Rewrite the future

光織 希楓

1話目

 ――夢を抱いたことのある、すべての人へ。


 ***

 いつの間にか、卒業の時期が近づいていたらしい。

 人がまばらのSHRで担任が言った「残り半年です」という言葉を半ば他人事のように聞き流して、私は頬杖をつきながら窓の外を見ていた。

 つい先日まで青々と茂っていた校庭の樹も、茶色に色づき始めている。空は高くなり、半袖では肌寒くなって、長袖を着る生徒も増えてきたようだ。

 淡々とした日々を過ごしていると、そういった些細な変化にさえ気づけなくなるらしい。己の人生があまりにも平凡で、つまらないことにまたため息が出る。


 ここにいる意味は何だろう。とよく考える。

 三年間所属した部活がある。――周りから「先輩」と慕われるのは心地よかったし、自分なりに沢山のことを教えてきたつもりだ。

 毎日欠かさず登校した記録がある。――小学校の頃から無遅刻無欠席で、成績はいつもよかった。

 けれど考えてしまうのだ。きっと、私がいなくても世界は回っていけるのだ、と。

 

 考えるだけ無駄なのだろう。

 どれだけ周りに愛されていた有名人でも、いつかは終わりが訪れる。人間は脆くて、病気にも、事故にも、寿命にも勝てやしないのだから。わかっている。

 けれど、けれど。それらの人には、大勢の記憶に残るほどの価値があった。何かを生み出し、人の心を動かしたという実績があった。

 なら私は?

 

 ――私はまだ、何も成せていない。


 白いヘッドホンで耳を塞ぎ、履きたくもないスカートをなびかせて家路を急ぐ。音楽はいい。聴いている間だけは現実をシャットアウトして「私」を忘れられる。 

 お気に入りのボカロPが地声で曲を発表するようになった。

 知る人ぞ知る存在であった彼も、あれよあれよという間に認知されて、今では再生数二万越えの人気投稿者になっている。

 何もしていない癖に古参ファンを気取り、彼に有名になってほしくないなどと思っている私は愚かで。そんな自分が、世界一嫌いだった。

 「愛してみたい」

 と、彼は歌った。全てが消え去ってしまうような気がして眠れなくても、何も成せないまま過ぎ去っても。しょうがない日々を、そこに生きる自分自身のことを愛してみたいのだ、と。

 私は自分を愛せるだろうか。夢を諦め、過去にも未来にも怯えて、詰まらない人生をつまらないように生きている私を、愛せるだろうか。

 いつからこうなってしまったのだろう、と思う。

 かつての自分は、もっと輝いていたはずなのに。

 もっと、明日に希望を抱いていたはずなのに。

 ――一体いつから。


 ***


 18になったら、「オトナ」になれると思っていた。

 それは、当時読んでいた人気小説の受け売りで。

 作品に登場するキャラクターたちはみな輝いていて、眩いほどの「青春」を謳歌していた。

 

 小学生だった私には、彼らがとても「オトナ」に見えた。

 片手にはスマホを持ち、仲間と共に街へ出る。高校生。18歳。青春の夏。

 憧れだった。それと同時に、私も彼らの年になったら、こんな風に輝けるのだろうとどこかで思っていた。信じていた。

 実際そんなことあるはずなかったのだけれど。


 訪れた18歳の日常は平凡だ。

 毎日同じ時間に身体を起こし、朝食を食べ、身支度を整えて学校に行く。普通に授業を受けて、普通に友達と笑って。普通に日々を過ごして、また普通に眠りにつく。

 幸せだ、と思う。世界のどこかにいる、明日生きることさえ困難な子供たちに比べたら。

 怖い、と思う。このまま単調に毎日が過ぎ去っていくだけなら。私がここに生きている証を、何も残せない気がして。寂しくて。

 

 ――「普通」が怖い。

 

 そう、怖いのだ。何も成せないまま、それでいいと受け入れて日々を過ごしている大人が怖い。みなが同じであるように教育する社会が怖い。本当は「普通」でいたくないのに、仲間外れにされたくなくて、周りに合わせようと必死になっている自分が怖い。

 本当は、本当は。もっと自由に生きていいはずなのに。

 

