第五章 紅雨

第五章 紅雨こうう


       一


 翌日、紘彬と如月は久々に紘一の家に来ていた。

 紘一の部屋で三人でレースゲームをしている最中だった。


「あの、ホントにゲームしてていいんですか? お祖父様は退院なさったとは聞いていますが……」

 如月がコントローラーを操作しながら訊ねた。

「十分元気だから気にしな……」

「紘兄! お祖父ちゃんから電話!」

 一階から花耶が呼び掛けてきた。

 紘彬は「な」というような表情で肩をすくめてみせると部屋を出ていった。

 如月と紘一が二人でレースゲームを続ける。


「如月さん、聞いていい?」

「いいよ」

「如月さんは子供の頃、夢とかあった? なりたいものとか」

「うーん、特にないかな。せいぜい早く仕事にいて給料もらえるようになりたかったくらい」

 その言葉に、如月から以前聞いた話を思い出した。

 如月の家は貧しかったと言っていた。

 高校を卒業した後すぐに警察学校に入ったのも経済的に大学に行かれなかったからだと。


「そっか。なりたいものが見付からないとか贅沢な悩みなんだね」

「それはどうかな。確かに金がなかったから早く働きたかったって言うのはあるけど、仕事ならなんでも良かったのは特に夢とかなりたいものが無かったからだよ」

「全然? 何も?」

「友達の家でゲームするのは好きだったけど、だからって開発者になりたいとは思わなかったよ。経済力に関係なく、夢とかなりたいものがない人って珍しくないんじゃないかな」

