知らない街で本屋を物色するへの応援コメント
涼格さん、念のためにお伺いしますが、この豆腐本屋は実在している(ノンフィクション)のですか?
作者からの返信
これは、一応モデルはあります。豆腐の外観は祖父の家の近くにあった小さな本屋や、アパートか何かの建物。入り口は確か京都市で一度入ったことのある店が原型。中は今まで行ったことのある本屋や百貨店などがいくつか混ざっています。
この作品は、実体験と、夢で見た内容をつぎはぎして作っています。店員にいきなり荷物を渡されたりするのは完全な創作ですけど。
ところどころ実体験を混ぜることでリアリティが出るんじゃないかな、と思って作った作品ですね。
うちのパン屋が襲撃されるへの応援コメント
不思議なお話で、とても面白かったです。
春樹ディスりも(笑)
作者からの返信
タイトルからして明らかに春樹ディスり作品ですね(笑)
共産党員でもワーグナーを聴いているわけでもないのに襲撃され、無意味にぶん殴られるというひどい話ですが、襲撃とはそういうもんだと思います。
行きつけの店の、ある常連客への応援コメント
面白かったです。
なるほど、免除してほしいのか?と、まともに聞き返されると、躊躇してしまう気持ち、わかります。
ただ、免除されている男が、最初に、無自覚にタダにしてくれ、と言ったのが謎ですけど(^^;
作者からの返信
おそらく、免除されている男の方は、軽い冗談のつもりで「タダにして」と言ってみたら「いいよ」と言われて、引っ込みがつかなくなったとか、そういうことなんじゃないかと思います。
男が自分がタダで飲み食いしていることをどう考えているかはわかりませんけどね。そこにはあえて触れていません。
一方、主人公は「もし自分もタダにしてと言ったらタダにしてくれるのか」と仮定の話をしたわけです。その微妙な差だと思います。
六也試作発電所への応援コメント
具体的にはもう忘れてしまいましたが、同じようなデジャブ的記憶が私にもいくつかあったはずです。
もしかして、複数の記憶といつか観た夢の混同作品が、こういう曖昧な記憶になっているのかもしれません。
でも、いつか、ちゃんと思い出したり、発見したりできるのでは…という一縷の望みを捨てきれないものですよね。
作者からの返信
この発電所は、私が夢で何度か訪れたことのある施設がモデルになっています。たぶん実在していませんし、実在する施設が基になっているわけでもないようです。似た場所に行った覚えはありません。なのに妙にディティールが細かいんですよね。
この施設に関しては実在しないと私ははっきり認識していますが、別口で、行ったことがあるような気がする場所はいくつかあります。ただ、そっちは単なる遊園地とかで面白味がないので、何が試作なのか、なんで湖の上にあるのかよくわからない施設の方を使いました。
笑う門にはへの応援コメント
物語全体は割と単純な構造だと思うのですが、ラストの大人っぽさというか、大胆さと怖さに驚きました。私ですと、少しでも文章を長くするために、二人目の男性のすれ違いと母親との対話では、もう少し文量を使ってしまうでしょう。「いったい、何がおかしいんだよ。納得がいくように、早く説明してみせろよ」という感じに。ただ、これだと全体がしつこくなりますし、短絡的なのでしょう。ひとりの人間の寂しさが、他の人間をどんどんと巻き込んでいく怖さを描きたかったのでしょうか。ラストの方でどんどんと笑いが込み上げてくる主人公の態度に著者の自信が表れているようでした。
カクヨムで読んだ作品の中では、真っ先に感想を書きたいと思ったので書きました。今後ともがんばってください。ではまたー
作者からの返信
近況ノートには「中学時代」と書きましたが、確認したらこの作品の初出は高校時代の図書新聞でした。
作品が短いのは紙面の都合もあったわけです。あんまり長いのはざら半紙1枚の紙面に載せられませんから。
今となっては字数を気にすることはないので、書き直せるなら書き直そうと試みたことは何度かありましたが、良くも悪くも直しようがないですね。直すと別の作品になってしまいます。
なので、誤字脱字などの軽微な修正に留めています。初出だとタイトルが「笑う角には」になっていました。誰か間違いに気付いて教えて欲しかった。
今の私がこの作品を評価すると、ラストはいいんですけど、そこへ持っていくためのアプローチが性急すぎると思います。
基本的には単なる主人公の自意識過剰に見えるようにしつつ、本当に主人公が笑われているとも取れるような書き方をしながら、徐々に主人公の被害妄想を高めていって、ラストに持っていきたいところです。全く別の作品になってしまいますが。
母親とのシーンなどは、たしかに展開が荒いんですよね。もうちょっとなんとかならんのかと思う。 ただ、会話や描写を足したから良くなるわけでもないですし、ここだけ字数を増やすとバランスが悪くなります。どこかをいじるとバランス取りのために全体の改修が必要になってしまう。
ラストのオチはうまいんですよね。主人公が笑ったのは、自分以外にも不幸なやつがいることへの安堵からなんでしょうけど、このオチは、主人公が笑われた理由が、主人公が笑った理由と同じだった、ということを保証しません。
みんなも主人公も同じように他人を見て笑うけど、その笑いの内容は全然違うかもしれないわけです。
事件は全然解決してないんだけど、解決したかのように見せかけて終わることで不気味さが残る、というのもあるわけです。もちろん、当時の私はそんなことを考えて書いてないですが。
丹後ちりめんの足袋入れへの応援コメント
本当にいいお話でした。
うちのお袋が亡くなった時を思い出しました。
お袋との最後の会話は口喧嘩でした。
お袋の遺影は、亡くなる十年以上前の写真でしたが、故人の姿とギリギリセーフと判断して父と一緒に選びました。
白いカーネーション、丹後ちりめんの足袋入れ…と遺された物で感情が揺さぶられる雰囲気がよく出ていた作でした。
作者からの返信
この作品は実体験も含まれているわけですが、私小説にはしたくなかったので、その塩梅が難しかったです。
普段は、奇妙な話にどうやってリアリティを持たせるかが課題なのに、この作品は元がリアルなだけに、逆にどうやってリアルさを削ぐかという、妙な調整で苦労することになりました。
人がいつ死ぬかはわからないことが多いので、喧嘩したのが最後だった、ということは起こりがちなんですよね。
それを気にしてもしょうがないんですけど、どうてもそれが心の中で引っかかる、ということはありますね。
遺影選びは、遺影として使えない、あるいは使いにくい写真というのが結構あるんで、写真はいっぱいあるのに、思ったよりいい素材がない、ということがあったりするんですよね。
使おうと思っていた写真が、写真屋に遺影としては使いづらいと言われたりすることも。