KAC20231:馴染みの本屋

広畝 K

本屋の店員

昼過ぎになると、私は散歩に出るようにしている。

家に籠もってばかりいても健康的ではないからと、医者に勧められた為だ。


私は、社会的な権力と権威を有した人間の言葉にとても弱い。


よって渋々ながらも散歩の算段と道順を定め、適宜に修正を加えながらも習慣とするべく歩いている。

無論これは健康に気を遣ってのことでなく、医者の機嫌を取るためだ。


今日もまた、郊外にある古びた通りを目指してぶらぶら歩く。

家の近くに位しているその通りは、閉鎖した店舗のシャッターが並ぶ陰気な道だ。

人気ひとけも無くて静かだし、寂れた雰囲気がどことなく落ち着いて安心できる。余人には感じぬ親近の情を少ないながらも抱かせる。


そうして帰路につこうとすると、不意にその一角が目に入った。

他と違って赤錆びた鈍色の鎧戸が下りておらず、どうやら営業しているらしい。


簡易の棚が見られる辺り、恐らく本屋なのだろう。

それも古本屋だ。

時期を逸した古い文庫が、色褪せたそれらが、棚に雑然と置かれている。

入り口の硝子戸こそ開いているものの、その奥は暗くて見通せない。


――まあ、寄ってみるか。


気紛れというのは怖いもので、如何にも怪しいその店に私は入ったわけだ。

理由なんて特に無い。

物珍しさに釣られて、足が向いただけだ。

娯楽によくある展開など待っている筈も無し。

ただただぼんやりとした気分のまま、適当に見て回ってさっさと帰る。

そうした気分で寄ったのだ。


「いらっしゃいませ……」


入った瞬間、背筋に震えが僅かに走った。

唐突に呼び掛けられたから、身構えができておらず驚いたのである。

瞬時に声の方へと視線を向ければ、そこには小さな人影があった。


恐らくは店員なのだろう。

背もたれも無い椅子に座り、背を丸め、本を読んでいる。

黒髪を無造作に長く伸ばした、大人しそうで陰気な女性だ。

暗がりに棲息している辺りから同類のように思われるが、そのようなことは決してない。


偏見ではあるが、どのような種類の女性にも親しい友人の一人や二人いるものだ。

私のようにぼっちを極めている人間は大抵、男の性だと相場が決まっている。


やんわりと視線を店員から逸らして、店内を軽くぐるりと回る。

寂れた通りの古本屋だからと見た結果、取り扱いは想定通りだ。

流行の漫画やラノベは並んでおらず、かつての時代に覇権を争ったであろう文庫の類が揃っている。


完全に、趣味で開いた店であろう。

或いは流行りの節税店舗か。いや、あれは飲食店の系統だったか。

まあどちらにせよ、私にとっては然したる関係も問題も無い話だ。


特に何も買うこと無く、声を掛けられることもなく、そのまま本屋から出た。

出る際に湿度の視線を微かに感じたような気もするが、完全に気の所為せいである。


そう、気の所為だった筈なのだ。


後日に近所のコンビニで、偶然出逢ったその女性から声を掛けられるまでは……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

KAC20231:馴染みの本屋 広畝 K @vonnzinn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