「そうなのかな……」

 そんな話をしているうちに紘彬が戻ってきてゲームを再開した。


 現場のリビングは散らかっていた。

 所々に血痕があるが遺体はないからソファやテーブルが壁の方に寄せられているのが被害者を搬送する時に退かしたのか犯人が荒らしたのか分からない。

 鑑識は仕事を終えて引き上げている。


「焦げ臭いな。証拠隠滅のために火でもけようとしたのか?」

 紘彬が辺りを見回した。

「いえ、被害者の一人が料理中だったらしく、通報を受けた巡査が中に入るまで火がそのままだったそうです」

「被害者は何人?」

「夫婦らしき四十代の男女は病院で死亡が確認されました。他に二十歳はたち前後と見られる男女が意識不明の重態です」

「両親とその子供達か?」

「一家が揃ってる時に押し入るなんて珍しいですね」

 如月はそう言いながら床に目を走らせた。

 強盗は通常一人暮らしの人を狙うし、複数の人間が同居している場合は留守の時を狙った空き巣が多い。

 ソファの影に財布とおぼしき物が落ちている。


「この家の家族構成は夫婦と娘一人で同居人はいなかったそうです」

「来客中だったのか」

「この財布、男物みたいですね」

 如月は手袋をめた手で財布を拾った。

 若者向けのデザインだ。

 中を開いて身分証を取り出す。

 そこに書かれた住所を見て思わず息を飲んだ。

 紘彬の家の近所である。


「桜井さん……」

「ん? なんかあったか?」

 如月は黙って紘彬に身分証を差し出した。

「白山蒼治……まさか……!」

 受け取った紘彬の顔色が変わる。

 紘彬は急いで自分のスマホを取り出すと操作した。


 ソファの近くに落ちていたスマホから着信音が流れる。

 上田がそれを拾い上げて画面を紘彬に向けた。


〝桜井紘彬〟


 一旦切って蒼治の家に掛け直す。


「あ、紘彬です……ご無沙汰してます。蒼治は……彼女って、真美ちゃんですか?」

 紘彬が巡査を見る。

 巡査が黙って頷く。

「じゃあ、掛け直します」

 紘彬はスマホを切ると顔を上げた。

「蒼治は真美ちゃんの家に行ってるそうだ」

 蒼治のスマホを見ていた上田が、

「アドレス帳に田中真美って名前がありますね」

 と言って画面をタップする。

 固定電話が鳴り始めると上田が再度画面をタップした。

 電話の音が止まった。


「間違いなさそうっスね」

「若い男女は息があったって言ってたよな!?」

 紘彬が勢い込んで巡査に訊ねた。

「はい」

 巡査が躊躇ためらいがちに頷いた。

 この様子だと容態が思わしくないのだろう。

「被害者の顔は? 相好そうごうの見分けは付く状態だったか?」

 団藤が巡査に訊ねた。

 巡査が頷く。

「桜井、病院に行って確認してこい。佐久、一緒に行け」

 紘彬は団藤の言葉が終わる前に駆け出していた。


 紘彬は病院の廊下に立ってカルテを見ていた。

 蒼治の意識はまだ戻ってない。両親には連絡済みだ。


 真美の顔は知らなかったので蒼治のスマホの写真を全て紘彬のスマホに送ってもらった。

 蒼治が女の子と一緒に写っている写真は全て同じ少女とだった。

 その子が真美で間違いないだろう。


 今、紘彬が処置室で顔を確認してきた少女だ。

 紘彬が団藤にそう報告すると、上田が真美の祖父母の連絡先を調べて知らせた。

 祖父母がこちらに向かっているとのことだ。


「あの……二人の容態は……」

 佐久が遠慮がちに訊ねた。

「蒼治は問題ない。けど……」

 紘彬は真美のいる処置室の方に目を向けた。

 処置室から時折ピッという電子音が聞こえてくる。

「彼女はもう……」

 祖父母や親戚がこちらに向かっているという話だから、彼らが死に目に会えるようにという配慮だろう。

 遺族が到着して身元を確認したら死亡宣告されるはずだ。


「あの音は心臓が動いてるからじゃ……」

 佐久がそう言った時、

ひろ君!」

 蒼治の母親が駆け寄ってきた。

「おばさん」

「蒼治は!?」

 蒼治の父親も一緒だった。


「まだ意識は戻っていませんが無事です。容態のことは医師から説明があると思います」

「意識がない!?」

「どういう事なんだ! 一体何があった!」

 蒼治の父親がみ付くように言った。

「さっき電話してきたと思ったら……どういう事? あの時、もう知ってたの」

 母親が紘彬を責めるように訊ねた。


「現場に落ちてた財布に蒼治の身分証が入ってたけど、病院に搬送はんそうされた後だったから落としたのが蒼治自身か分からなくて……もしかしたら蒼治は無事でった人が落としたって可能性も考えられたので……」

「真美ちゃんも一緒だったの?」

「蒼治のスマホにあった写真の女の子が真美ちゃんなら……そうです」

「事故か?」

「おそらく真美ちゃんの家に強盗が入ったのではないかと……」

「何が起きたのか分からないのか!?」

「被害者で意識がある人が誰もいないので何があったのか聞けなくて……」


 その時、老齢の男女が看護師に案内されて処置室に入っていった。

 それを見た紘彬が真面目な表情で口をつぐんだ。

 やがて電子音が止まった。

 紘彬が痛ましげな表情で目を伏せる。


       二


「なんだ、どうした」

 紘彬の視線を追って処置室を見た蒼治の父が振り返って訊ねた。

「あの人達は真美ちゃんの身内だと思うので……機械を止めたんです」

「機械を止めたって……」

「今、死亡宣告をしているはずです」

「まさか……」

 母親が口を覆った。


「蒼治は!?」

「打撲が何カ所かあって肋骨骨折と肩の骨にヒビが。頭部にも打撲傷がありましたがCTスキャンで異常は認められませんでしたし、骨折も完治するはずです。おそらく後遺症は残らないでしょう」