 そう思っているのに。私には、行動する勇気がなかった。下手くそな文章で書き散らして、満足して、それで終わり。努力しなければ、何かの話の主人公になることも明るい未来を生きることもできない。

 自業自得なのだ。「今」がつまらないのも、叫びだしてやりたいのにできないのも、どうしようもなく、死にたくなることも。

 全部。

 ――私は、夢を諦めたのだから。


 ***


 少し前の私は、夢を見て生きていた。


「僕、作家になりたいんです。……だから、昔からよく物語を書いていて。ちょっとは、書ける方だと思ってます。よろしくお願いします」

 高校二年生の春。私は、一年を通して研究していく課題として「創作」のカテゴリを選んだ。週に一度、同じテーマで小説を書き、仲間同士で見せあって議論する。確かそういう内容だったように思う。


 この頃の私は、一人称を「僕」にしていた。

 理由なんかまったく覚えていない。ひょんなことから言い始めて、それが染みついて、ずっと引きずっていた。性別を否定して、家族に、社会に抗って、非凡な自分が格好いいと思っていた。

 子どもだったのだ。

 周りの目なんてどうでも良かった。ただ当たり前に、夢を叶えられるのだと信じて突き進んでいた。自分には文章の才能があって、このまま書いていれば、誰かがきっと見てくれて。面白いって、感動したって言ってくれて。そうやって「僕」が認められるのだと思っていた。

 ――昔から、私の文章は誰かが褒めてくれていたから。

 「お前の文章は読みにくい。頭に入ってこない。」

 ――だから、真っ向から否定されるなんてこれっぽっちも思ってなくて。

 「もうちょっと設定を簡潔化できないか?難しくて分からない」

 ――私には、文章の才能があって。

 「××ちゃんの話、漢字が沢山で疲れちゃうんだよね」

 この才能を武器にして、私は戦っていけるはずで。

 「コンクールの結果が出た。―――、おめでとう」

 ――ああ。

 周りより書けると思っていたのは幻想だったのだ。と、私はそこでようやく気付いたのだった。


 途端、耐え難い羞恥心が私の身体を駆け巡った。

 何が「文才がある」だ。何が「作家志望」だ。褒めてくれた大人たちはみな私の年齢を見て言っただけじゃないか。「その年にしては凄い」だけで、私個人の才能を認めていた人なんて誰もいなかったのだ。ありもしない宝石を見せびらかして、驕っていた。天狗になっていた。私の書く文は、結局ただの独りよがりでしかなかったのだ。

 恥ずかしい。恥ずかしい、恥ずかしい。

 「かきたく、ない」

 ――そう、言葉にしてしまえば駄目だった。

 口から零れ出た真っ黒なそれは目に入り、私の視界を曇らせていく。あんなに好きだった「書くこと」が、「創ること」が、酷く下らないものに見えて仕方がなくなった。

 才能なんて幻想だ。

 この世には、自分より秀でている人間が山ほどいて。

 夢を叶えられるのは、その中でもほんの一握りだけで。

 大した努力もしてこなかった自分には、手を伸ばす資格もないのだと。

 凡人は凡人らしく。退屈な日常を享受して、趣味程度に文でも絵でもかけばいい話じゃないか。

 それを夢にする理由が、一体どこにあるというのだろう。



 かくして。私は夢を、


 ――「僕」を、捨てた。


 ***

 

「…………、……で、……いで、」

 忘れないで。


 ――誰かの声が聞こえた気がして目が覚める。

 耳の中に水滴が入った不快感があって拭えば、どうやらそれは涙らしいことに気付いた。

 泣いていたのか。

 寝ている間に泣いたといえば、原因はおそらく夢だろう。そう思い、見ていたはずの夢を思い出そうとするが、しかし、上手くできない。

(いいや、きっと何もない。忘れるくらいなんだから大したものじゃないはずだし)

 そう決めつけて、布団から出る。階段を下りれば、キッチンのほうから香ばしい炒め物のにおいが漂ってきた。

 「おはよう、お母さん」

 「ええ、おはよう。×××」

 こうして今日も平凡な一日が始まっていく。身支度を整えていく中で、昨夜見ていた夢のことも、今朝泣いていたことに対する疑問も綺麗さっぱり忘れた私は、「普通」に学校に向かった。


