐えられないから、曲げておいてね〜」



忠告通り膝を曲げる。すると、彼らはなんてことのない様子ですんなりと着地し、ぶら下がったままだった僕も足を伸ばした。



「二分切ったぞ、新記録だ」


「やった」



ハイタッチを交わす二人を横目に会場内の様子を窺う。もう新隊員はみんな揃っているようで、空席がひとつだけ残っていた。みんな静かに着席していて、何とも入りずらい。



「間に合ってよかったね、遊木ゆうきそら君?」



不意に名前を呼ばれ、振り返る。



「何で僕の名前を…?」


「先輩様だからね、何でも知ってるわけよ」


「またな」



そう言って背中を押され、つんのめるようにして式場内へと足を踏み入れる。

そのまま一つ空いた自分の分と思われる空席に向かいながら、二人の名前を聞いていないことに気がついた。すぐに振り返ったけれど、もう彼らの姿はない。

お礼言いそびれたな。





対面する形で設けられた席。

どう足掻いても先輩たちが着席している席から新隊員の席は目立つわけで、コソコソしようが何だろうがギリギリでやって来たことは火を見るよりも明らか…。

着席後も決まりが悪く目を泳がせていると、一番後ろの席にさっきの先輩たちが座るのが見えた。

あの速さのこと、いずれわかるって言ってたけど、どういうことなんだろう。



「ねぇ」



絶賛混乱中の僕に、隣に座っていた隊員が声をかけてきた。確かこの子…



「君、筆記試験の時」


「うん。同じブースだったよね」



試験は筆記と実技に分かれていて、初日に行われた筆記試験で彼女とは同じブースだった。

数日かけて採点される実技試験では見かけなかったけど、この子も入隊出来たのか。



「よろしくね、私は姫山ひめやま舞子まいこ


「僕は遊木空。こちらこそよろしく姫山さん」


「舞子でいいよ」



軽い自己紹介を済ませた頃には居心地の悪さもなくなっていた。もしかしてそれを気にして話しかけてくれたのかな。

彼女は落ち着いていてしっかり者な印象をうけた。

髪は先のピアスの先輩より少し短めで、落ち着いた栗色。けれど瞳には不安が宿っているようにも見える。

緊張しているのは僕だけじゃないのかも。



空の癖、それは人を注意深く観察することであった。

幼い頃から父親がキュアノエイデスの寮に住んでいたため、兄として体の弱い母親と幼い妹のことは任されてきた。

母親が無理をしていないかを気にして生きてきたことで、微細な変化を観察することは当たり前となっていた。それに泣いて訴えることが多かった妹のおかげか、人の些細な感情の変化にも敏感になっていた。

無意識に習慣づいた自身の癖を空自身も自覚していた。



変わった手段だったとはいえ、先輩たちのおかげで何とか式に間に合った。

後でお礼を言って、それから名前も聞かなくちゃな。



「それでは時間となりましたので式を始めます。司会進行役は二年の響ノきょうのづかが務めさせて頂きます」



こういった場に慣れているか、あるいはこのような場を回すのが得意な人のようだ。緊張する素振りなく淡々と中空に浮かぶ音声拡張型円盤に向かって話している。

白衣を着ているから、恐らくサイエンティスト──STの人なのだろう。



「まず始めに、調査隊及びSTの各リーダーからのお言葉を頂戴したいと思います」



司会席の近く、既隊員の最前列に座っていた二人が新隊員の座る座席前に立ち並んだ。

先に円盤が向かったのは、白衣を肩に羽織るようにして腕を組んでいた女性。



「おはよう、新隊員の皆さん。STのリーダー八十八やそはち夏鈴かりんです」



細縁眼鏡のせいか冷たく厳しそうな印象を受けるが、話し方や雰囲気にはどこか包容力があった。それに笑顔の明るい人だ。



「まずは入隊おめでとう。これからは人々の命を守る覚悟と責任を持って一緒に任務を遂行しましょう。それが出来ないと感じるなら、悪いことは言わないわ。今すぐ入隊を辞退したほうがいい」



厳しい言葉にその通りだと気を引き締め直し沈黙していると、八十八さんは息をついて苦笑した。



「堅苦しくなっちゃったけど、入隊後はみんな家族みたいに過ごすから、先輩後輩関係なく仲良くしましょ」



寮生活の中で何も分からない僕らは先輩たちのお世話になることも多いだろう。早く打ち解けられるといいんだけど。

次に調査隊のリーダーの方へ円盤が移動した。

キュアノエイデス全体の隊長は、確か代々調査隊のリーダーが担っているはずだ。つまりこの人が僕らの隊長に当たる人。



「隊長の鏑木かぶらぎゆうだ」



彼は僕らに向けて代々隊長が遺しているという書を読み上げた。

試験合格時に先に手渡されていた青いひし形のバッジは、カタストロフィーの際人類を救った謎の青い光の輝きをイメージして作られたものだという説明も受けた。

胸元につけたバッジを見下ろす。これをつけているということにどれ程の責任があるのかを改めて実感する。



「…最後に、どんな状況下でも冷静であれ。そして無茶をするな。仲間と互いに頼り合い、共にこれから起こりうる困難を乗り越えよう。以上だ」



表情の少ない人だけれど、言葉の端々から思いやりのある人であることが伝わってきた。

隊長なだけあってその厳格さには圧倒されるけど、威圧感のようなものは感じられない。

音声拡張型円盤がすいーっと響ノ束さんの元へ飛んでいく。



「では次に、新隊員の皆様に一言ずつ頂きましょう」



空を含めた新隊員は、司会進行役の彼に促されるままその場で起立する。

(うわぁ、こういうの一番苦手なのに…)

目の前には十七名の先輩隊員が座っていて、新隊員に注目している。

緊張から変な汗が止まらない。どうして名前を言うだけなのにこんなにも緊張するのか自分でも謎でしかない。

ああ、早く終われこの時間。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る