 紘彬が説明している時、看護師がやってきて両親に蒼治の病室に案内すると告げた。

「真美ちゃんの事、蒼治になんて言えば……」

 母親が助けを求めるように紘彬を見た。

「おばさん達の方が蒼治の事をよく知ってるはずですから様子を見て判断して下さい。ただ、隠していてもいずれはバレるし、ニュースとかで知るよりは……」

 蒼治の両親は顔を見合わせると看護師にいて病室に向かった。


 翌朝、紘彬達は捜査会議をしていた。


「高齢者が住んでなかったなら多額の金や高価な物を金庫に仕舞しまってたって事は考えづらいッスよね」

「金庫は無かったんだよ」

 上田が佐久に言った。


 警察官の話によると、隣の家の人がたまたま田中政夫に借りた物を返しに行ったらチャイムを鳴らしても誰も出てこなかった。

 だがドアが開くか試したら鍵が開いていた。

 それで借りた物を玄関に置いていこうと思ってドアを開けて入ったら男達が家の奥から駆け出してきて、隣人を突き飛ばして逃げていった。

 驚いた隣人が家の中に入ると田中政夫一家が倒れていたので通報した。


 田中政夫と娘の真美、白山蒼治はリビングに、田中政夫の妻、由美は台所に倒れていた。

 田中政夫はダクトテープで口をふさがれ縛られていた。

 四人は鈍器で殴られていた。

 由美と真美は最初の一撃か二撃目で絶命したようだったが蒼治は一命を取りめた。

 政夫は最初の何度かは死なないように殴られていた。

 強盗が金庫の暗証番号などを聞き出す時によくやる手口だ。

 問題は金庫がなかった事だ。

 金庫の有無や資産状況も知らずに押し入ったのが不可解だった。


「闇サイトとは関係ない強盗とか」

「金庫を開ける必要がないなら強盗より空き巣の方がリスクが低いですよ」

 如月が言った。

「金庫もないような家に押し入ってまで盗むような高級品があるとは思えないしな」

「車庫に高級外車が止まっていたから金持ちと間違われたとか」

 家の横には車を止めるスペースがあったのだが、簡単な屋根があるだけで囲いがなく車は外から丸見えだった。


「なんであんな高そうな外車置くのにちゃんとした駐車場作ってなかったんスかね」

 佐久が紘彬の考えを代弁するかのように言った。

「巡査の話によると田中政夫の車ではないそうだ」

 最近よく田中家に止まっているのを見掛けたので警邏けいら中の巡査が、高級外車を見える状態で置いておくのは危険だからせめてシートを掛けるように、と注意すると兄に一時的に場所を貸しているという答えが返ってきたとの事だった。

 田中政夫は「兄に伝えておく」と答えていたらしいが事件の時もシートは掛けられていなかった。


「あの家、ダクトテープが置いてありそうに見えたか? 衝動的にやったならともかく、テープを用意してたなら計画的な犯行だろ」

 紘彬が言った。

「計画してたなら来客中はけるのでは」

「手口は闇サイト強盗に似てるんだがな」

 団藤が考え込むように言った。


「白山蒼治は高田馬場の事件を見たって話でしたね。あの事件の口封じって線は……」

「それなら蒼治の家に来るはずだろ。彼女が一緒だったとは聞いてないし」

「一緒だった可能性もあるって事ッスよね」

「それなら彼女を家まで送ってるはずだろ。彼女を一人で帰らせて自分だけ紘一と一緒に帰ってきたりはしないはずだ。それに蒼治は証言してないし。口封じなら証言した紘一やクラスメイトの方が先だろ」

