17-異議あり!
ロビン学園から歩いて少し北へ向かったところにある裁判所に、学園の関係者数名が集められていた。
向かって右側、被告人席には年幼い、金髪を下ろした少女が顔をうつむかせていた。
公爵家令嬢、レイツェル・ディーネ・モノグラムである。
「これより、レイツェル・ディーネ・モノグラムの法廷を開廷します」
「検察側、準備完了しております」
「弁護側も準備完了しております」
あれから、再度アリバイが調査されたが、結果は変わらなかった。
あの時間に直接手を下すことができたのはレイツェルのみ。
調査はレイツェルの容疑を強めるだけに終わった。
「では、検事は冒頭弁論をお願いいたします」
「被害を受けたのはプレゼンツ男爵家令嬢、シルヴィ・プレゼンツ。昨日午後、ロビン学園三階と四階間の階段踊り場で流血しており、被告人以外に犯行可能な人物は皆無だ」
「事故ではなく事件だと判断した根拠は?」
「被害者の傷の深さから、ほとんど四階から踊り場まで落ちたと推測される。もし階段を踏み外したなら全身に打撲痕が残るはずだが」
裁判官が被害者のプロファイルを確認し、頷く。
足を踏み外し、階段を転がり込んだとするならば、あるべきものが被害者には見つからなかった。
階段と体がぶつかり合って出来る、青あざである。
「なるほど、目立った外傷は頭部の一撃のみ。何者かに勢いよく突き飛ばされたと見て間違いないでしょう」
階段を転がり落ちたわけではない。
誰かが、故意に、突き飛ばした。
そう考えるのが普通だった。
「しかし、動機はどう説明しますか」
「無論、検察側はつかんでいる。まずは被害者と被告人両名のクラスメートの話を聞いていただこう」
証人喚問に指名されたのは赤髪の少年。
騎士爵令息のウォリアーだ。
「証人、事件が起きる前の二人の様子について説明してくれたまえ」
「う、うす。歴史の授業を俺たちは受けていて、それで二人は口論になったっす。どっちの知識が正しいか、って感じで。激高したシルヴィは暴言を吐いて、教室を飛び出したっす」
考えるのを苦手と公言する彼からすれば、一刻も早く真相が解明されてほしいの一言に尽きた。
やはりあの時、無理やりにでも抑え込んでおくべきだったのではないか。
それとも真犯人が本当にいて、レイツェルがシルヴィの一命をとりとめたのだろうか。
いろいろな可能性が浮かんでは消えてを繰り返す。
今朝は一睡もできていない。
「なるほど。男爵家の令嬢が公爵家に暴言を吐く。かなり激しい口論だったと推測できますな」
「い、異議あり! 被害者であるシルヴィ・プレゼンツは男爵家の養子になって日が浅く、公爵家に意見する重大さを理解していなかったと思われます!」
「ふむ、しかし関係者の話を聞く限り、少女はあらゆる学問に精通しており、教師ですらあっと驚く知識を披露したとあります。果たして貴族社会分野にだけ無知であるなどあり得るでしょうか」
「ぐっ、それは……」
弁護人が反攻の糸口を探るが、失敗に終わった。
シルヴィがソフィアの力を借りて、識者を装っていたのが不利に働いた。
この場の誰も、シルヴィが無知な平民上がりだとは思っていない。
「し、しかし! 暴言を吐かれたからと言って、直接的な制裁に乗り出すでしょうか?」
弁護人は論点をずらした。
昏睡状態にある被害者を引き合いに出しても有利は取れないと、いまの攻防で察知したからだ。
「ふむ、衝動的になって犯行に及んだ、と結論付けることも可能でしょうが、検事側の意見はどうですかな?」
「検事側も弁護側と同じ意見だ」
「なんと!」
「おっと、勘違いしないでいただきたい。被告人の犯行を否定するつもりはない」
「つ、つまり?」
「証人に追加の証言を求める」
赤髪の少年、ウォリアーが「俺!?」と驚愕の表情を浮かべる。
「被害者が編入してから事件が起きるまでの間、被告人がどのように接触していたかを述べてもらいたい」
ウォリアーが「ええと」と頭をかく。
「確か、一番最初に、登校してきたシルヴィに声を掛けていました。それでシルヴィがあいさつしたけど、レイツェルはあいさつを返さなかったっす」
にわかに、傍聴人がざわめきだした。
公爵家から声をかけておき、あいさつに礼を返さない。