 高校に──向かったはず、なのだ。


 ヘッドホンを着けたまま、下駄箱で靴を履き替え、階段を上がり。スマホを弄りながら、三年二組の扉を開けた。確かに覚えている。

 だが、目の前にあるこの光景は何だろう。明らかに低い机と、椅子の上に置かれた防災頭巾。黒板の上に掲示された色とりどりの紙には「信じる」の文字があり、子供が描いたような拙い似顔絵が貼られている。教室の隅にある水槽。悠々と泳ぐ二匹の金魚。

 これではまるで。

 まるで。

 「小、学……校…………?」

 「おねーさん、だれ?」

 

 誰もいないと思っていた教室に、幼い子どもの声が聞こえて振り返る。少年だった。いや……少女だ。見た目では判別がつかないが、私には確信に似た何かがあった。

 灰色のパーカーに身を包み、怯えた様子でこちらをじっと見ているその顔は。

 マスクで隠している私の顔と、瓜二つで。


 もう認める他なかった。

 ここは私が通っていた小学校で、ここにいる少女は自分自身なのだと。そんなことあるはずないと反論しようにも、事実見えていて、出会っているのだから覆しようもない。


 あの子は――私だ。

 まだ夢を見て、美しく生きていた頃の。明るい未来を信じていた頃の、純粋な私だ。

「おねーさん……誰?こわいひと?先生とか友達とか、どこいっちゃったのか知らない?おかしいな…僕、いつも通りの時間に家を出たはずなんだけど」

「ああいや………………ううん、怖い人……じゃ、ないよ。でも、おねーさんもびっくりしてるんだ。普通に学校に来たら、急に……その、小学校?になってて」

「ほんと!?なら、僕と一緒だ!丁度一人でさみしかったんだよね…よくわからないけど、おねーさんがいてよかったよ」

 そういう過去の私は、警戒心が解けたのかこちらに近づいてきてぐいぐいと袖を引っ張る。どうやら来いということらしい。促されるままに座れば、無邪気な笑顔を見せられた。眩しい。

「おねーさん、お名前は?自己紹介しようよ。

 僕はねぇ、ゆめは。すずか、ゆめは。小学三年生。好きなものは読書!よろしくね」

 差し出された手はまだ小さくて、自分も大きくなったんだなぁなんて思う。

 ――懐かしい。

 この頃は本当に読書が好きで、暇さえあれば図書室に通っていた。色々な作品に触れ、物語の主人公になりきって「感情」を味わうことが何より楽しくて。自分もこんな物語を書けたら――、と、本気で考えていたっけ。今と違って、本当に毎日が楽しくて仕方がなかった。

 思い出して、またみじめな気持ちになる。

 「私、私はす───、」

 考え事をしていたら、無意識に唇が本名を紡ごうとしてしまって、慌てて口を押えた。危ない、同じ名前なんて言ったら今度こそ本当に変な人だと思われてしまう。

 あなたと同じ人間だなんて言われて信じるという方がおかしな話だ。なにか、なにか考えなければ。

  「澄川。澄川すみかわ伊吹いぶき。覚えづらいようならおねーさんのままで構わないけど……まあ、好きなように呼んでよ」

 言ってしまった「す」の文字を苗字にして、適当な名前を作る。女とも男とも言えない、中性的な名前が私は好きだった。

 生まれた段階で人生を決められたような気がしなくて。

 自由に、生きられる気がして。

「いぶき、ちゃん?」

 ……ちゃんなんて年じゃないなあ。思わず苦笑すれば伝わったようで、「や、やっぱりおねーさんの方が楽かも」と訂正してくれる。かつての一人称の関係で、「ちゃん」と呼ばれるのに若干抵抗があったため、直してくれたことに正直ほっとした。

「……」

「…………」

 暫くの沈黙が訪れる。学校に来たら教師や友達がいなかった小学生と、何故か以前通っていた小学校の教室にいた高校生。話が弾まなくて当然だろう。このまま戻るまで黙っているべきか、と思いながらふと隣を見やれば、静寂が辛いようでんーと、だのえっと、だの何かを喋ろうとする過去の私。