「とりあえず聞き込みだ。被害者の親族への聞き込みは桜井、如月。被害者宅の周辺は飯田、佐久。俺と上田は――」


「どうした?」

 田中真美の祖父母、田中陽平とその妻の昌子が住む家に向かっている車の中で紘彬が訊ねた。

 如月がさっきから難しい表情で黙りこくっているのだ。

「今から行く田中陽平なんですが……」

「何かあったのか?」

 紘彬の問いに如月は清水の話をした。


「そうか……。けど被害にったのは息子一家だぞ。当人にすら何も出来ずに様子を見てただけの人間が訪問客を巻き添えにしてまで息子一家を殺したりするか?」

「そう……ですよね」

 如月がホッとした表情を浮かべた。

 同じ事を考えていたものの疑念を払拭ふっしょく出来ずにいたのだ。

「アリバイの確認は必要だけどな」


「大変なときに申し訳ありません」

 紘彬が田中陽平に謝って話を切り出した。

「構いません。早く犯人を見付けてください」

 田中陽平が険しい顔で答えた。

 陽平は八十近い男性だった。

「息子さんは誰かに恨みを買っていましたか?」

「冗談じゃない……!」

「あなた」

 激昂しかけた陽平を、妻の昌子がたしなめた。

「では、資産は?」

「資産?」

 陽平が怪訝そうな表情をした。


「政夫さんは何かを聞き出すために殴られた可能性があるので。金庫の場所とか預金口座の暗証番号とか」

「金庫があるという話は聞いてない。政夫はただの管理職だし、由美さんもパートだ。預金だって大してなかったはずだ」

「コレクションはありませんでしたか?」

 如月が訊ねた。

「なんだって?」

 陽平が聞き返した。


「切手とか外国のコインとかを蒐集しゅうしゅうしたりは……」

「いや、聞いてない。今、言ったように金が掛かる趣味を持てるほど裕福ではなかったんでな」

 コレクションというのは集める分には金が掛かるとは限らない。

 特に蒐集家しゅうしゅうかは発売時に定価で購入している場合が多い。

 切手などは一枚数十円、シートで買っても一シート二十枚なら千数百円。

 発売日に郵便局で購入していたのなら大した金額ではない。

 年数の経過によりプレミアが付いて結果的に高額になるのだ。


「あの家は借家ですか?」

「儂が買ったものだ。政夫は贈与税が払えないから名義は儂になってて息子に貸してる形を取っていたんだ」

 贈与税というのは受け取った側――この場合、息子の政夫――が支払わなければならない。

 贈与税の控除額は微々びびたるものだから新宿の住宅街にある一戸建てとなると贈与税は控除額を遙かに超えた金額になるし、その贈与税を支払うための金を政夫に渡したらその金に対しても贈与税が掛かってしまう。