男爵家に対する侮辱であり、明確な敵対行為だ。
当初からいい印象を持っていなかったのは明白だ。
「い、異議あ――」
「おっと、証人の証言は途中だ。弁護人の発言は控えていただきたい」
異論を検事に阻まれて、弁護人が汗を流す。
ただでさえ擁護しがたい無礼を働いていたことが発覚したのに、そのうえさらなる追い打ちがあると明言されたからだ。
「えっと、その日のうちに戦闘訓練の授業があったんすけど、シルヴィが実技で優秀な成果を出した時には『野蛮で淑女にふさわしくない』とか、『
ウォリアーは自分が口を開くたびに傍聴人がざわざわするので、自分が論点のズレた話をしているのではないかと思い始めた。
「なるほど。被害者を貴族にふさわしくないと侮辱したり、ハラスメントを行ったりしてきたわけだ」
「え、あ……言いようによっては?」
「つまり、被告人は事件が起きるより前から被害者に対して精神的な制裁を行っていた。だが、被害者から反攻を受けたことで、さらに苛烈な手段に出ざるをえなかったわけだ」
反応は三者三様だった。
弁護人は奥歯を強くかみしめて、傍聴人はざわめき立ち、裁判官は「静粛に」とガベルをたたいた。
ただ一人、検事だけが勝ち誇った表情を浮かべている。
「では弁護人、反対尋問があればどうぞ」
「は、はい。まず、初日に被告人があいさつを返さなかったとの話ですが、本当にそうだと断言できますか? 記憶違いの可能性は?」
「無いっす! 疑うなら他の生徒にも聞けばわかるっす。変な時期の編入生だからって結構な人数が見に行ってたから、俺以外でも証人は簡単に見つかるはずだ」
「ぐっ、その時の被害者のあいさつが見るに堪えないほど無残で礼を返す気になれなかった可能性は?」
「いや、ほれぼれするほど完璧な礼だったぜ。夜会には何度か参加したことがあるけど、大人の貴族だってできないくらい綺麗な礼だった。これも、ほかの生徒に聞けば客観的な感想だってわかるだろうさ」
弁護人が検事を見た。
検事は不敵な笑みを浮かべている。
(くそ、この話題、どうあがいても被害者の立場が悪くなるじゃないか!)
擁護できないどころの騒ぎではない。
触れれば触れるほどホコリがでてくる。
これ以上の深掘りは避けた方がいい。
そう判断し、嫌がらせの方から反撃の糸口を探る。
「先ほど証人は『野蛮で淑女にふさわしくない』と証言しましたが、これは一言一句間違いないと断言できますか?」
「え、いや、さすがにその辺の記憶はあいまいだけど」
「であれば、証言の表現を和らげていただきたい!」
異議あり。
弁護人の発言に検事が割って入る。
「弁護人、貴殿の発言は、被害者がどのように受け止めたかを軽視する発言だ。居合わせただけの人物ですらそのように聞こえたのなら、当事者はさらに深い傷を負っていてもおかしくないとは思わないか?」
「ぐっ、そ、それは」
「証言についても『言っていた』ではなく『言われていた』だ。訂正の必要は無いと思うが?」
「ぐ、ぬぬ!」
◇ ◇ ◇
裁判はそれからも、王太子や教師など、代わる代わる証人喚問を行ったが、どれもレイツェルの無実を証明するほどの成果を上げられなかった。
「双方が用意した証人は以上ですかな」
検察側が勝ち誇った笑みを浮かべ、弁護人が歯を食いしばり、被告人が死んだ表情をしている。
「では、これ以上の審理は必要ありませんね」
終わりだ。
後は裁判官の判断にまかせるしかできない。
「被告人、レイツェル・ディーネ・モノグラムに判決を言い渡します」
たとえそれが、火を見るよりも明らかな結末だったとしても、もう、反論の余地は残されていない。
「被告人は――」
「待った!」
バァンと、ピストルを鳴らしたように勢いよく、法廷の扉が開かれた。
白日がさらす日の下に、人影が映っている。
黒い髪、黒い瞳。
頭部に飾った桔梗の髪飾り。
無愛想な少女が、肩で息を切っている。
「シルヴィ……!」
レイツェルが涙を浮かべている。
「わたしの話を聞いてもらえるよね、裁判官。だって、わたしも事件の関係者なんだから、さ」
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