「……どうしたの」

 流石に見かねて声をかけてやると、過去の私はあからさまに肩をびくつかせた。そんなに驚かなくてもいいのに。少しだけ申し訳なくなる。

「え、えーと、さ。おねーさん」

「うん」

「おねーさんはさ。将来の夢とかって、ある?」


 ――将来の、夢。


 捨てたよ、そんなもの。なんて言えるわけがなかった。

 子どもは無意識に人の心をえぐるのが上手いなあ。と、我ながら謎の関心をしてしまう。悪気がないことをわかっているから反論のしようがないし、したところで私の罪悪感が増すだけなのだ。ならいっそ、ここは黙っておくべきだろう。そうすれば、きっと彼女はもう話しかけてこないはず。このまま時間が過ぎ去れば、きっと、元に戻れるはずで。

「……君は?」

 それなのに。

 何を言われるかわかったうえで問うてしまったのは、なぜだろう。


「えっ……僕が今おねーさんに聞いたのに」

「私は…ほら、君が分からないようなこと言っちゃうかもしれないしさ。その前に、君の話を聞きたいなと思って。あるんでしょ?夢。」

「あるよ。……あるけど、この間の授業でプリントに書いたら、みんな僕の夢をわからないっていうの。たしかにね、お花屋さんとか、サッカー選手とかみたいにキラキラしたものじゃないんだ、けど。ちょっと悲しくて」

 キラキラしたものじゃない。

 少女は、過去の私は。強い希望を持っていながら、自分の夢に自信がないらしかった。私にはないものを持っている癖して、まだ壁を感じていない癖して、自分の夢に、誇りがないと。

 なんだか、無性に腹が立った。

「夢を見ている人は、みんなキラキラしてるって私は思うけどな。

 知ってる?人間、努力できなくなったら終わりなんだ。生きてることさえどうでもよくなって、詰まらない毎日を過ごすしかなくなる。だけど、夢追い人は違うんだよ。これと決めた目標にたどり着くまでに、色んな努力をして。苦しくても、辛くても這い上がって。また前を見るんだ。……私にはできなかったけど」

 私は諦めてしまったけど。今なら。この時の私なら、未来を変えることだっていくらでも出来るはずで。私は必死に訴える。ちゃんと目を見て、心に、脳に届くように と。

 どうしてこんなに悔しいのかわからなかった。なんで涙が出そうなのかわからなかった。

 私は、私は。

「おねーさんは、夢を諦めちゃったの?」


 ――きっと、夢を諦めたことを後悔している。


「そう、なるね。……夢を貫いていくことが、怖くなっちゃったんだ」

 何度だって考えた。

 もしあの時、周りの言葉に負けない強い心を持っていたら。誰になんと言われようと支えてくれるような、心強いファンが一人でもいてくれたら。

 未来は変わっていたかもしれない。

 ここにいる「私」は、いなかったかもしれない。

「怖い?何が?」

「言葉を、……紡ぐことが」

「っ、それって、」

「うん。……私も、小説家になりたかったんだ」

 それでも、今ここで起きている「奇跡」の力を借りられるのなら。

 私にできることが、まだあるじゃないか。


『僕ね、大きくなったら小せつ家になりたいんだ!自分の書いた話で誰かが笑顔になるの。それって、すごく素敵なことでしょう?』


 当時の担任に語った、小さなころの言葉を思い出す。

 サッカー選手でも、花屋でも、ユーチューバーでも、警察官でもない。注目されるようなものじゃない。現実と違う名を名乗って、顔も出さずに、ひっそりと生きて。ただ、その本を手にした人だけに知られる、小さな――本当に小さな「人生」の捧げ主。