「政夫さんの家の駐車スペースには高級外車が止まっていましたが、贈与税はあの車よりも高いという事ですか?」

「政夫は車は持ってなかった。いつか買うかもしれないから駐車スペースを取ってあっただけだ」

「では、あの車がどなたのものかご存じですか?」

「知らん」

 陽平の答えに、如月が昌子に訊ねるように顔を向けると、彼女は黙って首を振った。

「あの家は儂が死んだら遺産として政夫に譲ることに……」

 陽平は声を詰まらせた。

 昌子も目頭を押さえる。

 室内が沈黙に包まれ鼻をすする音だけがしていた。

 如月は居たたまれない思いで目を伏せた。


 部屋の中に目を向けた紘彬は一瞬、何かに引っ掛かりを覚えた。

 再度見回してみたが、それがなんなのかは分からなかった。


       三


 紘彬と如月は陽平の家を後にすると、政夫の兄、剛の家に向かって車を走らせた。


「あの、桜井さん、紘一君は……」

「昨日は帰りが遅かったから紘一とはまだ会ってないけど、祖母ちゃんから聞いた話じゃ、かなりショック受けてたって」

 紘一と蒼治は最近はあまり会ってなかったとは言え子供の頃は仲良が良かった。

「そうですか……」

「だから今日はゲームする気になれないって」

「自分のところにも来ました。気にしなくていいって返事しておきましたけど」

「悪いな」

「そんな……桜井さんにとっても幼馴染みなんですし」

「俺とは年が離れてるから……」

 確かに蒼治は紘彬と六才違いだ。

 それだけ離れていたら子守でもない限り一緒に遊ぶ機会はほとんどなかっただろうし、そうなるとせいぜいたまに話をする程度だっただろう。


 政夫の兄の田中剛は横柄な態度の男だった。

 高級外車のことを訊ねると、

「私の車だ。車庫の改築中だけ置かせてもらってたんだ」

 と言って右に視線を向けた。

 その方向にある剛の家の敷地内で工事をしている。

「あの家の駐車スペースは使われてなかったんでね」

 ちらっと馬鹿にするような表情が浮かんだ。

 剛は会社を経営していて車も高級外車である。

 正社員とはいえ雇われの身で家どころか車一台持っていない政夫を見下していたようだ。


 紘彬と如月が警察署に戻ると、

「どうだ? 怪しいヤツはいそうか?」

 団藤が訊ねた。

 紘彬と如月が田中夫妻や剛に聞いた話を報告した。

「こっちの調べと一致するな」

「こっちも全然収穫なしです。当分、あの辺回らないと……」

 上田が溜息をいた。


 紘彬と如月が連れ立って警察署を出ると雨が降っていた。


紅雨こううか……」

「こうう?」

「雨に打たれた赤い花が散る様子の事を言うらしい」

「そうなんですか」

「しかし雨じゃ飲みに行くのも面倒くさいな。うちに来るか?」

「え、紘一君の家は……」

 紘一もだが、花耶も蒼治とは幼馴染みなのだから胸を痛めているだろう。

「いや、俺んち。ゲーム機は無いからドラマでもようぜ」

「お祖父様は大丈夫なんですか?」

「元気だから帰りたくないんだよ。説教がうるさいからさ。客がいればガミガミ言わないだろうし。用があるなら別だけど」

「いえ、お祖父様がお元気なようでしたらお邪魔させていただきます」

 如月がそう答えると二人は連れだって紘彬の家に向かって歩き始めた。


 紘彬と如月は部屋で『Dr.マーク・スローン』を観ていた。

 医師のマーク・スローンと、その息子の刑事が事件を解決するシリーズ物のミステリドラマである。


 医者が主人公のドラマが好きでも医者にはならなかったんだ……。


 医師国家試験に合格しているのに文句を言いながらも刑事を続けている理由が謎である。

 病院で二年の臨床研修をれば正式な医師になれるらしいのだが。


「あーーー!」

 如月がいきなり大声を上げた。

 マーク・スローンがCDケースの歌詞カードの間から、五インチのフロッピーディスクを取り出したところだった。

「小林次郎の件か? あそこ、CDはほとんど無かっただろ。残ってたCDケースの歌詞カードは全部確認したぜ。俺、これるのは初めてじゃないんだし」

「分かってます。けど、確かめたいことがあるんです。今から鑑識に行ってきます!」

「なら一緒に行くよ」

「無駄足になるかもしれませんよ」

「へーきへーき。残って祖父ちゃんに説教されるよりマシだし」

 紘彬の言葉に如月は苦笑した。


 鑑識に着くと、如月は証拠品として押収された大量のレコードがおさめられている箱を持ちだした。

 レコードを取り出して一つ一つ台の上にせていく。

 やがて一枚の証拠品袋を取り上げた。


「これです! なんか見覚えがあるような気がしてたんです!」

 如月がそう言って証拠品袋を机の上に置いた。

「レコードか? けど穴がないな」

 茶色っぽい円盤だが紘彬が言うように中央に穴が開いていない。


「レコードじゃありません。これがEPレコードで……」

 如月が直径十七センチ程のレコードが入っている証拠品袋を持ち上げて見せる。

「こっちがLPレコード」

 直径三十センチのレコードの入った証拠品袋を取り上げる。

「大きさも、ほら」

 EPレコードとLPレコードを、最初に置いた証拠品袋の両隣に並べて置いた。

 最初の物は二つのレコードの中間くらいの大きさだった。

「ホントだ。どっちとも違う」

 よく見ると色などもレコードとは微妙に違う。


「なんだこれ」

「八インチのフロッピーディスクですよ」

「フロッピー? これが?」

 CDよりも大きなEPレコードより更に大きい。

「鑑識は気付かなかったのか?」

「日本で普及したフロッピーディスクは五インチからですし、傷が付いたらデータが再生出来なくなるので普通はケースから出さないんですよ。中身を見た事ある人はほとんどいないんだと思います」

