第30話 賢くないわね
「久しぶりだわ」
何ヶ月かぶりのムートー子爵邸は、外から見るだけでも重々しい雰囲気で敷地内に足を踏み入れるのも躊躇われた。
負の空気がすごいというか…。
扉にかかっていたベルを鳴らすと、よく知っている使用人達に迎えられた。
いつもより、顔ぶれが少ないことについて尋ねると、何人かがリストラされたという話を聞かされた。
大きな荷物は今日に泊まる宿に置いてきたため、私のリュックを背負ってくれているイーサンと一緒に、ムートー子爵には挨拶せずに、まずは先代の子爵夫妻の部屋に行き、子供の頃の私と3人で写っている写真をいただく事にした。
泥棒だと言われても嫌なので、後でムートー子爵には話をして、必要なら、お金を渡す気でいる。
私にとっては、ムートー子爵夫妻が家族で、現在残っている大切な思い出の品だから、それくらいの価値がある。
その後、勝手に帳簿などが置かれている部屋に向かった。
「勝手に出入りして大丈夫なのか?」
「戻って来いっていうくらいだから、いいんじゃない? 帰れと言われたら、さっさと帰るつもりよ」
少し心配げに尋ねてくるイーサンにそう答えて、部屋に入り、帳簿が置いてある机の引き出しを開けて中を確認したけれど、私が出ていった日から、何も記帳されていなかった。
「事業の方は経理の人間がいるから大丈夫かもしれないけど、子爵家としては、どんな状態か全くわからないわ」
ため息を吐くと、イーサンが私に聞いてくる。
「金の工面が必要か?」
「そんな事しなくてもいいわよ。彼と私はもう何の関係もないんだから」
「そうか。なら良いけど、そういえば、クレア、前に伝えそびれていた事があるんだが」
イーサンがぽんと手を打って言うので、私も思い出して聞いてみる。
「あ、もしかして、ムートー子爵が悪い奴らと…ってやつ?」
「そうなんだ。なんというか、すごい悪党なわけじゃないんだが…」
「どんな人なの?」
「なんというか、クレアがボコボコにしたい2番目の奴というか」
「…まさか、それって」
嫌な予感がして眉を寄せて聞き返した時だった。
ムートー子爵が部屋の中に入ってきた。
「クレア! 戻って来ているなら、どうして俺に挨拶に来ない!」
「顔を合わせたくなかったもので」
「不法侵入だぞ!」
「戻ってこいと言っておいて、よく言うわ。そんな言い方をされるなら、今すぐ帰らせてもらいます」
「ちょっと待て! 帰られるのは困る! 俺はお前がどれくらい驚いたのか聞いていないからな!」
訳のわからないセリフを吐いたのは、ムートー子爵ではなかった。
ムートー子爵の後に部屋に入ってきたのは、イーサンが私に伝えようとしていた相手、アイリス様のお父上である、ノマド男爵だった。
「いやあ! あんなおもちゃのナイフにひっかかるとは! アイリスもひっかかったんだろう!? 間抜けな顔が見れなくて本当に残念だ!」
ノマド男爵が大声を上げて笑った。
この男はどこまでアイリス様を苦しめるつもりなの!?
しかも内容がくだらない!
「アイリス様は間抜けな顔なんてされてません! ムートー子爵、あなたがおもちゃのナイフをで脅した相手が誰だかわかってるの!?」
「知っているさ! ノマド男爵の娘だろう!? 借金を作って逃げたんだろ!? とんでもない女だな!」
「は? 何を言ってるの?」
私の声のトーンが変わった事には気付かず、ムートー子爵は意味のわからない話を続ける。
「ノマド男爵から、娘は自分に借金をおわせて逃げたのだと聞いたぞ! それとあのアイデアをくれたのはノマド男爵だ。彼のおかげで、お前が家に帰ってきた!」
「イタズラのアイデアを伝えるだけで金がもらえるんだから良いもんだな」
ノマド男爵が満足そうに笑う。
どうやら、ムートー子爵は私をこの家に戻らせるために、ノマド男爵のイタズラのアイデアを買い取ったらしい。
こんな奴がいるから、ノマド家があんなままなのよ!
「ムートー子爵、アイリス様は借金を作って逃げたりなんかしてない。あと、彼女は、アイリス・ノマドじゃない。アイリス・マオニールよ」
「…マオニール?」
さすがに公爵家の名前はわかったらしい。
ムートー子爵は声を震わせながら続ける。
「じゃ、じゃあ、彼女は…」
「そう。マオニール公爵夫人よ。あんたは公爵夫人を脅したの」
事実を伝えてやると、ムートー子爵の顔色が真っ青になった。
すると、トントンと、イーサンが私の肩を指でつついてくる。
「なあ、クレア」
「何?」
「ムートー子爵は、あまり頭が賢くないのか?」
「あまり、というよりか、賢くないわね」
膝から崩れ落ちたムートー子爵を見ながら、イーサンに答えた。
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