 小説家。

 それが私の夢だった。唯一で、目標だった。

「ねぇ君……ううん、過去の私。今から話すことをよく聞いて」

 今も覚えている。初めて物語を書いたあの日のこと。

「おねーさんは、未来の僕、なの?」

 書きたいものはあるのに、上手く言葉に出来なくて。悩んで、何度も消しては書き直して。母に手伝ってもらってまで完成させた拙い処女作。

「うん。そうみたいなんだ。……多分さ、この教室は――神様がくれたチャンスなんだよ。

 私には後悔があって。何度も、過去に戻れたらって考えてた。

 今の『私』と過去の『僕』――出会っちゃったら、そりゃ、変えたいって思うじゃん」

 あの頃の輝きを失わずに未来を拓く方法が存在しているなら。変えたいに決まっている。夢をつかみ取る道に縋りつきたいに決まっている。

「未来を、変えるの?」

「うん」

 その代償が想像できないわけじゃない。けれど、

「だから――忘れないで、覚えていて」

 もう、後悔はしたくないのだ。



 それから私は、自分に起きたことを事細かに話して聞かせた。

 夢を追うことを諦めた理由。傷ついた言葉、努力できなかった事実。彼女は完全には信じられないのか、時々驚いたような声をあげながら、読み聞かせに夢中になる子どものように、真剣な顔をして耳を傾けてくれる。

「君には私のようになってほしくない。だからお願いだ。ちゃんと、『夢』に向き合ってあげて。誰に何と言われたって、その唯一を、大切だって守ってあげて。

 小説家だけじゃない。大人になってまで夢を追い続けるってことは、本当に難しいんだ。色んな目がある。夢なんて早く捨てろって、催促する声もある。でもね、だからこそ――夢を叶えられる人って格好いいんだよ」

 心からの言葉だった。嘘偽りのない、本心だった。

「夢を諦めたくなかった」――私の中にあった大きな後悔が、今、口にしたことで確かな願いになっていく。

 過去の私の中には、確固たる意志が生まれたことだろう。

 今後何があっても、書くことを、創ることを諦めないと。

 そしていつの日にか、作家になるという夢を叶えると。

「うん。……約束、するよ。おねーさん」



 瞬間。


 ――未来が、書き変わった。


 ***

 

「おねーさん…?」

 

「あっちゃー……やっぱりか。想像はしてたけど、実際経験するとなると不思議なもんだね」

 事態はよい方向へ傾いた。そういう確信はある。

「なんで……ねぇ、大丈夫なの!?どこ行くの!?!?」

 私の説得は彼女の心に残るだろうし、それをきっかけに明日からの行動も少しずつ変わってゆくはずだ。夢を大切にして。迷って、転んで、それでもちゃんと前を向いて歩いてくれるはずだ。

「うーん……どこだろうね。楽しいところだといいなぁ」

 だから今。私の身体が消え始めているのも、喜んでいいことのはずなのだ。

 分かっていた。過去が変われば、「夢を諦めてしまった私」は存在出来なくなるってことくらい。同じ場所に同じ人間が二人もいるこの空間こそが異質で、元の世界に戻るにはどちらかが消えるしか最初から方法はなかった。

 これでいい。これでいいんだ。悲しむ必要は全くない。あとは潔く消えるだけ。私は何も考えずに、「別の私」に全て委ねてしまえばいい。

 (……それなのに)

 それなのに。死ぬわけじゃないのに。どうしてこんなにも、体の震えが止まらないのだろう。恐れを、感じてしまっているのだろう。

「自信がなくても、惨めでも。生きて、生きて……夢に向かって羽ばたけよ、夢羽ゆめは!!」

 身体の震えを隠して、無理に笑って。不安そうに見つめる過去の私の頭を、優しくなでる。大丈夫、怖くない。自分の力で、自分が見たい未来をつかみ取るだけだ。

 (だからどうか、)

 ――どうか、与えられた名に恥じぬような生涯を。


 誰も知らない、奇跡があったという。



 ***

 いつの間にか、卒業の時期が近づいていたらしい。

 人がまばらのSHRで担任が言った「残り半年です」という言葉を半ば他人事のように聞き流して、僕は今日も「アイディア帳」と書かれたぼろぼろのノートを広げる。

 いつからかずっと、何かが書きたくて仕方なくなった。

 思い描いた情景が消えてしまうまえに、一つ一つ丁寧につかんでは文字に起こしていく。

 キャラクターたちが笑って。景色が華やいで。

 ほら、そこには。


 ――確かに「作家」がいた。














 





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