「普及してなかったのに良く手に入ったな」

「一般家庭には普及してなくても企業や研究室は使ってたましたし、個人でも使ってる人がいなかったわけではありませんから販売はされてたらしいですよ」

 如月の言葉に紘彬が感心したような表情を浮かべた。

 ハードディスク(HDD)が発売される前の記録媒体はフロッピーディスクくらいだったのだ。


「レコードをばら撒いたのも、パソコンを壊したのも被害者本人だと思います。きっと八インチフロッピーディスクに記録されてるって事を隠すためにやったんです」

 ディスクを読み込むドライブがあったら使っていた記録媒体が分かってしまう。

「なるほどね。けど、ドライブが壊れてるならどうやってフロッピーの中を見るんだ?」

「鑑識に八インチのフロッピーディスクドライブがないなら、破壊されたドライブを直すか秋葉原アキバ辺りで買ってくるか」

「売ってるのか?」

「さぁ? でも、探せばあるんじゃないんですか? 今でも持ってる人はいますし。小林も持ってたくらいですから。それよりレコードに偽装するために保護ケースから出しちゃってますからデータが無事かどうか……」

 ディスク面に傷が付くとデータが読み込めなくなるから保護ケースに入れているのだ。

 如月は鑑識に念のためデータを調べてくれるよう依頼した。


       四


「桜井さん、おはようございます」

 如月は挨拶をしながら床に落ちていた白黒写真を拾い上げた。

「この写真、もしかして桜井さんのひいお祖父様の日記から落ちたのでは」

 刑事達が出勤してくる前に清掃をしたはずだから落ちたのはそれ以後だろう。

 だとすれば紘彬の曾祖父の日記から落ちた可能性が高い。

「お、サンキュ」

 紘彬はそう言って受け取ると写真をじっと見詰めた。


「どうかしましたか?」

「いや……なんでもない……」

 紘彬はそう言うと曾祖父の日記に写真を挟みながら、

「なぁ、弁護士事務所からの手紙って私信だと思うか?」

 と訊ねた。

「弁護士事務所から手紙が来たんですか?」

「曾祖父ちゃん宛にな」

「今頃ですか? 失礼ですけど曾お祖父様は生きてらしたとしても百歳くらいですよね?」

「来たのは七十年代だよ。八十年代か? 消印がかすれてて正確な年が分からないけど」

「それだけ昔で、しかも亡くなられた方宛なら問題ないのでは。桜井さんはご家族ですし」

 紘彬はそれもそうだという表情を浮かべた。

 どちらにしろ既に日記を読んでいるのだ。

 今更手紙を読んだところでプライバシー侵害なのは同じだ。

 紘彬は封を開けて中身を取り出した。


「闇サイトによるものと思われる広域強盗事件が相次いでいる」

 捜査会議が始まると団藤が言った。

「それ警視庁の担当だろ」

「広域強盗はそうだが、斉藤が小林次郎は闇サイトの指示役だったって言ってるだろ。それを早く確認しろとせっつかれてるんだ」

「新聞やネットで叩かれてますしね」

 飯田が言った。

「闇サイトが?」

な警察ッス」

「そっか、警視庁の刑事って大変なんだな」

 紘彬が他人事ひとごとのように言った。


「うちもですよ」

「え、広域強盗は警視庁の管轄なんだから俺達関係ないだろ」

「一般の人はそう言うの区別しませんから。交番勤務の警察官から警察庁長官まで全部引っくるめて〝警察〟ですよ」

「広域強盗は全国で起きてますんで警察官全員ッス」

 如月と佐久が言った。


「どっちにしろ田中政夫一家の件はまだ広域強盗とは断定されてないからうちの管轄だしな」

 団藤が付け加えた。

「桜井と如月は小林の事件を担当してくれ。夕辺のフロッピーディスクはい線いってた」

い線って事はデータは……」

「ディスクに傷が付いてて読み込めなかったそうだ。他にも何か気付いたことがあったら教えてくれ」

 団藤が言った。


 夕方、紘彬と如月が聞き込みから帰ってくると、ソファに団藤と杉田巡査部長が向かい合って座っていた。


「ああ、杉山巡査部長」

「杉田巡査部長です! 桜井さん、年上の方にそれめて下さい!」

「それって?」

 紘彬の言葉に如月はズキズキするこめかみを押さえた。


 ホントに人の名前覚えられないのかな……。

 東大余裕って言われてた人なのに……。


「難しい顔してるけど、なんかあったのか?」

「この前話した二十年前の身元不明遺体の事で話を聞きたいそうだ」

 団藤が答えた。

「事件も失踪届けを出した人も知らない俺に話って言うならDNAの事か?」

「そうだ」

「いいよ、何?」

 失踪者の両親は娘が帰ってくると信じて部屋も衣類も全て残していた。

 そこで衣類やベッドのマットレスの下や隙間などを隈なく調べて複数の毛髪を採取し、衣類に付いていた毛髪とベッドの隙間に落ちていた毛髪をそれぞれDNA鑑定した。

 採取された中に男女のものと、その二人と血縁関係にある者の毛髪があった。


「両親とその子供って事だろ。親が掃除とかで度々入ってたなら落ちてて当然だからな」

「はい。それでご両親のDNAを採取させてもらったところ男女の毛髪はご両親のもので間違いありませんでした」

 そこで両親と親子関係にある毛髪で身元不明の遺体とDNA鑑定を行い一致した。

「焼け跡から発見された遺体はやはり失踪届が出ていた女子高生でした」

「それ、俺の説明必要?」

「ご両親がABとO、子供がABというのも間違いではなかったんです」

「シスABだったって事だろ」

「シスAB?」

 その場の全員が首をかしげる。

 紘彬は手帳を出すと二本の線を引いた。


「これは九番染色体。この前、この二本の線は両親から一本ずつもらうって言ったろ」

 そう言うと紘彬は二本の線の途中の同じ場所に小さい印を付けた。

「九番染色体にABO式の血液型を決める遺伝子がある」

 A型とB型は顕性けんせい遺伝(昔は優性遺伝と言った)といってAまたはBの遺伝子があると検査でAまたはBの反応が出る。

 片方にA、もう一方にBが来るとAB型になる。

 O型はAとB、どちらも持っていない場合のみ現れる潜性せんせい遺伝(昔で言うところの劣性遺伝)である。

 Oというのはどちらの反応もない、つまり数字のゼロという意味なのだ。


「その説明だと片親がO型の場合、AB型は生まれないのでは」

「生き物って言うのは機械じゃないから時々ミスが起きるんだよ」


 紘彬は線の途中に書いた小さい丸の片方にAと書き、もう一方にBと書いた。


「普通のAB型はこういう状態。だけど遺伝子一個って言ってもそれを構成しているDNAは千個以上あって、一部が変異してAとB両方の特徴を持ってるものがあるんだ」

 紘彬はAの横にBを書き足してABにした。

「これがシスAB型。一つの遺伝子にAとB、両方の特徴があるから、これを持った親からこの遺伝子を受け継げば、もう一方の親が何型だろうとAB型になるし、シスABとOの子供はABかOのどちらかしか生まれない」

 A型とB型自体、千個以上あるDNAがほんの数個違うだけだから、DNAがわずかに変異した事でAとB両方の特徴を持った遺伝子が出来たのだ。


 杉田はしばらく紘彬の手帳を凝視した後、

「あの……私にはそれは説明出来そうにないので一緒に行って話していただけますか?」

 と頼んできた。

「俺はいいけど……」

 紘彬が団藤に視線を向ける。

「実は、血液型だけじゃないんだ」

「というと?」

「血液型の説明なんか必要ないからな。両親が自分達の子供じゃないって言ってるわけじゃないし」

「じゃあ、他の家族がなんか言ってるのか? 相続の問題かなんかで」

 杉田がA4サイズの封筒を差し出した。

 中の書類はこの前のものとは違う。

 焼死体が発見された時の報告書だった。

 身元が分かる前の捜査記録だから被害者の名前は書かれていない。

 紘彬は書類に目を通した。


「その子の失踪届けを出した両親って言うのが田中陽平夫妻なんだ」

「え、それ、田中政夫の両親?」

 紘彬が驚いて顔を上げた。

 それから再度書類に目を落とす。


「じゃあ、娘に続いて息子もって事か……」

「二十年以上間が開いてるとはいえ、子供が二人も不審死ってのは尋常じんじょうじゃないからな。DNA鑑定の説明って事で一緒に行って田中陽平夫妻の反応を見てきてくれ」

 団藤の言葉に紘彬は真面目な表情で頷いた。

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